2013
07.27

「我、仏なり」

Category: 未分類
 生きていくということは、ある意味とことん自分と向き合うということかもしれません。「自分・・・」この厄介な存在から時には逃げ出したり、見切りをつけたくなっても、生きてる以上、また死んだ後も永遠に逃げ出すことはできない。そういう意味からすると、「自分」ほど自分にとってどこまでも大切なものはないというほかありません。

 死んですべてが解決するなら、それはある意味、楽かもしれませんが、また生まれ来て、この命で生きて行くと法華経は説いています。そのため、この命を豊かに強く、自分らしく最高の価値を発揮しながら、生きてゆけるようにできたら、それは本当に素晴らしいことです。
 信心する功徳は今世のみならず、来世、そして未来永劫に福運として持っていけるのですから、この人生でやる、やらないでは雲泥の差が出てしまいます。折伏に行っても大半の人がこの信心をたもとうとしない、本当に残念な思いでいっぱいです。生命の因果を知れば、この信心の話を聞いてやらないのは「一生の不覚」と言うほかありません。
「 うれしきかな末法流布に生れあへる我等・かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人・・」との御文を噛みしめ、もっと弘教のできる自分にならねばと思います。

 来世もこの同じ自分で行くとしたら・・・私など悲鳴をあげたくなりますが、皆さんはいかがでしょうか?
 それを創価学会で一生懸命信心していけば、生死、生死と最高に幸福な境涯にしてあげましょうと言われているのです。
 このことを信じるか、どうか・・・私は信じることに決めました。どうせ信じるなら、強く信じて行こうと決めました。ほかに何のとりえも見当たらないからです。財産も地位もなければ、天賦の才もない・・・なまじ、何もなかったのでこの信心に賭けようと思ったのかもしれません。信心していなければそれこそ今頃、死んでいたかもしれないと思うこともあります。

 入信したときに、私は信心のりっぱな先輩の方に質問しました。「いったい、悟りとはなんですか?」するとその方は間髪入れずに「自分を知ること以外に悟りはないよ・・・」と教えてくださいました。確かに自身の生命を妙法と知ることが仏法の目的であり、それを教えるために、仏様は日々、様々な方便をもって私たちを化導してくださるわけです。

 仏の生命とは一人一人の生命の内奥にあるわけですから、玉ねぎの皮をむくように、あるいは薄紙を剥いでゆくように、自分というものをとことん剥いでいく・・・その途中には過去の謗法の傷が出る、貧乏もあれば病気もある、不信も湧けば怨嫉も起こる・・・常に自分の命の悪癖とも向きあわなければならない・・・第六天の魔王は十軍の戦を起こして、人を悩ませ、本気で信心を破壊しにかかってくる・・・            
 それらの宿命と魔との戦いから逃げずに、いやそれらをバネにして信心を強盛にしていけば、必ず仏の生命が厳然と自分の身に顕われると説かれています。


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 きっと仏様は私達が仏だということを教えたくて仕方がないのです。お金も地位も夢の中の栄えと仰せです。仏になることが最も大切だと叫ばれているのですから。

 私はお題目をあげる時、「仏であることを悟らせてください」と拝みます。仏であることを教えたい仏様と、仏であることを知りたい私・・・苦しみの底にある時も「我、仏なり」と思うと、勇気と希望が湧きます。

 法華経では私たちのことを「仏であることをすっかり忘れてしまった衆生」と説かれています。顛倒の衆生です。池田先生は「思い出すのです」と言われています。
「謗法の酒に酔ってすっかり自分の正体を忘れてしまいました。自分の正体を思い出させてください・・・南無妙法蓮華経・・・」そう祈らずにはいられません。

 法華経の「自我偈」は「自我得仏来」に始まり「即成就仏身」で終わります。「自」で始まり「身」で終わる。つまり「自身」を説いている、とこれも教学で学びました。
 どこまでも一人の人の幸福に光を当てている、そして一人の人間革命が他者を救い、地域を元気にし、そして世界を大きく平和と幸福にと変えていくことを教えています。

