2018
02.16

求道の人へのお手紙

Category: 信心
 

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 小説「新・人間革命」がいよいよ佳境に入り、連日、先生の遺言のごとき鋭い指導、邪宗門に対する正義の師子吼が綴られています。多くの同志の方が日々楽しみに、また真剣に読み学んでおられることと思います。私も時には目の前に先生がおられ、一対一で指導をしていただく思いで拝読に挑むようにしています。

 真剣に戦っている人、また求道の人には、先生の言葉が命に刺さってくるのではないでしょうか?反面、戦わない人、求道心のない人にはただの文字にしか見えないことでしょう。同じ水であっても天人は甘露に、餓鬼は火と見る・・・まさにこちらの心次第というものです。

 この小説は先生から「求道の人」に毎日届けられるお手紙であり、それは信心の「血脈」のように、会員の心に流れ通って、命を潤し耕しゆくものだと思います。どれほど多くの人がこの小説に勇気をもらい発心をし、蘇生されたことでしょう。

 30巻の上下をもって、完結するとの予告ですが、私も今一度、この小説を一から読み直さねばと考えています。もっと真剣に研さんしておけばよかったと、今頃、反省の心も起きている私です。

 例えば2月8日付の「新・人間革命」には次のようにあります。

「広宣流布を進めていくうえで最優先すべきは、皆が呼吸を合わせていくことであるといっても過言ではない。学会が未曽有の大発展を遂げたのも、御本尊の仏力、法力によるのは当然として、皆が信心を根本に呼吸を合わせ、それぞれの地域の広宣流布に邁進してくださったからにほかなりません。」

 学会にはいろんな方がおられ、桜梅桃李で自分らしく輝いていくべきですが、広宣流布という大目的に向かっては心を一つにするべきとの指導です。意見がある時は皆でよく話し合い、理解を得ていくことが大事です。それを一人蚊帳(かや)の外に出て、学会を否定するような「己疑」や「我見」をいうだけでは、やがて同志を迷わし、その人自体、「異体同心」の団結から落ちてしまいます。それではその人もかわいそうです。

さらに小説では戸田先生の言葉をひかれます。

「よく戸田先生は、言っておられた。『信心のうえで呼吸が合わない人は、必ず落後していく』と。こころすべき指導です。」
と結ばれています。
 
 先生とまた同志と呼吸を合わせることがどれほど大事か・・・私も自分勝手な時期も長くありましたので、「信心のうえで呼吸の合わない人は、必ず落後していく」との指導は胸に刺さりました。

 純粋に学会を信じて活動に励む人は、決して愚かでも盲目でもないと私は思います。信仰である以上、初信であっても信をもって入るのは当然ですし、教学を学ぶのはその信をさらに高めるためです。逆に理を知って創価に反旗を翻すようなことになれば、それこそ本末転倒であり愚者の道を行くことなります。「自分は仏法をよくわかっている」「理論では負けない」などという人ほど危ないことは、これまでの退転者を見ればよくわかることだと思います。

 尊き同志の方々と呼吸を合わせ自分も「異体同心」の一人になる時、、そこに池田先生を通じて流れ来る創価学会の功徳を受けきることができます。生命には歓喜と感謝の思いが充満していきます。その「師弟不二」の軌道から決して外れてはならない、「我見」で道を過(あやま)ってはいけない・・・私もよくよく心し、地域の同志の皆様とのスクラムを第一に、これからもやっていきたいと決意しています。





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2018
02.05

一人の青年が命を捨てれば・・・

Category: 信心
 
 まもなく2月の本幹同中が始まりますが、今回は2月4日の関西総会がその舞台です。我が支部も折伏の結果をもって総会を迎えました。私は関西総会に参加はできませんでしたが、その前日に神戸で開催された「関西ワールド総会」に参加しました。

