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2019
12.12

常在戦場

Category: 徒然の記


 12月も半ばとなり、少しづつ今年も押し迫ってきました。私も昨日は新年勤行会の案内などを以て会員宅を訪問しました。とはいえ座談会もありますし、私は年末になってもまだ目標に向かって戦っている最中で、年内折伏の決着をつけたいと思ってやっています。

 「未曾暫廃」(みぞうざんはい・未だ曾て暫も廃せず)、「毎時作是念」(常に自ら是の念を作さく)と仏は片時も休まず、広宣流布に生きておられるように、私もそう生きたいものだと思います。それが自分の道であり、本望であり、今はいよいよそう生きていく自分となってきました。「常在戦場」・・・戦いゆくその心あれば今の姿は立派でなくても、未来は開けてとても明るいものです。

 昨日も本部が新体制の元、出発式を行い、折伏の結果を出そうとみんなで決意いたしました。会合後も幹部が残り、一つづつ下種先や入会の可能性のある家の確認を行いましたが、私も三名の方の入決について同志の方に相談をいたしました。皆さん、真剣で本当に立派なリーダーの方たちです。その人たちのことを昔は「この人は今一つ」「あの人はここがどうも」などと見ていたこともありましたが、最近は皆さんが自分よりも素晴らしい人に見えて、「どの人も仏の使いの方々」と思えるようになりました。それだけ私も変わり、皆さんも人間革命なされたのだと思います。



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 信心は行き詰まれば題目ですので、折伏にしても策や方法ではないと思います。入会に導きたいと思えば相手の幸福を御本尊に祈るしかありません。その志と実践の中に必ず結果が出ることを確信します。

 題目に挑戦している人には行き詰まりはないというのは本当ですね。唱題会に勇んでくるような人はやはり輝いておられますし成長されています。どんな苦しい立場にあっても、「題目しかない」と挑戦する人こそ、信心が進んでいる人と言えないでしょうか?「進まざるは退転」ですので、題目に挑戦しない人は厳しく言えば退転している人だと私は思います。

 外部の方と縁を結ぶのは対話しかありません。いかに対話にもっていくか・・・聖教新聞の集金に回っても、集金するだけではなく、地元の学会の代表として和やかに話をする・・・何かしら心を通わせることが大事だと思います。話が上手とかではなく、「対話力」とはまず相手と打ち解けて話をする力のことだと思います。

 先日も外の高齢の婦人の方ですが、昔の仕事の関係の方からの啓蒙で新聞をひいておられ、その集金で訪問しました。いつも通り「こんなん読まないのに仕方なしにひいてるんや」と、最初はそんなことを言われます。それでも気心がわかってきたのか最近は玄関に腰を下ろしてその方と1時間は話をするようになりました。家庭の話から地域の話、世相の話とその内容はいろいろですが、相槌を打ちながら聞いて話しているうちにどこかしら心が解け合っていくものです。

 もちろん信心の話もしていきます。田舎は因習が深く、どの家も仏壇が大きく他宗のものや先祖のものなどたくさんありますので、題目を唱えることは了解されても、謗法払いには相当な抵抗があります。私の折伏の場合、行き詰まるのはたいていその点です。それでも相手の口に題目を唱えさせんと根気よく励むしかありません。

 唱題に励み、仏法対話に励む・・・それが私の信心のリズムです。ほかにあれこれ難しいことはありません。その修行を喜んでやるなら自然と生活上の悩みも解決し、功徳は湧いてくることを実感します。

 ある幹部の方が、結局、外部の人は学会員の生活をよく見ており、それ自体が折伏に通じるという趣旨の話をされておられました。その通りですね。それは田舎も都会も関係ないと思います。地域とどう関わっているか?生活態度は真面目か?ご近所を大事にしているか?人間性は信用できるか等々・・・そういうところをとてもよく見ておられるものです。人は普段の些細な行いを大切に振る舞うことでしか信頼を勝ち取ることはできません。また仏法と言ってもそういうところに出るものでしょう。もちろん私ももっと人間力を磨かないとなりません。

