2014
03.26

獅子奮迅

Category: 未分類
(3月21日付聖教新聞掲載・・新人間革命 激闘の章―1より)

 広宣流布の流れは、「大河」の時代から、「大海」へと向かっております。大海原の航海には、激しい風雨も、怒濤もあることを覚悟しなければなりません。
 しかし、競い起こる諸難は、経文に、御書に照らして、正義の信仰を貫いている証明です。大聖人は、『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(御書一四四八ページ)と仰せです。強き信心があれば、大難に遭おうとも、むしろ仏法への確信を強くし、歓喜をもたらしていきます。『衆生所遊楽』とは、難がないということではない。何があっても恐れることなく、日々、信心の歓喜を胸に、すべてを悠々と乗り越えていける境涯の確立です。

            

 弱き信心では魔にやられ生命力が萎えていきます。一方、強き信心の人にも魔が競います。同じ魔であってもそれは意味が違う・・・、強き信心の人は、魔が競い起こってもいよいよ喜びを増し、苦難を乗り越え、その歓喜と確信で境涯を開いて行くことができる。そういう幸福への好循環の軌道に乗っていける。そう教えてくださっています。



夕焼け1





 自分が幸福に向かってどの軌道を進んでいるのか、信心の弱い時には霧の中をさまようように見えないものです。それに乗じて魔がその人をたぶらかそうとする。逆に信心が強くなっていけば、自分が確かに幸福に向かっているというしっかりとした手ごたえをつかむことができる。それがさらに確信と歓喜を増していきます。

 今、その大確信に燃えて、私も報恩感謝の信心の道に勤しむことができるようになりました。その大福運を感じて、さらなる感謝が湧いていく。本当にいい方向にいい方向にと、生命が充実し、変革していく。それが創価学会の信心、池田先生との師弟の道の素晴らしさだと思います。

 私も今、ある意味、生き残りをかけての戦いの最中です。いよいよ来たとの覚悟で猛然と戦っていきたいと思います。今まで以上に体当たりで御本尊様にぶつかっていき、学会員の一人として広布の突破口をも開いて行く決意です。

 広布大誓堂が完成し、更なる本門の戦いが始まっています。
4月から地域本部の役職も受け、地区部長、支部責任者、無冠の友、そして仕事と忙しくなってきました。現実の戦いに100%以上の力を注いで奮闘していく決意です。今が自分の大事な正念場かもしれないと感じています。そういう時には師子奮迅の力で全力で戦えばいいのだ・・・といよいよの喜びがみなぎってきます。自分が沸騰するような信心をめざしたいと思います。(笑)

 時々、ブログが停滞、休止をしますがどうかよろしくお願いいたします。



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2014
03.18

組織の効用

Category: 未分類
  入信した当初、組織とはあまり縁が深くなかった私の信心ですが、宗門事件をきっかけに、より学会の方に信心が落ち着きましたので、それから地区部長や副支部長などの役職をもらって、いつのまにか地域では中堅の幹部さんみたいな立場になりました。
 
 私の周りの幹部さん達も、なりたくてなってる方は少ない・・・私もその部類ですが、人材不足で、今後もそれなりに役職は増えてくると思います。

 年代的にも近い方が多く、日ごろ、顔を合わせる幹部さん達ともタメ口の会話ですし、言いたいことはちゃんと言います。あまり遠慮しませんし、好かれようとも思いませんが、組織の居心地も相応に、良くなってきました。

 なかには組織に何かを求めて、行かれる方もおられるかも知れませんが、私の場合、それはあまりありません。以前はあったのですが、組織にその答えを求めても無理だとわかってからは、少し見方が変わりました。

 幹部さんといっても信心は似たりよったりですし、相当上の幹部さんでも功徳というのは、いい暮らしをすることだと思っておられるような方もおられます。そういう方にこちらの悩みを話す気はあまりおきませんし、どんなことも、唱題と折伏で打開していくしかないわけです。これだけ学会の指導集や出版物があふれている時代ですから、教学だって指導だって、一人で充分学んでいけます。

 ですから一人で信心していこうと思えば、ある程度はできるように思います。ところがそれではあまり信心は広がったり、深化していかないのです。組織に出て、芋の子を洗うようにガチャガチャやる、他者の生命とぶつかる・・・そういうことで生命が自然と研磨、練磨されていくことを感じるのです。

