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2020
03.13

生命の奥底が聞いている

Category: 信心


 春も本番だというのに、世界中、コロナウイルスに人々は怯え、大きく行動も制限されています。経済面だけでなく、精神面でも大打撃を受けており、明るい話題もほとんどない昨今ですね。ウイルスや細菌というのは本当に恐ろしいものだと、今回改めて身につまされました。

 今日も開店前から田舎のドラッグストアーの前に、マスクやトイレットペーパーを求めて行列ができていました。またその群集心理を利用して金儲けを企む人がいたりするのですから、人間というのは抜け目ない生き物です。

 私も一日も早いその終息を願い、支部のメンバーとともに先々週から週2回の同盟唱題を始めました。日ごろの用心とともに御本尊に終息を祈ることが一番の兵法になると思います。学会のほうも会合は全面ストップですが、そうなってみますと日ごろの学会活動がいかに大事でありがたいか・・・身に染みてわかるという方も多いのではないでしょうか?



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 人間は大体怠け者にできていますので、組織で音頭を取ってもらわないと、折伏に行くのにもつい億劫な心が出るものです。その惰弱な心を魔と見破り、一歩でも前進していきたいものです。そのためにも真剣な勤行唱題を根本に知恵を絞ることだと思います。私も会合がストップしてから、20部の「ワールドセイキョウ」を手渡しながら友人を訪問してきました。また小型のテレビを買い、出先でも学会のSTB番組を見れるように車に積んでいます。何としても仏縁を広げていきたい・・・因習の深い田舎ですが、爪を立てる思いでやっていきたいと思います。

 折伏というのはその時、相手が信心しなくともやるべきものです。というのも私はかつて友人から折伏を受けて、27歳の時に入会したのですが、学会に入ってみますと周りの友人知人に多く学会員がいたことがわかりました。私はその人たちに「どうしてもっと早く私を折伏しなかったのだ?」と聞きました。そうしますと「お前だけは絶対、信心しないと思っていたから・・・」という答えが返ってきたのです。

 「おいおい、俺はこんなにも妙法を欲していたのに・・・」と思ったものです。もちろんそのころの私は「宗教なんか信じるものか!そんなものみんな嘘っぱちだ。教祖がいい思いをするためにみんな洗脳され利用されてるんだ。君らこそ哀れな人たちだ」と表では思っていたのです。そして自分はと言えば目先の享楽を求め、面白可笑しく暮らせばいいぐらいの考えでいました。今、思いますと酒に酔って本心をすっかり失くし、地獄の釜に片足突っ込んでいたようなものです。そのまま行くと、あと少しで奈落の底へと落ちていたに違いありません。その寸でのところで折伏を受けたように思うのです。

 表では宗教を馬鹿にしていたものの、自分も知らない生命の奥底では、妙法を強く恋い慕っていた・・・それが折伏を受けた瞬間にここぞとばかりにガーンと出たのです。一瞬に表の不埒な心は吹っ飛んで、本来の自分が酔いから目を覚ましました。それによって私は救われたのです。

 こんな私が今や地域の学会の先頭に立って喜んで活動に励んでいるのですから、人間なんて180度変わる生き物です。おかげで今は最高無上の幸福道を闊歩しゆく自分となりました。生活上に善悪はありますが、それらに振り回されることもなく、「南無妙法蓮華経だけあればいいのだ」との心境で、御本尊に向かって生きています。

 そういう自分を知っていますので、やはり折伏というのはやらないといけないと思うのです。「あの人に話しても無駄だよ」「あいつは信心しないだろう」というのは、相手の仏性を信じない心が言わせているのです。どの人にも仏性があるというなら、どの人も折伏の対象者です。

 確かにその時、信心しないことのほうが多いかもしれません。しかし、折伏すれば目を吊り上げて怒る人も、生命の奥底では妙法の話を聞いている。そしてどの人も籠の中の鳥のように、幸福の大空に向かって飛び立ちたいと欲している・・・私は反対する人にもそのことを感じることがあります。むしろ信心しない人ほど語って聞かせて仏縁を結ぼうというのが、下種仏法である折伏の本来の意義ではないでしょうか。

 「信心は外交戦」・・・との戸田先生の言葉が私は好きです。信心の強い人はやはり折伏闘争をやるものだと思います。やれば折伏ほど充実して楽しいものはない。折伏は人が見ていないところで、自分が決意してやっていくものです。コロナで逼塞した世の中ですが、その間にも自分の信心の剣を磨き、ここぞという時があればいつでも臨戦態勢で対話に打って出るのだ・・・そういう思いで怠りなくなくやっていきたいと思います。








