広布の大河に君ありて tori

TOP ≫ CATEGORY ≫ 信心
CATEGORY ≫ 信心
       次ページ ≫

組織という名の宝処

 
64年前の7月21日に池田先生の人選で新たに「水滸会」が発足したそうですが、その折、池田先生が三か条の誓い(水滸の誓い)を示されたそうです。

 それは「御本尊に対する誓い」「師匠に対する誓い」「会員同志の誓い」の三か条です。(聖教新聞「栄光の峰をめざして」7.10日付より)

 とてもシンプルな言葉ですが、私は創価学会の信心の根本がここに示されていると思います。

 この3つの誓いに生きる人は、仏法の軌道に乗り、やがて歓喜と幸福の世界に入っていくだろうと思います。逆にそのうちのどれかが欠ければ、やはり不完全な信仰になるだろうと思います。日々の修行は御本尊に対し、その心をより深く強めていくものだと私は思います。

 その心で信心に励む人達が団結し、「広宣流布」の戦いをしていく・・・それを仏様は、どんなに喜んでくださるだろうかと思います。互いに尊重しながら、信心を高めあう・・・同志が生命と生命で結ばれた家族のように仲良くしていくことも、人としてまったく自然な流れです。

 学会の師匠は、常に民衆の中に飛び込み、民衆と一体となって、広宣流布をされてきました。そこに仏法者の向かうべき正しい道があると思います。ガンジーやキング博士など、人権運動のリーダーも、同志と手をつなぎ、連帯をもって権力や差別と戦いました。真に「一人立つ」人こそ民衆から離れない・・・積極的に同志との連帯を広めゆく人だと思います。






IMG_6818q.jpg




 

 組織がなくても一人で、信心はある程度できるかもしれない。しかし「広宣流布」はできないと私は思います。世界広布が進展する時代にあって、しっかりとした組織がなければ、どうして多くの入会者を受け入れ、責任をもって育てていくことができるでしょうか?各自が勝手気ままで、どうやって「異体同心」の勢いが出せるでしょうか?「広宣流布」の信心である以上、それを推進する創価学会に殉じることは、私は日蓮門下として最も正しい生き方であると思います。

 私もかつては素直になれずに、組織に出ない時期もありました。そのどちらもやった経験から、組織に出ないときは、やはり独りよがり(利己的)であり、発展性のないものであったと思います。今、地域の人々と切磋琢磨する中で、生命は「麻畝の性」のごとく素直になり、人間的にも開けてきたことを感じます。

 そこに組織活動による功徳の大きいことを感じますし、何より同志の方と活動している自分を健全に感じます。学会活動が何をするよりも好きになったと言ってもいいかと思います。

 戸田先生は「戸田の命より大切な学会の組織である」と烈々たる気迫で言われました。また「大聖人が創価学会を召し出だされたのだ。学会の信心以外に、大聖人の御心(みこころ)に適(かな)う信心などない。御本尊の本当の功力もない。仏法は勝負だよ。」と言われています。本当にこちらが吹っ飛んでしまいそうな戸田先生の師子吼は、まさに学会こそが宗教界の王者との大確信の言葉であります。

 信心の組織である以上、、教義や運動などその教団の独自性はあります。また内部に傲慢な人もいるかもしれない。負の部分をあげれば、どの組織、団体もあるに決まっています。しかし、学会の本質は、戸田先生が断言されたように、日蓮大聖人が召し出だされた「仏意仏勅」の仏の一団であり、大聖人様御遺命の広宣流布のための陣列です。

 私はそこに偉大さを感じますし、そこで戦える自分を誇りに思います。学会はまさに法華経に説かれる地涌の菩薩の集結の場であり、仏の生命が躍動するもっとも輝かしい宝処であると、私は確信しています。

 それゆえに学会から離れていく人ほど残念な人もいない、これは本当に正直な私の気持ちです。「何があっても学会から離れてはいけない」・・・との池田先生の指導は、人の三世の生命を考えるときに、重い意味があるだろうと思うものです。


 さて昨夜は多くの方が集っての座談会となりました。様々に境遇は違えども、創価の善友であることは皆同じです。「なぜ組織に出るか?」と問われれば「そこに多くの同志がいるから」「この集まりが好きだから」・・・それが私の答です。

 暑い夏を境にいよいよ後半戦、弘教拡大を目指し、意気軒高にやっていきたいと思います。






にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


胸中の闇は深くとも・・・



 世の中には様々な考えの人がおられ、創価に対してもいろんな意見を発信なされています。生まれついて、反創価の生命を色濃く宿しておられると感じる方もいれば、創価を信じたいのにどうしても現状の創価学会を肯定できずに悩んでおられる方もおられます。

