2017
11.17

私の変毒為薬

Category: 信心


 最近、私も頓(とみ)に信仰実践の素晴らしさを知り、ますます学会活動中心の信心となってきた。国政、地方選と二つの法戦に勝利し、その中で多くの共戦の同志の方と、絆、友情を深めることができた。そのことが何よりも嬉しい。正直、自分がこんなに学会活動を好きになり、躍動するとは、当の本人が一番驚いている。

 というのも私は入会5年目から7,8年、真言宗の実家に戻ったこともあり、ほとんど信心らしい活動をしないで過ごした。それが30代の時で、一番、体も動く時に、ただ仕事に行って帰るという生活を送っていた。



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 それでも題目は胸中で常に唱え、必ず開く時がくると心に期していた。その一念が通じたのか、40代になって、母が入会に応じてくれ、ようやく我が家も真言宗からの改宗を果たせた。それを契機に、信心の扉が開き、組織嫌いだった私は、意を決して学会活動に飛び込んで行った。

 ところが生命が濁っているせいか、その活動がとても苦しい・・・修羅や怨嫉もよく出て、頭が痛み、会合の帰りにはドッと疲れて、善をなすのになぜにこんなに苦しいのか?と呻吟する時期が長く続いた。自分はほとほと学会から、先生から見放された生命だと、あきれたものである。

 そこで私は、「それならば」と腹をくくった。「無冠の友」を志願し、家の前の田んぼを潰して、車が十台とまれる駐車場とし、支部、地区の拠点に我が家を提供。大勢人が来てもいいようにと、仏間の床を補強し、破れたふすまを張り替え、仏壇を拠点用にと大きなものに買い替えた。学会に対し、やれることを全部やってそれで駄目なら、組織に出ずに一人で信心しようと考えたのだ。

 その後、王城会や地区、支部役職と頼まれた役職は全部受け、会館回りの草刈りなども志願してやった。そんな潔い信心が良かったのか・・・ある頃から、あれよと言う間に、学会嫌い、組織嫌いが治ってしまった。

 「あの人のここが嫌だ、信心が感じられない」などと偉そうに思っていたのが、「この人も素晴らしい、立派だな」と思えるようになり、人を尊敬の目で見ることも多くなった。幹部に対して文句が多かった私だが、その人達の良い部分が見えてきた。健気な信心の会員の方も、もちろん尊敬できるようになった。そうなると回りも私に、親しみと笑顔で接してくれるようになり、今ではどなたとも楽しくやっている。「自分が変われば回りが変わる」ということを一つ学んだ。

 大の組織嫌いだった私がこんなふうに変われた。これは自分の命が180度転換した現証であるから、「変毒為薬」とはこうだと人にいえる。過去の法華誹謗の罪で、命が学会に反発していたのが、学会大好きへと転じた。人嫌いが大いに人好きになってしまった。今、多くの人たちを愛せる自分を感じている。信心は悪い子がいい子に変わるのである。

 そうなると「ありがとう」「うれしい」の心が起こってくる。苦しい生命が「ありがとう」の生命に変わる。そこから人として勝利の人生が始まっていくだろう。それは大きな変毒為薬だ。

 信心に励めば、生命から毒が吹き出す。過去世の謗法の傷が現れ、宿業の波に翻弄されもする。魔も必死に領土を取られんと、十軍の戦を仕掛けてくる。その苦しさの中で「人間革命」を目指すのであるから、よほどの覚悟、決意が求められる。戦いは壮絶で厳しいに違いない。私など辛い時には、腹の底から雄叫びをあげる。「魔性め!くるなら来い、お前には負けんぞ!」「先生、私は必ず勝って見せます!」と・・・その魂からの叫びがある限り、胸中の悲哀を乗り越えて人は前進できるものだ。

 自分を称え、人を称え、御本尊を賛嘆し、池田先生との師弟に生きるなら、その生命は幸福であり、人間主義であり、仏の生命と言っていいに違いない。私もその生命の人となって、多くの人に幸福の明かりを灯して生きていこう。「変毒為薬」の仏法の素晴らしさを語りながら、ともに「一生成仏」の頂きを目指していく決意である。