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2020
02.20

折伏に歩かぬ仏はいない

Category: 信心

 ところどころ梅の花も咲き始め、春がもうそこまでやってきたようで心は華やいできました。国内ではコロナウイルスの問題で混乱が続いています。国民の生活全般に支障が出ており、人々が不安な毎日を余儀なくされています。こういう伝染病は仏法上は総罰と言ってもいいのかもしれませんが、魔の所為でもあり、鬼神が乱れてウイルスをもって世界で暴れているというふうに言えるかと思います。

 学会でも小会合も含め、当面、人々が集うことは控えるようにとの打出がありました。折伏闘争の機運が盛り上がっている時ですので残念ではありますが、この災いを信心の心で上げ潮に転じていきたいと思います。


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 組織でもこんな時、どういう戦いをすればいいかとの話がありましたが、私は個人活動に頑張れるいい機会ではないかと思います。平日は夜の会合が入ることも多いですが、ここしばらくは何も予定がなくなりましたので、個人折伏や家庭訪問に時間を使えます。

 昨日も今朝も外部の方に、「ワールドセイキョー」という冊子を贈呈し、仏法対話に挑んできました。どなたかに差し上げようと20部ほど買いましたが、あっという間になくなってきましたのでもう少し買おうかと思います。それをもって毎日、二人を目標に対話に挑戦です。またSTBモバイルをいつでも見れるように、小型のテレビも購入しようと思います。出先でもすぐに視聴できるのは有効です。

 地域でも折伏が進んでいますが、先日、友人の折伏に同行させてもらい、自分の功徳を語りました。私の功徳は生命が変革したということです。それを自分なりの言葉でまた人に伝わるように平易に語りたいと心がけています。その方に「暗かった私の生命に明かりが灯ったんですよ」とそう言いました。「その明かりは自分だけでなく、人を照らし、世界を照らし、未来を明るく照らしてくれます。悩みがたくさんあっても、その明かりが灯っていれば悠々と見下ろしていけます。その明かりのおかげで今日も明るく、明日も明るく生きていける・・・死んでも明るいと思えるようになりました。」と・・・

 折伏に歩かない仏などいないことでしょう。「あの人にもこの人にも語りたい・・・」そんな思いであふれるようになれば、やれと言われなくても体は自然と仏法対話に向かうものです。そうなるとますます生命が頼もしく感じるのです。

 折伏に行って何を話していいかわからない・・・と、そんな人もおられるかもしれません。でも私は小さくてもいいから自分の体験を一言でも話して来ればいいと思います。自分の体験がなければ聖教新聞の体験をもっていけばいい。(笑) 「ありがたい御本尊様です」と言い、悩みのある人には「必ず解決していきますよ」と教えればいい。そして例え相手が入会しなくても「今日も仏様のお使いをしてきました。嬉しくてしかたありません。ありがとうございます」と御本尊様を見つめて報告すればいいと思います。

 この信心をする以上、宿命転換も内なる生命が変革しなければならない。されば暗くて不幸の強い人ほど、この信心は大歓迎です。不幸なことが不幸なのではなく、その不幸を吹き飛ばせることがわからないことが本当の不幸です。100万年冥(くら)き生命の洞窟に妙法という明かりが灯れば、その人はどんなに不幸が強くとも明るい仏となり、不幸に負けなくなります。その上、この仏様は無敵です。妙法が何かに負けるということは絶対にない・・・絶対不敗の金棒を身に持っているようなものであり、どんな魔性も不幸も叩き切ることができる。使い手に必要なのは妙法への絶対の確信だけでいいのです。


「ワールドセイキョー」には池田先生の次の詩が掲載されています。

「他人と比べて一喜一憂する生き方は、
 最終的に必ず行き詰ってしまう。

人生は桜梅桃李である。
 自分が他人になることはできない。

自分は自分らしく大輪を咲かせていけばよいのだ。」
(四季の励まし)


 桜のあなたも梅の私も、スモモのあの人も、みんな大地に根を張り、春の訪れとともに一斉に花開く時がやってきました。耐えて、耐えて、耐え抜いて、常楽我浄の仏の花を、今世の内にともに咲かせきっていこうではありませんか!