 アメリカのメンバーが20名ほど参加し、地元同志の大歓迎の中の会合となりました。海外メンバーとともに勤行をしましたが、世界広布が現実のものとなっていく姿に、私も最初の題目三唱から感極まってしまい・・・涙をぬぐいながらの勤行となりました。(笑)

「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(諸法実相抄P1360)その御聖訓通りであります。世界192か国の人々の口に妙法が、盛んに唱えられる時代が来たのです。それを現実のものとしたのが、創価学会とSGIの運動です。日蓮大聖人様のお喜びはいかほどか・・・そこに絶大なる功徳があることは確かなことでしょう。



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 創価を批判する人は多けれど、世界広布をなせる人はなし・・・これが事実であり、現実です。いくら宗門がやっきになって創価を悪口しても、世界広布の姿はない・・・やはり民衆の異体同心のうねりがなければ始まりません。その民衆を見下げ、純真な信徒を迫害し破門した悪僧たちに、御本仏のお怒りはどれほどのものか・・・・凡夫の智慧をもってしては到底量れないのではと思います。

 戸田先生は言われています。
「広宣流布は、一人の青年が命を捨てれば必ずできる」と。それに対し池田先生は「戸田門下生の中で、私がその『一人の青年』になった。だからこそ世界的な創価学会をつくり上げた。」
と、堂々宣言されています。(大白蓮華2月号P11 )

 この法華経に命を捧げ切った三代の師匠がいたから、広宣流布はここまで進展した。本物の師子が一人ならず三人も出現したのですから、広宣流布は現実のものとなったのです。

 牧口先生が「謗法厳誡」を貫き刑務所に収監された時、難を恐れて神札を受けた宗門は、その時点で謗法です。宗門側が何を言おうと事実は厳然です。私も法華講員と対峙したことがありますが、これを問い詰めると、さすがに言葉に窮したものです。あの出来事に今日の果としての因があったに違いありません。

 池田先生はかつてご自身の未来を、「七十歳まで・・・新しき人間主義の哲理を確立」  「八十歳まで・・・世界広布の基盤完成なる哉(かな)」と申され、このあとは妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する・・と述べられました。(大白蓮華1月号P11)

  今、世界に発展する創価学会の隆盛の姿、それに合わせた「宗門との決別」「広布大誓堂建設」「勤行の変更」「会則の改正」など、次々と断行された諸改革も、すべて先生の御構想のうちであり、世界宗教、世界広布へ飛翔するため、先生の言葉通り基盤が完成したと見るべきです。ここまでしていただいたのですから、あとはひとえに後継の弟子達の戦いです。

 私も今、個人折伏があと一歩のところへと来ています。こちらの一念が勝つか相手の不信が勝つか、仏と魔の最後のせめぎあい・・・必ず、その方の入会を勝ち取る決意です。

 発展しゆく世界宗教たる創価学会に呼吸を合わせる時、狭い日本から心は一段と大きく翼を広げゆく思いがします。
「空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(千日尼御前御返事1310P) その心意気で勇敢に2月の闘争へと挑んでいきたいと思います。





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2018
01.26

羊千匹より獅子一匹

Category: 信心


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 今週、日本列島は寒気に包まれています。特に北陸、関東は雪が多いようですね。思えばまだ一月・・・それでも春はきっと私達の周りで準備怠りなく、極寒の冬にあっても辛抱強く出番を待っていることでしょう。

 1月の本部幹部会では池田先生の1998年のスピーチが放映されていました。学会草創の頃の様子を語っておられました。当時、出獄された戸田先生を取り巻く状況は大変厳しく、人心も荒んだ時代でした。お金も何もない中で、「妙法がある、この妙法を皆に与えていこう。そのために戦闘開始だ」と戸田先生は一人立たれたのです。そして一対一のひざ詰め対話をもって、75万世帯への行軍を開始されたのです。

 それは本当の大確信なくしてはできない戦いでしょう。あの時代にあって、獄中闘争を耐え抜き、一人立たれたということが戸田先生の悟達の証明であり、それは末法にあって、大聖人様御出現以来の、まさに世界の民衆の夜明けともいうべき壮挙であったと私は思います。