 新年と言っても、会館の勤行会に参加し、創価大学の駅伝を応援する以外、これといって何も予定がありませんので正月を返上して題目でアクセルを吹かしていきたいと思います。「常在戦場」を誓い、年末年始を地涌の菩薩の心意気で駆け抜けてまいります。
 

 
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2019
07.25

法戦を終えて

Category: 徒然の記


 多くの同志の皆様、法戦大勝利おめでとうございます。兵庫は苦しい選挙戦でしたが、激戦に勝利することができました。地元をはじめとする全国同志の団結の勝利だと思います。「兵庫を勝たそう!」という支援を全国各地から頂きました。その意味で兵庫の勝利は創価同志全員の勝利だと思います。

 また今日よりは気持ちを切り替え、勝って奢らず・・・兜の緒を締めて、次なる峰に向かって歩を進めたいと思います。



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 選挙当日、私も諸天の加護を感じながら走っておりました。早朝から「Tさん入れたよ!」「投票、行ってきたよ」と外の方からいつになく連絡をいただいたり、また普段は話がうまく通じない障碍者の方が、喜んで選挙に行くと言ってくださったり・・・すべてがスムーズにうまくいきますので、「今日は勝てるぞ」との確信を持って回っていました。婦人部の方とも連携を取り、皆さん連れ出しによく動いていただきました。結果、全体の投票率が下がる中、前回よりもわが町は得票数を伸ばし、候補も当落線上から2位当選・・・県内では歓喜が爆発しました。

  一人一人、自身の宿命転換を賭けての戦いです。広宣流布のために、健気に戦った人には必ず功徳があります。私も動くほどに、生命に勢いが出て、これまで会えなかった人ともたくさん対話できました。そして大きな功徳をいただきました。戦い終えて、今、私が一番感じることは先生と共に、先生の下で戦うことほど誇らしくまた楽しいことはないということです。終わったばかりですが、早く次の戦いがやりたい・・・と、そんな前のめりの心境でもあります。

 翌日、聖教新聞を配達しながら、「池田先生、兵庫は勝ちました。」と心の中で叫んでいました。これからは、行くところ行くところ連戦連勝でいくのだ!との思いが湧いてきます。途中、出会った外の婦人も(前回の記事で四国の婦人達を案内した地元の方です。)「良かったねえ。私も心配で、あれから2回も友人のところに頼みにいったのよ」と言われたので、「あなたはもう学会員以上ですよ。これを機会に入会しましょう!」と言いますと「いや、それはまだあかんねん!」(笑)・・・しかしその顔は学会の勝利を我が事のように喜んでくださっていました。

 学会の題目の力はいざという時に諸天を動かすことができる・・・兵庫中の題目で諸天が大いに動いた法戦でした。時には魔民さえも仏の応援に回ります。K市では立憲の党員である市長が、公明市議の日ごろの市政への貢献に感動し、「今回はTさんを応援します」といって、公明支援に大きく動いてくださったとの話も聞きました。

 仏の生命とは、三世永遠に師匠とともに戦いゆく生命です。今世だけではない・・・来世も、次も、またその次も、永遠に師匠と共に広宣流布に戦うことを決意した生命です。その心で自身の生命を固めることができれば、死も恐れなく来世に旅立てる。また明るい未来を三世に開いていくことができる・・・そういう安心と確信の生命へと変革していくのですからすごいことです。信心に反対する人は、その徳をもらうことができない・・・これは同じ人に生まれ、大きな損だろうと思います。

 ともあれ冥の照覧は絶対です。人の眼につかなくとも、足で歩き、口で語り、広布に貢献した人の功徳は絶大であります。私が言わずとも、戦った人はみんな功徳を受けられることでしょう。

 さあ、白馬がパッパッと駆けゆくように、大宇宙に信強き題目の音声を轟かせ、いよいよの思いで後半戦のスタートを切っていきたいと思います。

 