 また自分が主体者になって能動的にやっていこうと思うと、組織には結構いいもの、いいことががたくさんあります。多くの出会いや人とのふれあいもそうですし、他者から刺激を受けたり学ぶことも多い。それは個人活動ではなかなか得られません。気がつくと人に励ましを送る自分がいます。自分の対人的な苦手や人嫌いまでも克服し、生命を豊かで骨太なものにしていける、組織にはそんな効用を感じます。

 本来、人づきあいが上手ではありませんが、そういう自分が信心で、社交的に、積極的になっていく・・・他者と交わるのが苦痛から喜びへと変化していく。そういう自分に変わりました。

 今では誰とでもOKな感じがします。どの人とも対応してそれなりに話ができる・・・(相手が私を嫌えば仕方ありませんが)それはやはり私の体内で起こった功徳の現証です。

 先生は「学会の組織は生命の安全地帯である」と言われています。異体同心の言葉を思うならば、連帯していくべきですし、それによって自分の生命はいや増して強くなります。

 姿はどうあれ、みんな仏子の集まりです。その尊い集まりから、離れる自分の生命をよく見つめなければいけない・・・そんなこともかつて思いました。

 損か得かでいえば、絶対、組織につく方が価値的というのが私の体験です。
 言葉は悪いですが、自分が人間革命していくために、組織を利用すればいいと思うのです。いやだと思うことも辛抱してやっていくと、何か意味がある。そこに自分を見つめる鏡が落ちている。そこから人間革命ですから。


ブランコ_R




 ある幹部さんが、高齢の会員の方に、「王城会」と言って会館警備の話をお願いしようと持っていった。その方は一線の役職を引いてから、近年、ほとんど活動にも出なくなり、ここのところは訪問する人もいなかったそうです。だから行った幹部も話を断られるだろうと思っていたそうです。
 玄関で丁寧にその話をしたら、ちょっと待ってくださいということで奥に引っ込まれた・・・どうされたんだろうと待っていると、その方がハンカチを手に戻ってこられたそうです。そして「もう自分は組織から遠ざかり、後はこのまま灯が消えるように忘れられてしまうんだろうと思っていた。それが会館警備についてほしいと言ってこられた。私にもまだ使命があったのかとうれしくてうれしくて奥で涙していたのです」と言われたそうです。
 私もその話を聞き、瞬間、うるっと来てしまいました。その人の信心の灯は赤く灯っていたのです。

 この話を聞くと、組織が面白くないとか、あいつが嫌いだからとか、そんなこと言う方がちょっと恥ずかしい気持ちになります

  組織に出ればたくさんの問題にぶつかります。出ない方がある意味、楽に決まっています。でもそこにはいっぱい宝物が落ちている。苦労や嫌いだと思うものの中に、自分が変革しなくてはいけない業や人間性がある。それをみつめ、人間革命につなげていく・・・それも組織のありがたさであるとつくづく思うのです。

 今、組織に出ておられない方がおられれば、「一緒にやろうよ」・・・そんな声をかけたいですね。




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2014
03.11

善なる人と・・・

Category: 徒然の記
 こちらでは梅の花がようやく咲き始めたというのに、また一昨日は雪が積もりました。

「春の日が 行きつ戻りつ どっちやねん」 思わずそんな川柳が浮かびました。

 この間の日曜日のお昼、家族で本幹衛星放送を見てきました。前々夜も見ましたので私は2回目でした。

 創価グロリア吹奏楽団の軽やかで力強い演奏。演奏の方は「今日も元気で」「新世紀の歌」曲の合間に後ろにおられた高齢の婦人が「学会歌はいいなあ」と思わず呟いておられました。

 そして陸前高田市の広田地区、地区部長Mさんの活動報告。飾り気のない地区部長さんも素晴らしいけれど、奥さんも素晴らしくて、きっとふるまわれたワカメの味も格別ではなかったかと思います。(ご覧になっていない方には何のことかわからなくてすいません。)素朴でまさに善人という感じのご夫婦でした。私も思わず「Mさんみたいになりてえ」と思いました。(笑)

 その活動報告の場面では何人もの方が目頭を拭っておられました。かくいう私もうるっと来てしまいました。実はその日の昼は眠くて、先生のメッセージのあたりから気持ち良くて寝てしまいそうなのを、娘に膝をつねられたりしつつ見てました。(笑)

 東北の大震災から今日で3年目・・改めて亡くなられた方のご冥福を祈りました。支援らしいことを何もしていない自分を恥じつつ、同苦するとはどういうことなのか反省の気持ちもでてきます。
阪神淡路大震災の時は、地元ということもあり、何度も救援物資を持って走りましたけど、東北大震災ではそういうこともないまま、ニュースや報道を見るだけできてしまいました。