 

 

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2020
02.02

波浪を乗り越え、我らは進む

Category: 信心

「広宣流布も信心も同じだよ。ひとたび帆を上げたら、嵐がこようが、何があろうが、前進するしかないんだ」
(「新・人間革命」第8巻・布陣の章・62p)

 これは奄美大島に指導に向かわれる船上で、船酔いに苦しむ同行の幹部の方に、「港を出た以上、船から降りることはできない。前に向かって進むしかない」という意味で、先生がお話しされたものです。

 私たちはこの世に生を受け縁あって、「創価丸」の一員となりました。魔軍が待ち構えていようとはよもや夢にも思わずに・・・(笑)大海原に「一生成仏」という楽土を目指して航海に出たのです。池田先生を師匠・船長と仰ぎ、襲い来る波浪を団結で乗り越え広宣流布を目指していく・・・それが創価池田丸の大船団です。今や世界192か国から呼応して船が集まってきました。



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                     ( 京都府・丹後半島)



  各地域にあっては、誰一人、下船することのないように、皆で励まし合っていかねばなりません。幹部や役職など関係なく、困っている人、苦しんでいる人に寄り添って、ともに最後まで旅を全うする・・・その意味で親や兄姉の思いで同志を慈しむのは当然です。

 最初は自分のことしか考えなかったような人間が、他者に愛情を注ぐようになる・・・これは大きな「人間革命」だと言えないでしょうか?私も自分の人間革命を問われれば、「人嫌いで自己中だった自分が、多くの人を尊敬し愛せるようになりました」と言いたいと思います。相手の欠点ではなく良い部分が見えるようになれば、どなたも自分より素晴らしい人材に思え、尊敬できるようになるものです。
 
 長年、私も研究しましたが、夫婦や家族は褒めて讃え合うようになる以外に、一家和楽の道はないことを発見しました。(笑)大発見です。あり余るお金を奥さんに持って帰れば夫婦円満かもしれませんが、お金が切れた時は悲惨です。そんなお金のない時も互いを尊敬し褒めあっていけば何とか楽しくやれます。心まで貧乏になることはありません。沢庵と白いご飯を出してくれるだけでも感謝できます。それに焼き鮭でもあれば「素晴らしい」と讃嘆できるではありませんか。

 まだまだ人の素晴らしさが見えないとすれば。そこに境涯革命が必要になってきます。心の眼、生命の眼が濁って、相手の悪いところしか見えない。その曇ったレンズを相手の良さが見えるまで磨かねばなりません。題目で磨いて仏の生命が開いてくれば、どの人の生命も素晴らしく見えるに違いありません。

 さて新年から気持ちも新たに「新・人間革命」を少しづつ研鑽始めました。組織では7巻を今やっていますので、私は予習の意味で8巻から再スタートです。「法華経の智慧」も並行して読みます。私はとても遅読で少し読んでは気になるところに線を引いたり書き込みもします。そこでしばらく立ち止まり、思案したりまた前に戻ったりといった調子ですので、1巻読むのにとても時間がかかってしまいます。30巻通しではいつ全部読めるやら・・・

 その代わりゆっくり読むことでいいこともあります。食事と一緒で、よく噛んで味わえるということです。
描かれている時や場所に自分がそこにいればどうするだろうかと考えます。登場人物の人間性や善悪なども深く洞察できます。描かれる事象から仏法を考え、吸収し、自分の血肉としていかねば、せっかく読むのにもったいないというものです。ザルの目から黄金をこぼすまいとの思いで学びたいと思います。

 記事冒頭に紹介しました一節も何気ない言葉ですが、多くの人が退転していったこれまでの歴史を振り返れば、とても意味深い言葉に思えます。悪知識にあって創価丸を見捨て退転した人の末路ほど哀れなものはない・・・それゆえ「誰一人としてこの道から落とすまいぞ」との信念と、仏法の因果の厳しさを知っておられるゆえの親心のような心情が、行間から伝わってくるのです。

 
 さあ「伝統の二月」がスタートしました。折伏と言えば難しい戦いのように思いがちですが、感謝と歓喜の生命をもって楽しくやりたいものです。私も歓喜の生命をもって渦巻く娑婆の大海に躍り出ます。そしてシャチの如く体を躍動させ、弘教に邁進していきたいと思います。






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2020
01.14

君自身が「御本尊」

Category: 信心



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                            2020年初日の出