 その日蓮大聖人様の、妙法の信行学の実践を教えてくれるのが創価学会であり、師匠である池田先生です。どんな末端にいる会員であろうと、池田先生を求めれば不二になれるはずです。全学会員が師匠との1対1の心の対話を持って信心している。あたかも師匠から投げられた無数の糸を異体同心の会員が一本ずつ握りしめている。その糸を必死に手繰り寄せながら、人生の荒波と広宣流布に立ち向かって行く・・・それこそが人としての無上道であり、はかない蒼蠅であっても驥尾に付して万里をわたることができると御書にも仰せの人生です。

 日々の自分の愚かな姿に、ひとたびは嘆くことがあっても、また顔をあげて、未来を見つめて希望の前進をしていきたいと思います。「我、仏なり」との気概を持って・・・

 そして妙法を一人でも多くの人に語りゆくことが使命であり、また今生人界の思い出になると決めて、仏法対話に、今日よりまた新たな挑戦を開始していきたいと思います。




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2013
07.16

F君、負けるな!

Category: 徒然の記
 数年前、私の折伏で入信した同じ年のF君が、今、苦難に直面しています。入信当時、お金に困っていたこともあり、「福運には時間がかかるけど、長い目で見ると守られていくよ」と、信心を勧めました。

 F君は50代後半ですが、ずっと独身でお母さんと二人で、糸関係の小さな工場を持って頑張ってきました。彼も一風変わった男で、周りからもそう言われるようなタイプです。けれど仕事が終われば、80を越えたお母さんを軽トラの横に乗せて、近くのスーパーなどで買い物している親思いの優しい男です。

 入会前、お題目だけを教えてしばらく様子を見ていたのですが、とても続けていないと思って尋ねたら、お母さんが「この子、題目あげとるで」と言われたので実はこちらがびっくりしました。
「それなら学会に入るか?」と聞いたところ、「いいよ」ということになりました。入ってからなかなか学会の活動になじまなかったのですが、最近は座談会で活躍してくれたり、とても明るく、信心も少し軌道に乗ってきたという感じでした。

 ところが先日、私の友人から、「Fの家、競売に出てるで」と聞かされたのです。「競売?まさか・・・」と耳を疑いました。大変だとは言っていましたが、とにかくいつ行っても仕事をしていましたので「まあ、冗談かな・・・」ぐらいに思っていたのです。ところが実際はここ一年、仕事の量や賃金が減って、設備投資の返済もあり、いい時の半分まで収入が落ち込んでいたそうです。急逝したお父さんが残した家のローンを、毎月12、3万支払っていたのですが、それが3か月以上、滞ってやむなく競売にかかったのでした。

 競売ですので、場合によっては住まいと工場が人手に渡り、親子で出ていかなければなりません。外部の友人から聞きましたので、すでにその話も地域で広まっているようでした。日頃、仏法対話をしていましたその友人からも「学会で信心してもあかんもんはあかんなあ・・・」と上から目線で言われる始末です。

 私も家に帰り、競売について調べたり、どうしてもっと早く話してくれなかったのかなとも思いましたが、とにかくいまさら、どうこうするわけにも行きません。

 今、彼はさぞかし落ち込んでいるのではないだろうか?世間なら夜逃げもあるし、自殺だってある、自己破産しか方法はないかもしれない・・・などあらぬ心配が私の脳裏をよぎりました。今こそ訪ねて信心を励ますしかない・・・そう気持ちを固めて、翌日、土砂降りの雨の中でしたが、彼の家を訪問しました。

「家の方はどうなんや?」と話の途中で手探りで切り出しましたら、あにはからんや、彼はあっけらかんとした調子で、洗いざらい話をしてくれました。彼にしてみれば半年も前からこうなることは予想しており、任意売却やローン会社との交渉などもあたったそうですがうまくいかず、「家は半ば覚悟してる・・・」と動揺の色もなく答えるのでした。確かに彼の声はいつもの明るい彼の声であり、私の予想を裏切るその調子に、心配するこちらが沈んで見えるほどでした。

 そして「以前に入ってた霊法会や、このあたりの天理教なら、ここまで動揺もなくいられることはなかったと思う。自分でも不思議なくらい落ち着いてるんや。それがすごいことや・・・そう思わんか?」と言うのです。さらに「もう少ししたら体験発表するいうたやろ。もうちょっと待ってな」とも言うのです。

  これまで何度か彼に体験談を頼んだりしていたのですが、そのたびに彼は「もうちょっと待って・・」と先伸ばししていたのです。彼にはこの難事を乗り切って、いつか体験発表をしたいとの考えがあったのです。


