広布の大河に君ありて tori

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座談会

 昨日、私の地区では座談会が行われました。
我が地区は山間部、それもやや過疎化の進んだ地域ですので、座談会といっても10~15名程度の参加者になります。また高齢者も多く、最近は夜の会合がつらいという方も多くなってきました。高齢者の方にあまり無理な参加をお願いできないのも現実です。

 しかし、それ以上に青年の活動家が少ないのが地区にとっての課題です。名簿の上では何名かいますが、実際に会合に参加するのは男子部1名という状態が続いています。

 私は今、地区部長です。自身の一念で青年部を人材に、また新たな入会者を地域から出せるよう祈っています。自分の使命も、地域に後継の人材を育てることにあると思っています。

 そんな地区ですが、昨夜は男子部が4名参加してくれました。うち二人は隣の圏から、またあとの二人は同じ支部内からの参加で、そのうち2名の青年は初めてこの地区に来てくれました。

 一人は創価大学出身のD君、またもう一人は東京の大学を出て、神奈川から就職で兵庫に来たH君です。
 これまで何のつながりもなかった二人ですが、実は今、同じ職場で働いていて、つい最近お互いが学会員だとわかったそうです。今日の座談会も別々の男子部に誘われ、ここでたまたま顔を合わせたそうで、「君ら二人すごい縁があるなあ」と参加者一同に感心されていました。





 彼ら男子部のパワーで座談会は大いに盛り上がったのですが、会合も半ばを過ぎたころ、ある壮年が一人、ガラガラと玄関を開けて入ってきました。その壮年は実は私の小、中学時代の同級生で、20数年前、30代の時、この地区の地区部長をしていた友人でした。        

 彼の日頃の口癖は「俺はもう学会は卒業した。あとはこの経験を世の中に生かす」というようなことをいう男で、その言葉通り、無所属で町会議員にでたりしました。私とは気心が知れているので、選挙の応援も個人的にしましたし、時折は彼の家を訪ねて信心の話などもしていました。しかし、学会の会合には一向に出てこない、勤行もしない状態が20年続いていたのです。それが一週間ほど前、急に「一度、座談会に行くわ」と連絡をくれたのでした。

 私の方から、「何がきっかけで今日来る気になったのか」と聞きました。彼は「実は、昨年、中学を出て職人の道に入った時から、一緒だった仕事仲間の友人が自死をした。前からその気配を感じていたけど、自分はそばにいて救ってやれなかった。今思うと、学会の信心をさせなかったことが悔やまれる。そのことがあって、これから自分は座談会ぐらいは出て行かないといけないと思った」ということでした。

 彼の友人への思いを聞かされ私も感動しました。それと同時にかつて地区部長までした信心の火が、彼の中でずっと燃えていたんだと感じました。彼がこれから地区に出てくれば、何かいい波動が地区に起こるのではないか、また何より彼自身にとっても、新たな変革のきっかけになるように思いました。        
 辛辣な口で周囲に煙たく思われることもある彼ですが、いつか地区に戻ってきてほしいと思っていましたので、私の中ではまた一つ祈りが通じた思いがしています。

 どんな人であれ、広宣流布の会座に集えば、光が発光するように輝きます。そしてみんなの光の和で、座談会は盛り上がります。帰る時には、来た時以上に元気になって帰っていかれます。みんなそれぞれ悩みの生活がありますが、それに負けないパワーと歓喜を充電しゆくのが座談会の大きな目的です。そのためにも、地区部長として、一人一人の生命に光りをあてられるよう、常日頃から、祈っていきたいと思います。

 さあ、来月はどんなドラマが待っているか・・・

 私自身も若鮎の如く地区の先陣を切り、地域の広布の扉をさらに開いてみせる、との決意にあふれる夜となりました。

 「やっぱ座談会はいいなあ・・・」  今、我が地区は座談会が輝いています・・・




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関西墓苑

 先日の聖教新聞に、滋賀県に新しく滋賀メモリアルパーク(仮称)が作られるとの記事が出ていました。関西には兵庫県丹波市に池田記念墓地公園(関西墓園)がすでにあります。実はここには7万基もの墓があるのですが、それでもいっぱいで取得を希望しても空きがない状態だそうです。滋賀県には新しく3万基が作られる予定だそうで、近隣の方にとっては朗報ではないでしょうか?