 
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2019
06.28

N君の転居

Category: 徒然の記


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 最近、私の支部の男子部のN君が会社の寮を出ることになり、支部のメンバーで彼の新しい部屋を探すことになりました。ところがここは田舎ということもあり、手ごろなアパートがありません。あっても夫婦向けのレオパレスのようなものが多く、家賃もいい上に入居にもまとまったお金が必要です。

 一般民家の空き家はあるのですが、これはこれで大きな家ばかり。母屋に離れ、庭付きで、建物も古く、独身男性にはとても維持ができません。

 思案に暮れて、御本尊に祈っていましたら、私の脳裏にある一軒のお宅が思い浮かびました。そこは町の最も北端の山深い集落にある学会員のお宅です。といっても、10年前に地区部長だった主人が亡くなられ、奥さんも施設に入所。それ以降、空き家になっていたのです。昨年、その奥さんも他界され、組織で友人葬や納骨のお手伝いをいたしました。

 ご夫婦にはお子さんがいないので、喪主の方に相談しましたら、今は奥さんの弟さんが管理しているとのこと。紹介をもらい、その方に話を伺いに行きましたら、「空き家にしているより住んでもらうだけでもありがたい」という返事です。

 それで家の中を見せてもらいましたが、それこそ生活品が当時のまま・・・衣類や布団や古い電化製品、台所には大量の食器、梅干し壺や保存食材もそのままあります。何やかやとトラックいっぱいほど、処分が必要でした。

 そこに男子部のためならばと、婦人部3名が志願してくださり、一日がかりで大掃除をしました。また管理人さんも、家周りを修理したり、風呂やトイレを使えるようにしてくださいました。その結果、家は見違えるようにきれいになったのです。

 家は広い玄関があり、1Fは台所と廊下をはさんで部屋が5つ。トイレも大小あり、ウオッシュレットです。お風呂も大きく洗面所もあります。さらに2Fも2間あり、物干しのあるベランダまでついています。古い建物とはいえ、これで家賃2万円で話がまとまりましたので、管理人さんも諸天善神となってくださいました。

  何と言っても仏間にはりっぱな紫檀の仏壇がそのままあるのです。床の間には池田先生ご夫妻の写真や御書も当時のまま。学会からの表彰状も鴨居に飾ってあり、つい昨日まで拠点として座談会に使っていたかのような佇まいです。

  そして昨夜、総県の男子部長もきて入仏式を行い、御本尊様を無事に御安置いたしました。その瞬間、本当にその家に魂が入ったように私は感じました。空き家となり、やがて取り壊される運命だったこの家に、サーと光が射しこんだような、暗い洞窟に明かりが点灯したような、そんな感覚に襲われました。

 「謗法のない家は気持ちいいね。亡くなった地区部長さんもきっと喜んでおられるよ。」と私が言うと、男子部長が「N君は福運があるなあ。折伏頑張っている功徳だね。」と言いました。家は隣の民家とも離れており、唱題の声も気にすることはありません。側には小さな谷川が流れており蛍も舞います。男子部が集まるにも、地区の座談会にも格好の場所と言えそうです。

 地元の自治会にも挨拶に行き、学会宣言もいたしました。「あまり付き合いを気にしないで、できるだけ長く住んでください」との返事。きっと地区部長だった主人が、地元で学会理解の輪を広げてくださったに違いありません。うまくいく時はとんとん拍子に話が進みます。


 私も30代のころ、この家には2,3度、座談会でお邪魔したことがあります。都会で入会して田舎に帰ったものの、「こんな辺鄙(へんぴ)なところに学会員なんかいるものか」と思ったものです。ところが何軒かの純朴な学会員がおられ感動しました。主人の実直な人柄も知っており、旧習の深い地で、草創から信心を貫き生涯を終えられたのですから、信強き立派な方でした。