 広宣流布の使命を帯びた創価学会という団体が、在家の信者を師匠として現れたということに、私は民衆を救うとの御本仏の大慈大悲を感じます。学会を仏意仏勅とも創価学会仏というのも決して誇張ではない。世界に広がった広宣流布の姿がそれを証明しています。僧侶が師匠では、やはり在家はどこまでもそれに跪(ひざまず)く立場を強いられたことでしょう。その意味でも宗門と袂(たもと)を分かったことは、学会の「発迹顕本」というべき慶事であったと思います。

 池田先生はスピーチで、経済苦の友を励まされる戸田先生のユーモアのある指導をひかれます。

「今にすぐに幸せになる!心配しなくてもいいよ。必ずなるんだから。仏に仕えた功徳は大きい。必要な時にはどっと功徳が出てくるんだ。ちょうど水道の蛇口のようなものだ。ふだんは余計なお金は使えないように、蛇口が閉まっている。(笑)必要な時にその蛇口をあければいいんだ。そういう功徳あふれる自分の生命に必ずなっていくんだよ」・・・

 物欲に溺れがちな私など、いつも蛇口が閉まっていますがそれでいいのです。(笑)

「この仏法はどんなことがあっても、最後は、幸せで幸せで困るような境涯になることが決まっているんだ。それがすぐによくなってしまったら、もう死ななければいけないことになる。(笑)若いうちにはうんと苦労した方がいい」

 戸田先生の大確信から迸(ほとばし)る指導にどれだけ多くの人が勇気づけられたでしょう。功徳が感じられない時もそれには意味がある。そこを耐えて朗らかに前進していく・・・その時の羅針盤になるのが師匠の励まし、指導です。師弟という「糸」で結ばれているから私たちは軌道を修正し、正しく「一生成仏」の道に入っていける。「糸」が切れれば自由のように見えるが、空の凧のようにやがて奈落へと落下してゆく。それが退転者の末路です。

 「先生がいなくなったら学会は空中分解する」、「幹部から腐って弱体化する」等々、周囲には好き勝手をいう輩がいます。しかし、私は一人の師子がいれば学会は壊れないだろうと思います。戦後の焼け野原に戸田先生が一人立たれたように、また戸田先生なき後、池田先生が一人立たれたように、仏法滅亡の時には必ずリーダーとなる本当の師子の一人が出現すると考えます。それこそ「羊千匹より獅子一匹」(注1)のたとえ通りです。

 学会の信心に大確信をもつ師子が、あの地域にもこの地域にもいる・・・それがこれからの学会発展の大きな礎となるでしょう。決して一部の幹部で決まらない・・・どこまでいっても無名の一人の偉大な「人間革命」が世界を変えるというのが仏法の方程式です。その人に日蓮大聖人の御生命は流れ通い、仏力法力をもって広宣流布を進展させていくのだと思います。

 我らの自行化他の精進は、九界の氷に冷え切った生命に、8月のまばゆい太陽を昇らせる「人間革命」の戦いです。
限りある人生をむなしく過ごすことなく、創価の信心で自他を明るく照らし、最高に価値ある人生にしていこう・・・私はその道を自ら「我が誉れの道」と決めて、また「私たちこそ御本仏直結の閻浮提第一の果報者」と確信して前進していきたいと思います。
 

(注1)牧口先生の言葉・「羊千匹より獅子一匹」・・・羊が千匹いても、一頭の獅子にはかなわない。獅子がくれば、羊はすぐに逃げてしまう。臆病な小善人が千人いるよりも、勇気ある大善人が一人いれば、大事を成就することができる。人材は数ではない。