 信心といっても行動、振舞いにあらわれるという意味では、坐して拝んでいるだけでは…という思いがします。



梅②_R



 ブログ内にも、目の見えない方のために点字御書の作成に取り組んでおられる方、また障がい者のために支援の活動を展開されている方、ブログを解放して友の信心に元気を送っておられる方・・・

 様々、いろんな形で他者のために取り組んでおられる方がおられます。

 信心を根本に決意し、それを形にあらわしていく行動力は讃嘆すべきことです。

 そういう人たちに共通しているのは他者と共に、生きて行こうという姿勢です。
大切なワカメを人と分けあう、障がい者の方と共に生きる、心の広さと同苦の心がないととてもできないことです。

 もちろんそれらの行為にも善悪はついてくるのかもしれません。またその方々にも日々、葛藤や矛盾があったりもすると思います。そうした行為に対して、ある時は自分も冷ややかに、また裏があるんじゃないかとか、ゆがんだ目で見たこともありました。事実、善人を利用した詐欺まがいの行為はたくさんあります。。それでも今は、人の善性をできるだけ信じたい、信じようとしない自分、裏を見たりする自分こそ、どこか心の貧しい人間だと思うことがあります。

  人を信じて共に生きる・・このことの難しさに今は誰もが直面している時代かも知れません。通り魔や殺人など凶悪な犯罪が自分の近くでも起こる、人間不信をあおるような出来事があまりにも多いし、ネット社会もその片棒を担いでいる。むずかしい世の中ですが、やはり人を信じて生きていたい。学会員の使命はそうした人間不信の社会への応戦ということでもあると思います。生きることや人間の素晴らしさをもっと発掘していきたい。先生の言われる楽観主義、人間主義こそ、自分達が獲得しなければならない新しい世界です。

 人を疑う、批判や意見はするけど、自分は行動しない・・・そいう生き方では最後に空しさが残る。敗北の匂いがする。どんな場所であっても、一人でも多くの方と温もりのある交流を広げていく・・・相手の仏性に話しかける思いで私も地域での友好を深めたいと思います。

 悪も連鎖していくけど、善も人々の心を呼びさまし、連鎖していきます。ネットでもいいニュースには、いっぱい感動のコメントが入ってくる。一人、パソコンを見ながら、涙している人がきっと今の世の中には、いっぱいいるんだろうと思います。まだまだ捨てたもんじゃない・・・たとえ近隣からでも、そういう善の連帯をつなげていくことがすごく大事なことだと思います。

3.11を契機に心は東北の人や皆さんと共に、また今日からこの地域でがんばろうと思います。


「春よ来い 行きつ戻りつ もういいよ」(笑) どうか暖かな春が来ますように・・・



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2014
03.06

讃(ほ)むる言こそ多く候へ

Category: 信心
 前回の「法華経の智慧」のお話の続きになりますが、次のページで先生が人の育て方について言及されています。


 十界互具の人生は、信心を根本に、「ありのままに生きる」ということです。十界互具を説かない教えでは、九界を嫌う。九界を断ち切って、仏界に至ろうとする。これは広げて言えば、人間を「刈り込んでいく」生き方です。ここがいけない、あそこが悪いと。だめだ、だめだと欠点を否定していく。その究極が「灰身滅智」です。そういう反省も大事だろうが、下手をすると、小さく固まって、生きているのか死んでいるのか、わからないような人間になる危険もある。「角を矯めて牛を殺す」(少しの欠点を直そうとして全体を駄目にする)ということわざがあるが、むしろ少しぐらいの欠点はそのままにして、大きく希望を与え、目標を与えて伸び伸びと進ませる方がいい場合が多い。そうやって、はつらつと自信を持って生きて行けば、自然のうちに欠点も隠れてしまう。たとえば「せっかちだ」という欠点が「行動力がある」という長所に変わっていく。(中略)そういうありのままの凡夫が、奥底の一念を「広宣流布」に向けることによって、生命の基底部が仏界になっていく。(中略)活発に、生き生きと、毎日を生きながら、自分も、そして人も絶対的な幸福に向かって突進していくのです。