 N君は実は横浜の出身です。都会育ちの彼が、関西のこの山深い田舎の家に住むことになろうとは、本人も想像できなかったことでしょう。やはり不思議な縁、運命としか言いようがありません。また私たちとともに今、信心をしている・・・このことも決して偶然でないとすれば、一体過去にどのような宿縁があったものか・・・

 山の緑、田の緑が広がるこの素晴らしき天地。どうかN君が青年らしく、さわやかな人間革命の戦いを綴っていってくれることを祈っています。




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2019
05.01

貴辺にまかせたてまつり候ぞ

Category: 徒然の記
 
 平成から令和へと、元号も改まったこのゴールデンウイークを、皆様いかがお過ごしでしょうか?

 法戦の方も一息つきましたが、連休明けからはまた忙しくなりそうです。こちら兵庫も7月の参議院選挙には新人候補が立ちますが、先月はその候補が私の地区に来られ、田舎の拠点に50名を超える支持者の方が集いました。背の低い私と違い、候補は185㎝の痩身の外交官、一緒に並んで二人で写真を撮りましたが、できれば撮りたくなかったほど(笑)、同じ男とは思えない凛々しき好青年です。なんとしても勝たせてあげたい、そんな思いでガッチリと握手を交わしました。



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 今朝は体にも疲れがあって、シャキッとしないなと思いつつ、外で車を洗っていましたら、向こうから我が家を訪問してくる見知らぬ人がいます。二人連れの女性で、一目見て「○○の証人」というキリスト系の信者だと思いましたら、案の定そうでした。

 仕事の時はお断りですが、今日は時間もありますので、「こんにちは、○○の証人さんですね。」と、こちらから話しかけました。実は私の従弟夫婦が熱心にその宗教をやっていますので、向こうの話の内容はだいたいわかっています。

 創価学会の話をしても、その人たちがそこで改心するということはありませんので、ここはしっかりと下種したいと思い、私は日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」の話を、内外相対や三世の因果の上から話をしました。内道ゆえに宿命転換ができること、また生命や宇宙を貫く法を説き、その法に則って生きていくところに、その人本来の幸福が現れてくることなどを話しました。向こうは神がこの世を作り、神が我々を産み広げたという考えであり、神と信者とは別々です。「そのような外道の生命観では、生命力を強くすることもできず、宿命を打開できない、挙句、正しい法に背くために不幸になるのです」と切り返しました。       

 その間、私はいらだちもせず、にこやかに話をしたこともあり、向こうもよく話を聞いておられました。「何か生き生きとされていますね」と、私を見てそう言われました。(本当は調子よくなかったのですが、話しているうちに元気が出たようです。)
 「あなたがたの生命も仏ですよ。過去の因果もあって、今世はその宗教をやっておられますが、いつか法華経に必ず入ってこられます。その時はまた訪ねてきてくださいね。一緒に幸福になりましょう。」と、そう言って別れました。

 朝からだるかった体も、仏法対話でシャキッとしました。私を元気づけるために、この人たちが訪ねてきてくれたような、突然の訪問でした。

 こちらには私の家からそう遠くないところに、日蓮系の仏立宗というのがありますし、真言や念仏はもとより、天理教や新興宗教もあります。いつかそこの人たちとも対話をするべく、私は常日頃、「会わせてください」と祈っています。仏法を人に語った分だけ、生命の妙法が歓喜して勢いづくことは、どなたも体験されていることでしょう。「人を憎まず、邪教を憎みて」・・・人を救うべく対話に励みたいと思います。


 「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし」
(御書1467p)

 有名な「高橋殿御返事」の一節です。これほど勇気づけられる御文はありません。その地域の仏法はあなたに任せますと、大聖人様は言われています。「え?私? 何かの間違いではございませんか?ほかにも信者さんが大勢おられますし・・・」などと言ってはいけません。(笑)