 戸田先生が生前「75万所帯の折伏ができなければ、私の遺骸は品川沖に捨てなさい」とおっしゃった話は有名です。それからしますと私が死んだら、「遺骸などそこの裏山にでも捨てておけ」でいいのですが、やはり墓園に行きますと、創価の墓地にお墓を持つのもいいものだと感じます。

 関西墓園には年に2,3回訪問します。私の家の墓はありませんが、父の法要もそこでやりましたし、折に触れて行く機会があります。墓地のイメージとは違い、明るさがあり、晴れた日は丹波のきれいな空気が爽やかで落ち着きます。清潔感のある礼拝室や芝生の墓苑、噴水や四季折々の花壇・・・中の喫茶店でゆっくりお茶をいただくのもいいものです。池田先生奥様が座られた同じソファに座ってコーヒーを飲むこともできます。

 地元の区長さんから聞いた話ですが、当初、創価学会の大きな墓地を作る話が地元に来たとき、大半の住民は反対だったそうです。それは学会に対する偏見が根強くあったことが原因でした。けれど、いろいろと話が交わされるうちに、その見方も変わっていったそうです。敷地にあった古墳などの調査も丁寧に行い、村からの取り付け道路も新しく作り変え、神社が敷地にあったそうですが、それも村の要望する敷地外の場所に学会の方で立派なものに作り直してくださったといって喜んでおられました。

 桜の時期には地元の方も招いてお花見の宴も催されるそうです。
17万基ものお墓が整然と並んでいる光景はまさに壮観で、六万恒河沙の地涌の菩薩の陣列もかくありやと思わされます。
一般の方も自由に見学できますので、私の近くの方も物見遊山でいったそうですが、あらためて創価学会のスケールの大きさに驚かれていました。

 戦後の荒野に一人立たれた戸田先生とそのあとを継がれた池田先生の戦いによって広宣流布は世界へと発展しました。日蓮大聖人がいかほどお慶びか、凡夫に知ることはできませんが、今、自分がその陣列にいることの不思議さをただただ噛みしめるものです。

 17万基もの墓標を現実に目にしますと、広宣流布の大河の流れが滔々と流れゆくことを実感するのです。





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ニーチェの言葉

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 自分の豊かさに気づけ
 残念ながら、多くの人は知らなさすぎる。自分が溢れるほど豊かだと
いうことを。
 何にだってなれる。何だってできる。言葉のあやではなく、まったく
そのとおりの意味で、現実として。
 なれない、この状況ではなれそうもないと言うのは、まだ怠けたまま
で何もしたくないからだ。しかし、自分が意志すれば何にでもなれる。
実際にそうなった人がそれが真実だとよく知っている。
 自分の豊かさに気づけ。そして、豊かな者として動け。
                  『悦ばしき智慧』

 これはある知り合いの方のブログで紹介されていたニーチェの言葉です。
ニーチェについて私は何も知りませんが、この言葉には素直に感動しました。

 日蓮大聖人の仏法は人間の無限の可能性を仏の生命として、それを万人の生命に、また現実の生活の上に顕現できる方途をもって教えられたものです。ニーチェのこの言葉を私たちは信心によってまさに日々、実践しているともいえます。

 ほかにも

  大いなる苦悩と格闘せよ
 小さな悩み事で悶々とすれば、それはわたしたちを小さくしてしまう。
 しかし、大きな苦悩を抱えるならば、それはわたしたちを大きな人間
にする。
 なぜならば、大きな苦悩はわたしたちを陶冶して力を不屈なものとし、
今までとは異なる新しい眼を与え、また、ある種の新しい生まれ変わり
の機会を与えてくれるからだ。
                『生成の無垢』「道徳哲学」

 仏法は個人の小さな悩みから、広宣流布という大きな悩みに生きる人生を促しています。その転換はまさに法華経でいう発迹顕本に通じ、新しい自分、新しい人生を開く人間革命の出発点そのものといえます。


 洋の東西を問わず、偉大な哲人というのは生命に仏法の知恵をたもっていると改めて感じました。
 他にも素晴らしい箴言が紹介されています。  こちらからどうぞ⇒ 可不可人日記


こうした先哲の箴言に学ぶことはまさに楽しく心の栄養となります。
また今日から、一歩、先生と共に快活に自身の使命の道を歩んでいきたいと思います。






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我が地域は寂光土

  今、私の自宅はひなびた農村地帯にあります。私自身も米つくりから野菜つくりといろいろとやっています。自家消費が主ですけど、土と生きる生活はしんどいことが多いですが、収穫の際などまた格別の歓びがあります。奥さんが街育ちなので、農業はどうかなと思いましたが、今では私以上にはまって、季節柄、夏野菜の種や苗を育てて楽しそうにやっています。都会の生活を味わえない分、ここの生活をエンジョイしてくれるならそれはとてもいいことです。


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 私も最近、わが故郷を一段と好きになりました。若いとき、都会で入会しましたので、ユーターンしたときは、親や周囲の反対、神社や寺の付き合いなどもあり、学会員としてはやりにくいと思ったこともありました。でも自分の殻を破って、いろんな会に参加したり、コミュニケーションの場に出ることによって、今ではたいていの人が「○○さんとこは創価学会やもんね」と認知されましたので、どこででもこちらから学会宣言してやっています。それだけ私も学会の信心に自信がつきました。