 
 人に対して希望を与え、伸び伸びとやれるようにしてあげることができればこんなうれしいことはありません。私など未熟なので、お題目をあげて祈る、そして会いに行く、一生懸命話を聞いて話をする・・・その繰り返しです。 でもそれで少しづつ自分も相手も何かが変わっていく、嬉しいのはそれが感じられることです。先生がそうされるように、人をもっと励ますことに向かって自分も生きていきたいと思います。

 人間関係ほど難しいものはないし、言葉ほど誤解を生むものもない・・・またやたら「頑張ろう」では、相手が参ってしまうこともあります。欠点を指摘する時は慎重にやらないと相手のやる気も奪い、時には自分を全否定されたと思われてしまうことだってあります。

 だから長所を一つでも見つけて心をこめて讃嘆していく・・・
注意したいことがあっても辛抱することも必要だし、かといって黙っているのが悪いこともあります。 


 根本は相手の幸福をよく祈ること、祈っていけば何かしら通じていくというのが私の体験です。
前に、お休み中の人が出てきたことを書きましたが、彼の幸せを祈るようになってから、急に変わりました。本当に相手に幸せになってもらいたいかどうか、自分の心をみつめることも大事です。

 日蓮大聖人様が四条金吾さんに対して、肉親への心遣いを諄々と説かれているところがあります。特に女性の罪に対して教訓したり、争ってはいけない。これが賢人の行いであり、これが仏弟子であるとまで申されています。(四条金吾殿御返事・九思一言御書)

 最近は女人の罪より、壮年の罪を婦人部に糾弾されることの方が多い・・私も日夜、奥さんと婦人部に教訓いただいております(笑)


 人の欠点を探す傾向の人は、相手を尊重できない人だと思います。また自分を優位に置いておかないと我慢できない修羅のおごり、増上慢のある人です。逆に弱い人、できない人をほめて自信を持たせ、自分以上の立派な人へと育てていこうとする人が、りっぱな人だと言えます。

 どちらの心も人間持っていますので、信心で境涯を変革していくしかない。お題目をあげると、必ず生命に貼りついている邪見や偏見が取れていく、それこそ薄紙をはぐように・・・そうして徐々に大きくものを見る目が備わっていく、心が広々としてくる・・・そうなっていくのが信心の功徳だと思います。かならずそうなれるすごい御本尊様です。やはり題目で生命を磨いていくしかないと思います。



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 私たちは言ってみれば、欠点だらけの凡夫の集まりです。私もほとんど、とりえがありません。奥さんが何故、私と一緒になろうと思ったのか、不思議なぐらい(笑)きっと魔がさしたのだと思いますが、後悔しているか、今も怖くて聞けません(笑) そんな人間ですので完璧を求められてもできるわけがない・・・

 山本伸一役ができるのは先生お一人です。私達はお互い、欠点に目をつぶって、笑い飛ばし、許しあっていくしかない・・・そのぐらいの気持ちの広さでちょうどではないでしょうか?
 正邪を盾にして、何でもかんでも間違いを正そうなんて、それは仏子を苦しめていきます。


 「法華経の功徳はほむれば いよいよ功徳まさる、二十八品は正き事はわずかなりむる言こそ多く候へと思食おぼしめすべし」との御文もあります。(妙密上人御消息) 

 正しいことは少しでほめる言葉が多い・・・なんということでしょう。真実絶対の法華経でさえそういうものです。本筋さえ外さなければ堅いことは言わないから伸び伸びやりましょう・・・人に対してはそういう寛容の精神が大事だと思います。決して人を追いつめて(刈り込んで)苦しめてはいけない・・・最近、特にそう感じます。


  学会同志は妙法をたもつ人中第一の人の集まりです。その方々をほめることは仏を讃嘆することに通じます。逆にけなすことは仏をくだすことに通じます。どちらが大事かは良くわかるはずです。

 人はほめられると表情にもぱっと赤みがさし、晴れやかになるものです。長所をみつけて讃えあっていく。それの方が雰囲気も良くなり、成果もあがります。私も地区部長として失敗もし、体験いたしました。(笑)

 今、健気に地区の活動に出てきてくださる方々を本当にありがたく思います。特に婦人部の数名の方には感謝しています。その人たちがいないと、私も地区部長はやってられません。どこにでもいる関西の田舎のおばちゃんたちですが、その内証こそ仏の生命だとありがたく感じています。 

 同志を尊重し、相手をもっと伸ばしてあげたい・・・その心と祈りがあれば、きっと我が地区も発展していくものと思います。 まずは私の祈りから・・・もっともっと地区を変えていかにゃあならんと秘かに心に決意しています。



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