 「私に任せられたのだ」「その使命をもってこの世に出現したのだ」「がってん!」と、そう呼応したいものです。姿かたちは凡夫でも、内証は仏との確信を奮い起こし、広宣流布に生きていく・・そう決意すれば、大宇宙の軌道に載って、目先の不幸など小さくなるものです。

 さて、連休は鋭気を養い、栄光の5.3から7月、後半の折伏戦へと、弾みをつけていきたいものです。どうか皆様も有意義な連休をお過ごしください。

 


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2019
04.02

我ら命の青年桜

Category: 徒然の記


 当地でも桜の花が開花の時を迎えました。私もおじさんですが心が春めいて気持ちも華やぎます。(笑)信心や生活も毎日が平凡なことの繰り返しですが、その中でも季節が変わるように節目というのはどなたにも訪れるものですね。

 年を重ねても生命は若返ることができる・・・それが信心する者の強みです。先日、私も20年ぶりにある友人に電話をしましたが、「声にハリがあって、元気ですね」と言われました。「信心してると元気になるんですよ。生きる力が湧いてきますよ。」と私も素直に答えました。




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 入会して長年、芽も出ず、日も当たらず、もがき苦しんできた私ですが、近年になり、新芽が土をけ破って地上に出てきたように、心にも明るい光が降り注ぎます。「御本尊は私を見捨てなかった。これからは妙法だけで生きるのだ。ほかの智慧はなくて大丈夫。」と、心中、安心できるのです。

 入会してから30数年も経つわけですが、その間、陽の当たらない土の中深く、枯れ尽きた生命の根に題目を沁みこませ、陰徳を根気よく積んできたゆえに、ようやく春がやってきたのでしょうか?長い冬の間、あまりいいことがなくても、なんとか耐え忍び、信心から逃げなかった・・・派手さはなくても一生成仏のためにはそういうことが大事ですね。

 世間で言う金儲けには縁がありませんでしたが、信心の財宝をいくらかでも得ることができたと思います。これは来世はもちろん三世永遠に持っていくことができる・・・今世の貧乏や病気など、それに比すれば物の数ではありません。

 根っこが蘇生すれば、必ず地上に芽が出て若木となり、いつしか大樹にもなることでしょう。凡夫ですから、すぐに花も実もほしいのですが、やはり物事には順序と道理があります。「途中はいろんなことがあっても、最後に勝利しなさい」との先生の指導はまことに意味のある深いお言葉です。

 三世永遠から見れば今世は一瞬です。信心を頑張れば仏の生命となって生々世々生きていけます。それゆえ魔王もここぞとばかりに襲ってくるのでしょう。強い信心に立てばなおさらですね。信心する人に苦難や宿業が強く出るのも、これまた道理であり、深い意味があるものです。

 学会に不信をなす人、退転しゆく人は、そこの辛抱が足らず、信心を投げ出してしまう人ではありませんか?その時に退転の言い訳けを決まって人のせいにする。決して自分の不信のせいだとは言わないものです。不信の命に誑(たぶら)かされた自分がわからないのですから、誰かのせいにしないと立場がないのでしょう。

「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」(御書1536p)
「諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(同236p)
「法華経を信じる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(同1253p)・・・私たちが幸福になることは大聖人様が随所に御断言です。確信弱き同志の方には、常に御書を通して励ましを送っていきたいものです。

 昨夜もまた婦人部の方数名と唱題に励みました。唱題の後にある方が「もうどこそこの桜は咲いたかな?」と言われたので、私は、「眼の前にもたくさん桜が咲いていますが」と言いましたら、「いやあ、姥桜と葉桜ばっかりやわ」と笑われました。
 
 姿は老いても、心は青年で生きていく・・・「年は、わかうなり福はかさなり候べし」(御書1135p)といきたいものですね。

 「姥桜 いいえあなたは 妙法の 青年桜と 見えて候 」(剣)

 さあ、大宇宙の法味に浴しながら、時には生命の歓喜を謳う春の花々と語り合いながら、張り切って前進していきたいと思います。





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