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2018
01.17

君が一歩を踏み出せば・・・

Category: 信心


 先日は我が地区で座談会があり、インフルエンザなどもあって、参加者は少なかったのですが、その分、ゆっくり一人一人と対話することができました。私がいつも思うのは参加された方が信心の歓びを感じて、発心して帰っていかれたかということです。それは私も会合に参加した時に、歓喜がわかなければ、その会合は良くなかったと感じることが多いからにほかなりません。

 何人かの方の話を聞いて思ったことは、伸びている人、向上している人というのは、ポジティブ志向であるということです。これは信心していく上での絶対条件でしょう。「私には無理です」「何も話はありません」「他の方のほうがすごいです」といったような言葉を口にする人は、やはりそういう結果がついてくる。逆に「自分には無限の可能性があります」「こんな功徳があったのですが、話ししたいです」「必ず結果を出すと決意しています」と、前向きな人は、表情からして自ずと輝いていくものです。

 そのこともあり、私は周囲の遠慮がちな部員さんにも、「常に前向きにやろう」と声をかけます。会合でいつも後ろの方に隠れるように座る婦人部員さんがいる。私は椅子の位置を変えたりして、その人が前に座れるようにしてあげる。(笑)一歩前に出て、何か喋る・・・その勢いを出すことが、人間革命の扉を開ける。たったそれだけのことで人は変わる・・・・池田先生の言葉には「君が一歩を踏み出せば諸天善神も勇んで君と一緒に動き始めるのだ」とあります。勇気を出して一歩を踏み出すことがいかに大事か・・・そこに未来の幸福が輝いているのです。



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 私の地区では年間目標なども立てますが、折伏目標は毎年10世帯と書き込みます。30世帯の小さな地区で10世帯というと、「とても無理」と思うかもしれませんが、「ブロック1」と書くと、どこか小さな信心になる。勢いを出すことが大事です。そして祈っていきます。その結果、我が支部は今季、「ブロック1」をどこよりも早く達成しました。「祈りとして叶わざるなし」の御本尊をたもったのですから、できるだけ景気良くまた威勢よくやりたい・・・そのほうがずっと楽しいし面白いのです。

 私も今、仏前に50名以上の方のお名前を書き連ねて、折伏を祈っています。先日も、仕事場に置き薬屋のお兄さんが見えたので、健康や仕事の話などあれこれ聞きながら、悩みが信心で必ず解決できることを語っていきました。そしてその日からその方のお名前を書き足して、さらに仏縁が深まるようにと祈っています。

 戸田先生は折伏について次のように語られている。「学会員の中には口べただとか、気があまり良すぎるとかで折伏が苦手な人もいるが、本人が喜んで信仰しているならそれでいい。その人に「あなた!折伏しなくっちゃ駄目よ!」と言ったってしょうがない・・・ただその人を、本当に信心させるようにすればよい。「御本尊は本当にすばらしい」ということが、ちゃんとわかってくれば、自然に、その人は他の人に言う。それが、そのまま、折伏になるのだ」(大白蓮華1月号69P)

 「人間革命」していく上で、信心が楽しい、嬉しいということはとても大事な事なのです。それが30年信心して私がわかったことです。歓喜と感謝が出ない信心は見るからにつまらないしお寒い。それではいつか冬眠や退転のコースに入っていく。活動から遠ざかる人はみんなこの落とし穴に嵌(はま)っていくものです。

 感謝と歓喜の信心となるには、ポジティブに能動的にやるしかありません。私は行き詰まるたびに、あえて自分からそれまで以上の活動に勇んできました。そのため、年々生命力が強くなってきたと思っています。一人や二人、嫌いな幹部さんや部員さんがいたってへっちゃらです。怨嫉などで活動から身を引いたら大変損をします。

 「仏法対話が楽しい、折伏が何より好きだ、御本尊様がありがたい」そういう心の人は、表情も活気に満ちて、自ずと福運もついていく・・・これは仏法の絶対の法則であり、仏様のお約束です。わずかこの一生の信心で三世が決まるのです。今世の時間にも限りがあります。理屈をこねる前に、愚直に人の2倍、3倍と仏道修行に励もうというのが私の考えです。