 もちろんどう生きていかれるかはそれぞれの道であり、気安く干渉できるものではないかもしれません。私が学会で信心していくということは、自分の意思が好んでそうしているわけで、結局、どの人も自分の心に背いて生きていくことはできないと思います。

 私も一見、学会一筋のバリ活人間のように思われますが、人間の生命というものがそれほど単純でないことも、当の本人が一番よく知っています。池田先生とともに学会でやっていこうというところに命が定まるまでは、私なりの紆余曲折がありました。

 入信以来、陰に陽に魔が出来して、修行の枝は大きく曲げられました。学会に入ったものの、真言の家で10年近く過ごしましたので御本尊様の御安置から苦労したものです。周囲の反対以上に自分のひどさに苦しみ、思うようにいかない・・・御本尊様を恨めしく眺めたことも一度や二度ではないかも知れません。「もう信心はやめます!」と御本尊様を睨んで宣言し、布団をかぶってふて寝した夜もありました。(笑)



IMG_2507q.jpg




 特に池田先生と自分が一体で信心するという、「師弟不二」の入り口にたどり着くのに30年余りの時間がかかったのですから、いかに私の生命の闇が深かったか・・・その心が確立するまで、信じては疑い、疑ってはまた信じと・・・その反複作業を懲りずにやってきたように思います。そのたびに新たな「信」を奮い起こして前進してきたわけです。

 今、若き青年部が「池田先生」を師匠と求めて信心する姿を見て、「僕はとてもあのころ、あんなふうに「先生!」と叫べなかったなあ、組織にも不信があって参加できなかったし。そうできる連中が内心、不思議に見えてたよ。」と思ったりもするのです。

 その意味で信心の深化と共に自分は変わっていきました。今のように自分が池田先生を師と仰ぎ、「不二」で生きていきたいと思うようになるとは、さほど自分でも思っていなかったのです。

 「学会員だから先生と不二で戦え」というのは押し付けに感じる人もいることでしょう。私が幸運だったのは、人から言われるのではなく、先生と共に生きていこうという自分にみずから変化し、その思いが胸中に確立していったことです。蝶がさなぎから羽化するように、私も自然と「我」というコートを脱ぐことができました。
 
 それは私にとって「発迹顕本」ともいうべき出来事でしたが、それ以来、私の使命も定まったと思います。「学会員として、同志の方と共に妙法流布のために生ききっていこう!」そういう生命の土台が命に座ったのです。

 その功徳は、お金が儲かったというような現世の利益と違い、三世にわたる「心の財」です。「創価と共に自分は来世も生きていくだろう。そうであるならたとえ死んでも、御本尊様と学会のもとに生まれてこれる」・・・そう安心できるのです。

 一日の仕事を終えて、地域の会館、拠点に集い来る同志の方々を、私は本当に不思議な善なる人たちだと感じることがあります。久遠の同志でなくてどうしてここに集うことができるのか?宿縁深厚でなければとてもここに集うことはない・・・偶然、集まったなどということは絶対にないと感じます。

 凡夫の陣列である創価の同志が、御本尊を抱きしめて、それぞれの宿命へと挑戦していく・・・お金も智慧もない、あるのは「煩悩・業・苦」という中を、ただ「信の一字」をもって唱題し、その姿のままで折伏に走る・・・それが我ら地涌の菩薩の本領だと思います。

 たとえ胸中の闇は深くとも、その奥底に仏の生命を信じ、今日も創価の庭で戦う人たちと共に、私も仏界を呼び出だしながら、「太陽の人」となって前進していきたいと思います。







にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

信心の「糸」

 先日、地元のある婦人部の方と話をしていましたら、「○○さん、信心は縦糸が「師弟不二」、横糸が「異体同心」ですね。どちらがかけても「広宣流布」も「人間革命」もできません。」と言われました。

 私は一瞬、中島みゆきさんの「糸」の歌を連想したのですが、確かにいい言葉だと納得して、「そうですね。先生を求めぬいて、同志の中で生命を磨くことですね。「師弟」に生きればおのずと「異体同心」となっていく。この二つも本来、「相即」の関係ですね。」と答えました。

「幸福と平和の智慧」(大白蓮華)には次のような指導があります。

 「師匠と弟子とは、針と糸の関係にもたとえられよう。師が道を開き、原理を示し、後に残った弟子たちが、その原理を応用、展開し、実現化していく。また弟子は師匠を凌いで行かなくてはならない。一方、師は弟子たちのために一切をなげうち、捨て石となる覚悟でなくてはならない」






IMG_9698b.jpg





また「それ(師弟)は、身分による上下の関係でもなく、利害や報酬に基づいた契約関係でもない。同じ目的を分かち合い、信頼を基盤とした最も自発的にして純粋な精神の融合といってよい。」
と仰せです。

