2013
06.07

祈りについて

Category: 信心
 少し前のことになりますが、私は自分がお題目をあげていて、その祈り方がおかしくなっていることに気が付きました。

 私は現在、自営の仕事をやっていますが、仕事上、思うようにいかない状態が長く続いていたのです。
 そのこともあって、御本尊様を拝むときに、「広宣流布のために頑張ります、どうか仕事を拡大できるよう、販路が開くように・・・」と祈っていたのですが、その祈りがいつしか、おすがりのような心になっていたのです。
 「仕事がたくさんありますように・・」というのは偽りのない気持ちですが、それがどこか他力本願な心で祈っている・・・。
 その考えを延長しますと、うまくいかないのも、自分が苦しむのもまるで御本尊様のせいのようになってしまいます。お題目もどこか苦しい感じであげていました。

 信心で仏力、法力を呼び出し、悩みを解決するのですから、悩みが解決しないのは御本尊様のせいではなく、自分の一念と信心に問題があるはずです。
 それをこんなに信心しているのだから、もうそろそろ何とかしてください・・・的な、御本尊様に責任があるようなそんな横着な考えになっていたのです。(こんなに信心しているというのはそれ自体、身勝手な甘い自己採点ですが・・・)

 それですぐに、「御本尊様、間違っていました。自分の信心で道を開きます。問題を解決していきます。」という風に心を入れ替えました。

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 普段、「広布のために戦わせてください」と言えば聞こえはいいですが、「広布のために自分は戦います」というのが本当だと思います。「病気を治してください」ではなく「妙法の力で病気を治します」というべきだと思うのです。

 おすがりの心は、信心していれば何とかなるだろうという考えについ人を落としてしまいます。

この信心は「実はあなたが仏なのですよ」と説いているのですから、私にも無限の可能性があるはずです。その内なる無限の力を引き出そうとしないで、どこかから功徳が漫然と降りてくるような曖昧な心に陥ってしまったのです。

 以前、ある方から、「御本尊様を拝むと、お仏壇の御本尊様から知恵や福運がやってきて私の命に入るのですか?」と聞かれたことがあります。私は思わず笑って「いいえ、そんなことはありません。あなたが御本尊にお題目をあげると、あなたの命の中にある仏の生命が呼ばれて現れるのです。それに知恵も福運も全部備わっています。もともとあるあなたの仏の生命が出てくれば、どんな悩みも解決していくのです。」と答えました。

 人にはそういいながら、いざ自分が苦境に立つと、おかしな思いをして、その上、本当に御本尊様、大丈夫かなあなどと疑ったりして・・・(冷汗)
 
 「また一つ教えていただいた。信心はすごいな・・・」

 そのことに気が付いた今は御本尊様に感謝の題目が上がるようになりました。「まだまだだなあ、でもこれで変毒為薬できるぞ。ありがとうございます・・・」


 信心は歓喜と感謝が本当の姿です。その心で信心できているか?そのことはとても大事なことだと思います。きっと諸天善神もその心に感応し、守護しゆくのですから・・・


 善きにつけ、悪しきにつけ、いつも感謝のお題目で!・・今日も初心にかえって一から出発です。

 



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