ハナ




「こういうことで学会をやめていく人がいることもわかった。でも俺は御本尊を離さない・・・」と力強く言うのです。

 周りの人に話をしても「金を無心することになるから」と黙っていた彼・・「諸天が働いて誰かが借金を一時、肩代わりする人がいてくれるといいな」と言うと「そんなこと期待したりしてないよ」と言った彼・・・・

 普段、一緒に勤行もしたがらないし、活動にも仕事を理由に余り出てこない・・・そんな彼の信心をいぶかしく見ていたこともある私ですが、やはり命には妙法が根を下ろしているのだ・・・とまた一つ、御本尊様のすごさを彼から教えられたのでした。

「難来るを持って安楽と意得よ」「大悪起これば大善来る」との御聖訓を彼に託し、なにがあっても信心で乗り切ろうと励まして彼の家を出ました。しかし、私の訪問が杞憂であるぐらい、彼はしっかりしていたのです。

 今、朝晩の勤行で「諸天よ、彼を守り給え」と私は強盛に祈っています。そして彼がこの難を乗り切って、学会の信心に強い確信をつかむことを願わずにいられません。

 F君が幸福になるために、ここは通らなければならない道・・・そう思い、折伏した時以上に、彼に同苦し、寄り添って応援していこう! そう決意しています。

 「F君、がんばれ、僕らがついてる・・絶対負けるなよ・・・」



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2013
07.10

組織活動

Category: 信心
 今、「新・人間革命」の奮迅の章では組織における役職の大切さを池田先生が教えておられます。戸田先生が会長職を受けないために事業が行き詰ったことを述懐されている場面は大変厳粛な思いで読ませていただきました。広布のためならどんなことでも受けていこうと・・・それが結局、最後は自分にとって最も正しい生き方になるとあらためて思いました。

 私の地区では何人かの方が、組織活動から長年、遠ざかっておられます。一人一人その理由は様々です。

 耳を傾ければ、「そうですね、わかります」ということもあります。複雑な人間関係が原因のこともあれば、会合になじめない方もおられます。活動以前に信仰者として勤行も長くしていないという方もおられれば、訪問しても悪態をついて話にならないことも現実にはあります。

 私自身もすべての活動が楽しいというわけではありませんし、出たくない会合もあれば、余り好きでない幹部さんもいたりします。会合によっては、今日は我ながら我慢して出てるなあと思うことも・・・

 特に自分から「やる」のではなく「やらされている」という心の時はたいていしんどいものです。そういう時、人は力が弱まり、歓喜をなくし、活動につらさを覚えます。それが愚痴や怨嫉になれば、何のためにやってるのか、かえって福運を消してしまいかねません。

 一念、そして志し・・・それこそが信心していく上で大事なことではないかと思います。それさえしっかりしていればおのずと行動に表れるからです。上からの打ちだしであっても自分の戦いと腹に決めてやれているか・・・組織活動の中に自分の広宣流布への姿勢や一念が鏡のように映しだされるような気がして、反省することも多い私です。


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 何年も学会の活動から離れている人は、一生成仏という面からみて、大変損をされるのでもったいないと思います。選挙であれ、折伏であれ、広布のために私達は頑張るわけですが、反面、それらの戦いを利用して個人の幸福の建設をさせてもらうことも事実です。その意味では弱い自分から逃げ出さないで、学会活動にいそしむ以外に、本当の宿命転換はできないし、自分に勝つこともないはずです。

 実は私も以前、組織から離れた時期がありました。当時の地区部長があまりにもワンマンというか傲慢な方で、その人と呼吸を合わせるのが本当につらかったのです。相手が悪いのか、私の怨嫉なのか、それはきっと両方あったと思いますが、ともかく数年、出ませんでした。今はその程度のことで負けない自分になりましたが・・・

 「広宣流布という大願の元にみんなで心を合わせて」ということは頭でわかっていても、やはり凡夫の集まりである以上、個人の感情が先に立つケースもあると思います。

 組織に出ない私の元に来て「君は魔に負けている」とだけ言って帰られた方もおられました。今はその方にも感謝していますが、広宣流布のために何が良い道か私なりに考え、最後は組織について、そして何より池田先生について頑張ってみようという考えにいたりました。それが自分の信心の一つの分岐点になりましたので、その傲慢な地区部長にも感謝しなければいけないのかも知れません。