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2017
11.10

「池田先生についていくんだな」・・・

Category: 徒然の記


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 私は27歳で東京で入会、32歳で関西の片田舎にUターンしたのだが、家が真言だったこともあり、数年間は信心らしいことは何もできなかった。しかし、信心を捨てなかったのは、東京での5年間、私の命に信心を教えてくださった、ある先輩との出会いがあったからである。

 人との出会いが人生を決することを、その先輩との出会いによって私は学んだ。それは仏様が、私のあまりの不幸を憐れんで、天の配剤の如く、その人に巡り合わせてくださったものに違いない。その時は夢中でわからなかったが、時間が経ってみれば、やはり仏様の使いとして、その先輩は私の前に現れてくださったとしか思えない。

 その先輩が亡くなられる前に、私はご自宅を訪ねたことがあった。おそらく信心に行き詰まって、私は意を決して訪ねたのだろう。実は私はその人の前に出るととても怖くて、心臓がブルブルと震える自分をよく知っていた。その人の生命力もさることながら、自分のすべてを、それこそ三世まで見抜かれているようなそんな怖さがあり、その人の眼をまともに見ることができなかったのである。

 あとにも先にもそんな思いがしたのはその人だけである。その上、その方はいつも多くを語らない。その日も長い沈黙が続く中で、一言、「池田先生についていくんだな・・・」と言われた。それが先輩からいただいた、私への最後の言葉となったのだが、その時、その言葉は私の命の奥深く、楔となって突き刺さったのだと思う。その先輩が、私の命に、ここぞと打ち込んでくださったという方が正しいかもしれない。

 それから私が歩んだ道は、とても池田先生についていくというほど、立派なものではなかったが、それでも池田先生と学会を捨てずに歩み通してきた。今、その一念がいよいよ信念の巌となって私の命に根を下ろし、私は自分が広宣流布に生きる人だと覚悟するところまで、ようやくこれたのである。


 先頃の法戦では、協議会など通常の地区の会合のあと、本部の拠点に夜の9時から壮年が結集して3週間ほどの間、唱題会を行った。総県の幹部から分県、圏長、地区部長まで、早く来た人から横並びで、上下の隔てなく団子になっての唱題会である。

 毎夜、10名から15名が集い、力強く機関銃の如く題目が上がっていく。呼吸も乱れず、リズムもあってガンガンと上がっていくのだが、私はその中にいて、「ああ、この題目こそ関西の題目だ。池田先生に通じ、御本尊へと収まっていく題目だ・・・」そう感じていた。まさに唱題会の醍醐味を感じることができ、その魅力で私は片道20分かけて毎夜、その拠点へと通った。

 「池田先生についていくんだな」・・・私はそう命に楔を打って下さった先輩に、改めて感謝の思いをいだき、「なんとか池田先生についていっていますよ」と、己心で偲びながらお題目をあげていることもあった。

 その先輩にまみえた多くの友が、のちのち法華講へと去っていった。その命が私にもあると思われたのか、それとも創価の師弟に生きる私を見抜かれたのか・・・いずれにしろ、その方がかけて下さった最後の言葉に、私はこの人生を捧げてきたといえる。

 信心には善知識が必要である。私にとってはその方こそが最高の善知識の人であった。そして池田先生というさらなる善知識の師匠にめぐりあい、師弟の道を求道し、今日を生きている。それはきっと来世へと続く幸福の軌道であり、私のいくべき道なのだろう。

 その軌道に載ったことがわかれば、生命は安心し、自ずと歓喜と感謝の世界に入っていく・・・次はもちろん、多くの人に仏法を語らねばならない。その先輩もすごい題目の人だったが、自分の功徳は折伏でいただいたと仰っていた。

 怖かったその先輩の眼差しも、今は秋の陽差しのように優しいものに思える。来世もきっとその先輩に会うことだろう。その時に、「あの時の教えを守り、創価の道を全うしました」と胸を張って言えるように、しっかり精進していきたいと思う。







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2017
11.04

自転と公転

Category: 信心

 ここ10年以上、私は聖教配達をさせて頂いたお陰で、朝は5時過ぎに起きることが習慣となっている。代配がいないこともあり、新聞休刊日以外、休みはない。その代わり日曜だけは7時代の配達でお許しを願っている。最近は朝晩、寒くもなってきたので、朝一番、布団から出るのが億劫になってきた。