   
 皆さま、新年明けましておめでとうございます。
 2020年が開幕し、元気に新年を出発をされたことと思います。新春の箱根駅伝では創価大学トップの米満君、アンカーの嶋津君の大激走があり、シード権獲得となる9位の大勝利・・・波乱の展開もさることながら、眼の障がいに負けない嶋津君の姿に、内外に大きな感動が広がりました。本当におめでとうございます。

 一昨日、早速、年初めの座談会があり、私も御書講義を担当しました。
「末法に入つて 法華経を持つ 男女のすがたより 外には宝塔なきなり 若し然れば 貴賤上下をえらばず 南無妙法蓮華経と となうるものは 我が身宝塔にして 我が身 又 多宝如来なり「御書1304p)

 この「阿仏房御書」に信心の真髄もあると思います。
 「神様は素晴らしい、教祖は偉大だと言う宗教はあれど、「あなたこそが仏ですよ」と讃えているのはこの宗教だけではありませんか。法華経をたもつ私たちが宝塔であり仏です。またそれだけわかればいいと仰せです。今、キリスト教の世界にも内道たる「人間革命」の教えがどんどん広がっています。この10年は創価学会が世界宗教になっていく10年であり、本当にすごい時代の幕が開いたのです」・・・私はそうお話ししました。

 私も今年から新しく生まれ変わった思いでやっていこうと決意しています。「唱題で一切を切り開くのだ」「先頭に立って折伏をやるのだ」と一層、強い思いにかられます。

 「題目しかない」と腹が決まれば、信心に迷うことはありません。それが決まらないうちは、信心に迷っているとも言えます。本当に困り果てて拝むしかないとなれば、そこから本当の信心が始まるのだと思います。

 仕事を持っている人であっても、一日一時間の題目はあがります。また外にいても胸中唱題に励めます。時間の長短だけではなく真剣な祈りが大事だと思います。私も朝は5時過ぎに起きて1時間の聖教配達です。仕事もあれば、夜も毎日のように会合があり、帰宅すると九時を回ります。その中を朝から晩まで題目を唱えぬいて前進する決意です。

 先週はほかの地区の座談会にも出て、各地区の皆さんから大いにパワーをもらいました。やはり人の輪の中に入ると、寒さも吹き飛び元気が出るものですね。題目と活動・・・その両輪があってはじめて車となってまっすぐに進みます。また日曜、月曜と二日間休みでしたが、私は新年勤行会に参加できなかった人を中心に、精力的に家庭訪問に歩きました。唱題、折伏、家庭訪問・・・その実践と行動の中に、自分の人間革命もおのずと進展していくことを確信しています。

 昨夜、同志の方に贈る言葉を探していましたら、池田先生の指導にこんなふうに書いてありました。

 (=父が未入会であることに悩む学生部メンバーに対して)
池田先生:そこで「仏法」を出すからいけないんだ。そんな必要はないんです。君自身が「仏法」であり、君自身が「御本尊」なんです。御書にもそう書かれているじゃないか。大事なのは、親を思う子としての振る舞いです(新・人間革命第25巻「人材城」)

 まさに阿仏房御書の通りですね。私たちが仏法であり御本尊です。その代わり、普段、御本尊のような振る舞いができなければいけません。何かあるたびに愚痴ったり、怒ったり、また親に向かって、「仏法」をわからせようとしたり・・・(若い頃は私もやりましたが。汗)それではお寒い親不孝菩薩です。

 私にも年老いた母がいますが、あれこれ理屈で言う前に、親に感謝して優しく振る舞うことのほうがどれだけ価値的か・・・今頃になって身をもって感じます。自分がその振る舞いになれば、親もこちらに感謝を感じ、信心にも納得せざるを得ないことでしょう。

 また家に暖炉がひとつあればいいとの指導もあります。暖炉が一つあるだけで皆が暖かい。それと同じで信心する人が一人いれば、その功徳は家中を満たします。だから信心のことで喧嘩など絶対してはいけないとあります。日蓮大聖人が一家に一人おられるとなれば、その家はそれでもう十分すぎるのではないでしょうか。

 人から見て「あなたのようになりたい」「あなたの人柄や生き方が素晴らしい」と言われることは仏法の素晴らしさの証明となり、大きく折伏に通じていきます。それこそが「人間革命」する人の本当の折伏であり、私もそうありたいものです。
 
 今年から2030年までの10年は、私としても今世の勝負を決する10年だと思っています。その時に当たり、創価学会の一リーダーとして戦えることは本当にありがたい・・・まさに血沸き肉躍る思いです。私にとって天下分け目の関ケ原への出陣の時がやってきたようです。

 皆様の信心倍増、ご健康、ご多幸を祈りながら、本年も出発進行・・・いや出発信仰!!です。 どなた様も乗り遅れの無いように、幸福特急「創価号」で、楽しく希望に満ちた旅路へともに出発してまいりましょう!



