広布の大河に君ありて tori

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師弟の道

 私の住む山間の田舎も、ようやく桜が満開となりました。池田先生が巡りくる桜の時を戸田先生を偲びつつ、いつもどれほど待ち望まれているか、私なりに想いを巡らせております。

 創価学会に入会以来、30年余りたって、私の中の混沌とした思いにも、霧が晴れて春の陽が射し込むような、池田先生との師弟の道を生きる喜びこそが、春の桜花のように私の幸福の象徴ともなりました。

 前にも少し書きましたが、私は入信以来、創価学会と池田先生からとても遠いところで信心をしていましたので、御本尊様は求めていましたが、池田先生という存在が、もう一つしっくり感じられずに長く来てしまいました。

 しかし、ここ数年のお題目の功徳でしょうか?はたまた、無冠の友や我が家を地域の拠点に解放してきた学会活動の功徳でしょうか?私の生命は池田先生と一体になって生きて行くことに信心を見出し、それと共に、身の内外に大きな功徳を感じるようになったのです。


 当たり前のことですが、池田先生は信仰の対象ではありません。信仰は日蓮大聖人様の御本尊に向かって行うものです。池田先生はその信徒の団体の中心者であり、棟梁、導師であられます。その池田先生に呼吸を合わせ、共戦していくことがそのまま、御本尊様への信心になっていくということをあらためて身で知ることができました。

 私の中で信心が深まるということは、池田先生との師弟不二に生きて行くということと、まったく同義となったのです。
 
 


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 創価学会にいながら、池田先生と呼応できない生命はやはり矛盾を抱えて信仰していかざるを得ない。なぜなら創価学会=池田先生であるからです。私も天秤棒の上でどちらに転んでもおかしくないような信心を長年やってきました。それだけに、今、池田先生に不二となって信心をしたい自分になって、「師弟の世界」のすごさ、力をまざまざと感じるものです。


 学会員でありながら多くの人が先生との師弟の道に迷うのも事実ですし、その心境はわからないでもありません。「日蓮大聖人様がいれば、創価学会も池田大作もいらないのではないか・・・」「池田教じゃないのか?」等々

 確かにそういう人もおられるでしょう。しかし、私の体験をもっていえば、池田先生を信じ、実践すればするほど、そのまま日連大聖人様に通じていく・・・仏法を体得していけるという厳然たる事実です。池田先生ご自身はどこまでも御本尊根本、御書根本です。その上で、ご自身との師弟を強調されるのは、それが凡夫の我々が一番早く、功徳を受け、宿命転換できる道であるからにほかなりません。池田先生を通じて仏様の功徳、血脈が我ら会員の身に流れ通うのです。

 
 末法悪世に出現したこの巨大な信徒の団体を束ね導くには、やはり創価三代のような死身弘法の導師が出現されなければ、学会は烏合の衆となり、分裂と派閥の抗争に終始したのではないかと思います。もちろん多くの人が信心を知らないまま終わったと思います。そういう意味で、創価学会は仏意仏勅であり、大聖人様の御仏智で出現したものと、恐れ多いことながら、私は確信しています。

 その大導師である池田先生と、不二になって生きて行こうとすることはどれほど功徳が大きいか・・・凡愚の私などが仏になる道は、ここにしかないというのが、私の結論です。

 このことを知るのに30年かかりました。(笑)、長者窮子の譬えを私なりに身で読んだと思います。

 
 時はまさに春・・・創価池田大学の門をくぐり、池田門下生のバッチを胸につけ、今日からまた心新たに、晴れがましく「師弟の道」を前進していきたいと思います。




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