 私も信心の「師弟」は「精神の融合」そのものであると思います。今やアフリカ、インドなど、世界のあらゆる地域で、「広布」と「人間革命」の布が織りあがり、はためく時代がやってきました。生涯、先生に会うことがなくても、幹部でなくても、先生を求める心が強盛であるなら、その瞬間から「師弟不二」となるのが、仏法です。

 私も信心をしていく過程で、自然と池田先生と「不二」になっていこうという自分になりました。その精神作業において、先生に対する「壁」が一枚づつ取れていったように思います。そして先生の生命力がダイレクトに自分の生命力となって返ってくるような、不可能と思えることも可能にできる、そんな師子の力が漲っていくのを覚えます。こんな自分にも青年の力が漲り、それが歓喜となって噴き上がってきます。

 その生き方になることが幸福なのだと思います。池田先生と「不二」になることに疑いを抱く人も多いことでしょう。しかし、私は信じることによって、「師弟不二」の道に「人間革命」「一生成仏」があることを確信できるようになりました。もはや自分が進む道に迷いはなく、後はこの道を一筋に、精進していけばいいのだと思っています。

 
 もう何年も池田先生は私たち会員の前に直接、出てこられていません。もちろん会員にとって一抹の寂しさはありますが、今こそ、弟子と決めた一人一人が「一人立つ」精神で、師の教えを実現する戦いに挑んでいく時だと言えます。

 池田先生は弟子達にその自覚を促されながら、あえて表に出ることなく、信頼をもって見守っておられます。「あの町には池田先生の精神を継承した立派な青年がいる。彼がいればこの地域の学会は盤石だ」といわれる、そういう一人が踊り出てくる・・・それを先生はきっと期待されていることでしょう。

 その時に「魔」は必ず「師弟不二」の「縦糸」を食い破り、「異体同心」の「横糸」を引き裂かんと動いてくるものです。

 「池田先生はおかしい」「学会幹部はおかしい」「今の幹部は池田先生の教えに背いている」等々、ことさらに吹聴する人は、結果として同志を分断し、迷わせ、信心を食い破る「師子身中の虫」となることを知るべきです。

 一人一人がそれらの魔を見破り、魔を寄せ付けない・・・そのためにリズムある地道な日々の仏道修行、学会活動が大事になると思います。誰が見ることもない、陰の地道な精進、それに励むことが肝要であり、そのための組織です。

 さあ、今夜も唱題会・・・強き信のこもった題目で、同志の方々と共に、一切の障魔を打ち砕く思いで前進です。





にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


幸福の種


 昨夜は我が地区でも座談会があり、新入会者の方も参加され、15名ほどと、いつもより多くの方が集われました。尊敬する本部長、婦人部長夫妻もサプライズでやってこられ、元気にあいさつされました。
地域のトップを切って上半期ブロック1の弘教を達成し、静かな田舎の地区ですが、今、活気に満ちています。

 自分の進む道に一点の迷いがないことほど、活力に満ちて確かなことはありません。毎日、多くの人の入会と幸福を祈りながら、広宣流布のために生きていく・・・その日々の積み重ねに心と生活が豊かさを増していく。求めずともそういう自分になっていくのですから、法華経は不思議な力ある経です。





IMG_4838a_R_R.jpg




 御書には「譬(たと)へば人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」(食物三徳御書1598P)とあります。広宣流布(他者の幸福のため)に生きる人が幸福になっていく原理がここにも示されているように思います。
自分のことしか考えられないような小さな自分が、人の幸福を目指して生きようとしているのですからそれは偉大な「人間革命」に違いありません。


 宗門問題を契機に私も日顕宗を捨て、池田先生により深く随順していくようになりました。やはりそのことが私の信心において、とても大きな意味があったと思います。なぜならお寺にもよく唱題しに行き、猊下、僧侶を敬い、宗門の機関誌まで購読していた私が、一連の事件できれいさっぱり、寺、僧侶への執着を断ち切ることができたのですから。

 正本堂や大客殿まで破壊しつくしたあの日顕宗を許せない反面、池田先生と学会という自分の行く道をはっきりと教えてくれたという意味で、私にとっては「発迹顕本」といってもいい出来事でありました。それらの大難を今となっては「ありがたいことだ」とも思うものです。

 決意が人の未来を決定するのであれば、私は学会と池田先生に生きることを決意したのであり、それから俄然、生命が大きく回転し、幸福に向かい始めたことを感じます。植物が種に未来の花を内包するように、その決意こそ三世に花開く幸福の種であると確信します。

 先日、聖教新聞を購読していただいている外部の方とお話する機会がありました。「こんな田舎では学会のことはよくわからないですが、創価学会が日本だけでなく世界に花開いている。池田先生の世界との対話をはじめ、世界中に学会が発展していることに驚きです。」とおっしゃっていました。