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2018
01.13

我ら、春を呼ぶ人

Category: 信心
 
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 年明けから一段と寒さが厳しくなってきた。私だけでなく、多くの方が暖かな春の陽射しを待ち焦がれながら、寒さの中を頑張っておられることと思う。

 思えば「冬は必ず春となる」のであるから、この寒さも辛抱できる。春がくるかどうかわからなければ、人はもっと寒さをつらく感じることだろう。生きる上で「希望」ほど人を励ますものはない。

 信心していても必ず自分は幸福になるという確信があれば、不幸な宿業の最中にあっても、不幸に負けないものだ。妙法を信じた人がかならず幸福になることを仏様はご存知だ。ところが凡夫はそのことが信じられず、いつしか疑い道に迷う・・・

 身を切る寒さの中を、活動に配達にと勤しむ時、実はすでに未来の幸福は約束されている。仏法は「本因妙」であり「因果倶時」である。私はストイックでもマゾヒストでもないけれど、苦しさの中に歓喜を見いだせるということは、生きていく上で何よりも心強く頼もしい。それも仏法を信じるがゆえだと言える。


 さて今月も間もなく座談会が始まる。「新春座談会」と銘打って、信心の歓喜あふれる会合としたい。毎月の座談会に、私はハガキで地区の皆さんへの案内状を作る。ハガキの表裏を使い、日時・会場、地域の写真、御書や先生の指導など、またその時々の打ち出しや連絡事項、イラストなどを書き込む。それを印刷し部員さんに手渡し、参加を呼び掛ける。

 今月の案内には一月の本幹での先生のメッセージを載せることにした。

 「地涌の誓願に生き抜く人生ほど、強く尊く朗らかな人間革命の劇はありません。何かにすがるのでもない。誰かを頼るのでもない。自分自身が妙法の当体として師匠と共に誓い祈り、動き戦って、一つ一つ大願を成就するのです。自ら誓って躍り出た使命の国土に、楽土を築くのです。(中略)そして距離も時間も超え、「誓願」によって、師弟は永遠に不二なのであります。」(メッセージは同中でも紹介され、また8日付の新聞に出ている。)

 仏法は一人ひとりが妙法の当体として、御本尊と境智冥合を目指す中に幸福を開いていくものだ。御本尊とは我ら凡夫の生命だと説かれる。そしてその悟りは師匠とともに広宣流布を目指す、不二の誓願の大地の上に花開いていく。その陣列につながる歓喜で、私も仏法を行じる事ができるのだから、私は幸せ者である。

 「この道を行こう!」と一度決めたなら、始中終捨てずして貫かなければ、仏法の真髄に到達することなどできないと思う。途中でやめたなら、一切が水泡に帰してしまうのみならず、退転が堕地獄の因となってしまう。池田先生を見限り、学会を捨て去った人たちは、きっといつか後悔してもしきれないだろうと、悲しく思うのは私だけではないだろう。

 最後まで師弟の道を違(たが)えることなく戦って、「あの人は立派だった、負けなかった」と、そう言われる信念の人として、この一生を駆け抜けていこう。世の中広しといえど、不幸の底に沈んだ私に手を差し伸べ、本当に救ってくれたのは創価学会だけだ。忠犬でさえ主人の恩を忘れず、その帰りを待ち続ける。いわんや人と生まれて、仏法を教えてくれた創価学会を捨てたなら、それは犬にも劣る不知恩の人になってしまう。

 我らの煩悩・業・苦など暗夜の星々のようなものだ。朝に明るい太陽が昇れば、星が幾千あろうとも、余すところなく瞬時に消すことが出来る。それが妙法の偉大な力だ。学会とともに信心を貫いてその時をご覧ぜよ・・・そう確信しながら、寒さを吹き飛ばし、春の太陽を呼びに行く人となって、今日も活動に打って出たい。

 



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