 田舎は結構、コミュニケーションの場がたくさんあります。隣に住んでいる人がどんな人かわからない・・といったことは絶対にありません。筍をいただいたり、野菜が余ればわけあったり、野良着でのお付き合いですから、飾ることもないし、楽しくやれます。
 これもつまるところ学会の信心の力だと思います。神社はもちろん参拝はしませんが、お祭りなどの参加は気にせずにやります。私の周りにはキリスト教系の方がおられますが、地域とのお付き合いで悩まれてここを出て行かれた方もおられます。

 年齢的にも各団体や地元の役員も回ってきますし、子供会の役職だったり、自治会の係りだったり、そこでの飲み会やお付き合いもできるだけ親睦を図るために活用するようにしています。そういうことによって、選挙の支援や、署名、本幹同中や座談会への参加などしてくれる友人も少しずつ出てきました。信心は別にして、同じ地域に生きる人たちはかけがえのない仲間です。
「学会なのでもっと難しい人かと思ってたけど、つきあったらけっこうおもろいなあ・・・」などと言われます。私も逆に彼らがいい人たちだなあと出会えたことに感謝しています。

  御書には「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり」(御書 七八一頁)とあります。
信心さえしっかりしていけば何処で暮らそうと、そこが宝土に、また寂光土に変えていけるとのご指南と拝せます。

  私にとってこの地域こそが、宝土であり、広布の主戦場です。この地に骨を埋める覚悟で信心をしています。これからももっと地域のために役に立つ人材に、また友好対話ができるように、一層、成長していくことを決意しています。





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記念品

   先週の日曜日、本部長が私の家を突然、訪ねてみえたので、「あれ、熱心に家庭訪問ですか?」といいましたら、「いやあ、今日は学会の方から記念品が出てますので届けにきました」とのこと。見ると先月の本幹同中で原田会長が紹介されていた、新創価学会本部の外装に使われる花崗岩と同じ石がきれいにカットされて箱の中に収まっています。

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 「きれいですね。いただけるんですか?」と聞くと、「もちろん、支部と地区の拠点ですからどうぞ。」と言われました。翌日の協議会で、地区の人たちにも石を披露。これには学会本部と地区の拠点が一体であるとの意義が込められているということで、拠点の部屋の壁にレリーフにでもしていつでも見えるようにしようかなどと考えています。ちょうど、4月の交流で東京に行ったとき、学会本部にも寄りましたが、この花崗岩を使って外装が貼られているのを見ることができました。

 小さな石ですが、我が家にとっても、また地区にとっても大切な記念品になります。池田先生の真心を一つ拝受した気持ちで、あの日から私の心でこの石が輝き続けています。11.18には私の生命にも総本部のごとき宝塔が出現するように、さらにお題目に打ち込んでいきたいと思います。




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東京交流

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  4月の下旬、公明党の支援を兼ねて友好交流ということで関西方面の友は全国へと動く機会がありました。私は当初、四国の香川を目的地にしていましたが、やはりかつて東京にいたこともあり、友人が数人いるのでそちらの方が価値的だと思い、急きょ、東京へと目的地を変更しました。その分、兵庫からでは往復の旅費や宿泊代などもかかりますが・・

会員の方は本当に大変な思いをして費用を工面していかれることも多いですし、行きたくても断念せざるを得ないこともあります。私も経済的には苦しい生活ですので、今回も千葉の姉のところに泊めてもらったりしながら、費用を捻出しながらの交流となりました。
  私の奥さんはそんなに熱心な会員ではありませんが、生活が大変な時でもいつも気持ちよく学会活動に送り出してくれるので感謝というほかありません。

 信心の活動は渋々やるならしない方がすっきりします。どうせやるなら自発能動でやる方が気持ちがいいですし元気も出ます。現に東京巣鴨の戸田記念講堂に集った関西のメンバーはその意気も高く爆発的なパワー全開の会合となりました。(婦人部のおばちゃんパワーによるとこ大でしたが・・)

 2日間にわたり、豊島区、大田区、世田谷区、荒川区と友人に出会い、久しぶりに友好を温め、食事やお茶をしながら様々な話に花が咲きました。合い間に八王子の創価大学、信濃町の学会本部にもよることができ、充実した交流となりました。帰りの車中でも心地よい満足感を味わいつつ、また明日から頑張ろうという気持ちになります。どんな活動にしろ、学会活動は身を惜しまず動いた後は、風呂上がりのようなさっぱりとした気持ちになるから不思議です。

 これまでこういう活動によって、学会の正しさを理屈ではなく肌身で感じてきました。その楽しさゆえにまた行こうという気持ちにもなります。ダイナミックに動けばやはり地元にいるのとは違い、何か大きな風が自分の心に吹くのです。活動の間、心に熱い血がたぎりますし、心は青年です。

  「行ってきてほんまよかったで・・・」今回もそれが留守をしてくれる家族へのお土産の言葉となりました。




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