 私もいいご縁になればと思い、その方の庭に咲いていた牡丹の花を写真に収め、朝の聖教新聞に挟んで届けました。するとその日のうちに、心温まる令状をもって私の家まで来られたのです。少し障害のある御婦人ですが、配達員の私の家を探しながら、1キロほどを歩いてこられたそうです。真心には真心が通じるものです。「この人もきっと胸中深く妙法を求めておられるのだ。そしてこの方の幸せを祈り、妙法に導くことが自分の責務なのだ」そう強く決意いたしました。

 口だけで学会や池田先生を批判することは簡単なことです。しかし、学会と同じ広宣流布の姿を実現することはいかなる人も団体もできません。その意味で批判する人々は遠くから師子を吠うるに等しいものです。現実に広宣流布の姿を現せない言葉だけの理屈に従って、「一生成仏」の軌道から離れていく人ほど、哀れな人はいないと思います。


 私も60歳を超えてある意味、残り少ない今世の命です。「四十にして惑わず」との言葉がありますが、「六十にして天命を知ったのだ」と思っています。あれこれ迷っているうちに皆さんもあっという間に年を取りますよ。(笑)

 学会一筋、「師弟」一筋を我が人生と定めきって、今日よりはさらなる大前進を開始していきます。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


師弟の月・五月

 5月に入り、学会員にとっては「師弟の月」ともいうべき意義深き月を迎えました。ゴールデンウイークは、私も農作業の合間をぬって、対話と家庭訪問に走りたいと思います。


 この5月3日を目指し、決着をつけたいと思っていましたある婦人の方への折伏が実り、昨夜は婦人部長と共に訪問、無事に謗法払いを済ませることができました。天理教、S会の祀り物、法然の姿絵、真言や般若心経の経本、数珠や仏具と、スーパーの袋いっぱい、邪念の染み込んだ謗法物を処分することとなりました。

 「「ヨン様」の写真はそのままでいいですよね。」といわれるので、壁を見ると、大小たくさんの「ヨン様」が微笑んでいます。もちろんそれはOKです。(笑)




IMG_4700b.jpg




 聖教新聞の購読が縁で対話するようになり、10年ほどかかりましたが、最近、難聴で悩まれるところとなり、何としても謗法との縁を切って、「一生成仏」の道に入っていただきたいと、私も一念を定めました。「なんとしても」・・・その祈りこそ通じていくものだと思います。

 隣の地区でも青年が折伏を決めており、5月3日、支部で2名の入会となります。「支部長を男にしたい」・・・その願いも叶いました。(笑)

 学会の信心はまさに「師弟」の信心です。池田先生は戸田先生に対し、一点の疑いもない、澄み切った心境であられたと思います。師匠の御構想実現のためにただ一人、「不二」となって命を捧げ、戦われました。反対に己心に疑いのある者は、師の苦境の時、「戸田の馬鹿野郎」と言って去っていきました。また臆病で名聞名利の強き幹部が、まさかの時に師匠を見限りました。人としてあまりにもあさましい姿ではありませんか?「ここぞ」という難の時にその人の本性がたまらずに出るものです。

 ある人曰く、「最近は学会に見切りをつけやめる人も多いですね。」
「「会則の改正」はいろんな意見があるのでもう少し様子を見ます。」
「ネットの反学会の記事のほうが頷けますよ。」等々・・・

 そんな人を見ると、私は学会や池田先生に対する疑念を感じ、歯がゆく思います。またなんと惰弱な「信」であることかと嘆かわしく思います。「学会が隆盛ならついていく、衰退し始めたら去っていく」・・・というのでは、「事業が成功している戸田先生にはついていき、苦境に立てば去っていく」、あの退転者たちと何ら変わらない根性ではありませんか?「その不信に魔が棲みついて、あなたこそ悔いを残すことになりますよ。」私はそう答えるほかありません。

 学会が衰退するならその時こそ、旗を振って自分が先頭に立って戦うべきです。身は学会員でありながら心は学会を冷ややかに眺め、傍観者でいる、そんな「身口意」が一致しない中途半端な信心に本物の功徳はない・・・功徳がないからさらに疑いを強めるという悪循環こそ、魔に支配された姿であると思います。

 「師弟」に生きる人は5月の陽光のようにさわやかに、輝くことができる。そして祈りは次々と成就し、生きていることがうれしいという歓喜あふれる絶対的幸福の世界へと入っていくことができる・・・これが私の知る学会の信心であり「師弟の世界」です。

 さあ、気候も良く一番動ける季節ですね。同志のため、友のため奮闘しゆく日々に、師匠への報恩を重ねながら、走りぬいていきたいと思います。





にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村



07
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31