 目覚まし時計を恨めしげに止めて、しばらく布団に潜ったままでいると、やがて大宇宙から声が届く。「さあ、今日も広宣流布のために戦おう!」この声に自分の命もやがて呼応する。「よし、広宣流布だ!」そう言い聞かせ布団から這い出す。そして目を覚ますためにお茶を一杯入れて、車のカップホルダーに載せたらいざ出発である。

 最近になって広宣流布という目的に、自分が生かされていると感じることが多くなった。自分の小さな一日、活動がどう広宣流布に繋がっていくのか・・・池田先生が切り開かれた世界広布の大潮流の中で、私が20数件の家に聖教新聞を配達し、勤行をし、仕事に出かける。仏法対話や友の激励に走り、学会活動に汗を流す。こうした行動が、広宣流布に、また「一生成仏」や「宿命転換」にどう作用するのか・・・凡夫にとってはわからないことと言っていい。

 しかしそれはちょうど、大海の一滴のようなものだと考えていいと思う。つまりその一滴が集まって大海となるのであり、大海といえど、その一滴がなければ成り立たない。一人ひとりが、今いる地域で広宣流布のために小さな活動を積み重ねる。その一人の行動は即法華経という大海の水に同化するところとなり、我が身また大海となり法華経となりゆく。そうであるなら、私達の地道な民衆運動が、法華経を法華経たらしめているのだと言える。

 以前、ある方から、「自分の欲望や功徳のために信心するうちは、まだ本当の信心ではないのではないか?」と、コメントを頂いた。しかし、私はこの信心においてはそれは違うと思う。確かに自分を空しくしたり、欲を持たずに広宣流布に生きればきれいに思うかもしれない。しかし、人間の生命はそうはできていないし、そんなことはできないものだ。

 私たちは食欲があるから元気を出せるのであり、物欲があるから、経済も活性する。夢があるから向上することもできれば、功徳が欲しいから仏道修行に勤しめる。それが人間の本来であり、自分なりの願望や欲望を捨てれば、かえって無気力になり、生きる希望もなくなるだろうと思う。私など功徳が欲しくてしょうがない方の衆生だ。

 欲を上手に使いながら、またコントロールしながら人は生きているのであり、自分を良くするために、また自分のために一生懸命生きようとするその働きは、地球でいえば自転の働きに例えられる。

 そして地球は自転だけではなく、同時に公転をしている。信心で言えばそれが広宣流布の運動と言える。自分のために一生懸命頑張りながら、広宣流布という大きな公転に則っていく・・・これが正しい宇宙の法則である。公転を仏に、自転を凡夫と見てもいいかもしれない。凡夫でありながら、同時に仏の生命である。

 信心が進むということはこの公転を意識した生命、つまり広宣流布に生きる仏の生命、生活になることだといえる。自分だけの幸福から友の幸福、世界の平和と言った、菩薩の生命へと変わっていく。それでも五欲もあれば、地獄も餓鬼界も捨てはしない。そして自転と公転のどちらも大事にしながら、それぞれが最高の使命に生き抜いていく・・・仏の生命、生活が貧相で、明けても暮れても喧嘩ばかりしているなどというのは、それは公転の働きに生命が合致していないからだ。

 私もようやく、広宣流布に生きる生命へと変革してきた。朝な夕な祈るのは地域の広宣流布であり、世界の広宣流布である。その上で自分のことも祈る。その祈りから広布の戦いに出発し、一日の活動を終えて、また夜の眠りにつくのである。

 太陽も地球も毎日、単調といえば単調な動きの繰り返しだ。しかし、その単調な動きの中に、波乱に富んだ多くの人の生き様がうごめいている。その人の生命は地球よりも太陽よりも大きく宇宙大であると説かれる。しかしそのことを誰も知らない、そのため争いがこの世から絶えることもない。

 私もまだまだそういう一人であり、それ故に我見に走らず、仏の教えに殉じ、創価の師弟の道で、一日も早く生命の真実を得たいと願う。あとから続く道を求める多くの人のために、雪山童子の如く悟りを得て、仏法の本義を正しく伝えゆく自分とならねばならない。







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