 今度は私が組織から離れた人達のことを祈りゆく番です。最後まであきらめないで大切に接してゆく・・・そして共に広布の組織で戦えることを祈り続けていく・・・このことが相手の幸せのために私ができることです。
組織のために会員がいるのではなく、一人の人が幸福になるために学会の組織がどうあるべきか、少なくとも自分は、そのことを片時も忘れたくありません。

 どんな人でも現実に人間革命ができ、三世永遠の幸福世界へと入っていける・・・こんな偉大で素晴らしい信心はほかにありません。仏意仏勅の学会から離れることはその軌道から外れることを意味します。

 一人でも多くの友が一生成仏の軌道に乗り、所願満足の人生となるよう、語り、聞き、応援していきたいと思います。そのために自分の経験が決して無駄ではなかったと思うのです。

 組織に出て頑張ってる○○さんは本当に功徳も受けて輝いてるなあ・・と言われる自分になることが、その人たちに対する燈火になる・・・そのためにも負けられないと強く思う昨今です。




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2013
07.03

地区婦人部長Mさん

Category: 信心
 私の地区の婦人部長のMさんは隣の地区から派遣できてもらっています。年齢も65歳に近いです。
 地区にはほかに10数名、活動家の婦人部の方がおられますが、みなさんMさんよりさらに高齢だったり、また婦人部長の役をお願いしても固辞されるということもあって、Mさんに白羽の矢が立ったようです。私は地区部長になって数年ですが、Mさんはもう10年以上、婦人部長としてこの地区をお世話していただいています。

 さてそのMさんですが、性格的には少し天然がかっていて、いわゆる幹部さんらしくない雰囲気の方です。頭が切れて、指示をテキパキ、部員さんに出すという感じではなく、報告や電話などもつい忘れたり、メールの返事なども文面がとんちんかんだったりします。そんなタイプの人なので、年配の部員さんから偉そうに言われたり、悔しい思いをされていることもあるようです。座談会などで話をしていただいても、どこか頼りなげで、気が付くと話があらぬ方向に脱線して、誰かが止めないと延々続いたりもします。十人十色というか、頭の切れる幹部さんだと下の部員さんもピリピリしますが、Mさんの場合は何か余り気を遣わなくてもいいという気楽さがあるのが、それはそれで私はいいと思います。


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 強信という感じではありませんが、御主人と共に自宅を何十年と支部拠点に解放されてきましたし、新聞配達もされていたこともあるようです。今、御主人と私は月に一度、夜の会館警備をご一緒させていただいていますが、そのご主人もなかなかユニークなお方です。Mさんは派遣ですので軽自動車で、この地区まで部員さんを迎えに来ては3、40分かけて会館まで走り、また地区まで送り返して自宅に帰るというアッシー役をかれこれ10年以上、昼夜にわたりずっと続けてこられました。これはできそうでいてなかなかできないことです。その送り迎えの車中で、部員さんから文句まで言われたら、私なら次から乗せて行きたくないと思いますが・・・

 口先だけであまり動かない方もおられますし、Mさんに先輩面して高飛車な態度の方がおられるのも事実です。Mさんは何かとゆっくりですので、上の幹部さんからも強く言われることもあるようですが、それでも嫌な顔をされずに、部員さんのお世話をしておられます。私はそこにMさんのすごさ、そして仏の生命の発露を見る思いがいつもしています。

 ほんとうに見た目も立派さや派手さはない方ですが、こういう信心もあるのだ・・と感心もし、教えられもします。御本尊様を決して疑うことなく、淡々と信心に励まれる姿は、私がもし仏ならこんな人にもっともっと功徳を差し上げたいなあ・・と思うものです。(もちろん功徳はいっぱいいただいておられるでしょうが・・・)

 御縁があって、私が地区部長の時にコンビとして地区婦人部長になっていただいたMさん、いつまでもお元気で頑張っていただけたらと思います。私自身もMさんを守り、これからももっと盛り立てていきたいと思います。

 面と向かってはなかなか言えませんので、この場をお借りして・・・

「Mさん、本当にいつもありがとう!
 人がどう言おうと、あなたの信心の素晴らしさを僕は知っていますよ!」



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