※学会活動も一段と多忙となり、今年は記事の更新があまりできないと思います。広告のぺんぺん草が生えることもあるでしょう。別館の「法華経の智慧ノート」も同様です。座して思索するよりは実践第一、現場第一でそこにすべてを賭けて戦いたい・・・それが今の私の心境です。どうかその旨ご了承願います。

 



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2019
11.24

籠の中の鳥

Category: 信心


 先日の夜、私は学会の会館警備の任務に就いておりました。その夜は特に大きな会合もなく、男女青年部がそれぞれ小会合を予定していただけでしたが、女子部のほうは珍しく部長2名だけで唱題会をするということでした。

 会館は地方にある比較的小さな会館です。しばらくすると警備室にいる私の耳にも女子部員の唱題する声が聞こえてきました。それは女子部らしく、山の谷川を清水が迸って走り落ちていくようなよどみのないリズミカルなお題目です。二人で警備についていましたが、相方の高齢の方も「私には早すぎるけどさすが女子部部長、ええ題目やなあ」と言っておられました。



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                     関西池田墓地公園の紅葉(11月10日)



 私は思わず目を閉じ、耳を澄まし、その音声に心をゆだねて聴きいりました。そしていつしか自然とその題目に合わせ心で唱えていました。するとやがて二人の題目の音声に、自分の仏性が呼ばれてしきりに体内から出ていことするような感覚に襲われたのです。「南無妙法蓮華経はすごい世界だよ。早くあなたも出てきなさいよ」とそんなふうに聞こえるのです。私はまるで籠の外の声に誘われ出ていこうとする鳥のようでありました。

 御聖訓には「譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し」(法華初心成仏抄557p)とあります。

 それと同じことが私の中で起こったかのようです。それはあまり経験したことのない不思議な感覚でした。女子部の唱題は一時間以上も続いたのですが、よどみなく題目をあげ切った二人に私は感動を覚えました。私の仏性を呼び出すために唱題してくださったようにも思えます。唱題を終えて玄関に出てきた二人に「あなたがたの題目がすごいからこっちの仏性が飛び出すかと思ったよ」と言いますと、二人は上気した顔で笑っていました。

 「南無妙法蓮華経という仏の生命はどの人の命にもある。あるから縁に触れて出るのだ。なければこのような感覚に襲われることもない」―そのことを如実に教えられた出来事でした。あれから3日ほどたちますが、まだ私の体内を彼女たちの題目が駆け巡っているようで、私も題目をもっとあげたいと思います。

 池田先生は「ひたぶるな題目」と言われます。法華経の兵法とは理屈ではなく、只々「ひたぶるな題目」を唱え抜くということではないでしょうか?それ以外の策は世間の兵法です。何かあるごとに題目、題目と御本尊に向かう人こそ真の信者だと思います。

 11月も後半に入り、朝晩も少しづつ寒くなってきました。間もなく厳しい寒さがやってきますね。信心する人は冬のごとし・・・厳寒の暗い冬の道を、御本尊という一筋の光明を信じ、負けじ魂を発揮しながら信心に励む・・・それが私がイメージする求道者の姿です。中には満ち足りて悠々自適の人もおられるでしょうが、耐えながら苦難の中を歩く人こそ私は人として魅力を感じます。本当の行者とは安易で楽な生活を夢見る人ではないはずです。

 日蓮大聖人様も大難の連続であられました。牧口先生、戸田先生も獄中生活・・・池田先生も世間から悪口の限りを言われ、信頼する同志に裏切られ、僭聖増上慢である坊主どもから赤誠のご供養を破壊され苛(いじ)め抜かれるという大難を歩み通されました。そしてあらゆる難に屈することなく完全勝利されたのが創価の師弟です。その師匠の生命こそ法華経に説かれる宝塔であり、あたかも大殿堂を仰ぎ見る思いがするのは私だけではないと思います。

  それらの師匠に比べれば、我々はまるで温室の中で信心しているようなものではありませんか。せめて与えられた小難に屈することなく信心を貫きたいものです。苦難の中に、またギブアップしない精神の中に仏という財宝があることを信じ、いよいよ題目一筋で前進していこうと決意しています。




                     

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