広布の大河に君ありて tori

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「創価学会母の日」に寄せて

 どの人にもお母さんがいる。母が信心していてもしていなくても、母が子供を思う気持ちは世界共通です。今日は5月3日、「創価学会の日」であると同時に、「創価学会母の日」でもあります。

 私にもまもなく90歳になる母親がいます。いまだ健康で、時に畑に入ったり、犬の世話をしたり、またデーサービスや、お茶会に出かけたりと何かと動ける体です。朝、昼、晩とごはんを好み、今の季節だとタケノコやワラビなどを、自分の部屋で炊いて楽しんだりもしています。

 私にとって母に感謝することはたくさんありますが、やはりもっとも大きな出来事は、真言宗を捨てて創価学会に入ってくれたことです。

 私は27歳の時、当時、生活していました東京で入会しました。家を捨てるように上京し、堕落も放蕩もそれなりに経験し、生命力も枯れ果てて、一人路頭に迷っていたところを、友人の折伏で学会に拾われたのです。



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 その後、4年ほどたって私が31歳の時に父が癌で早逝したこともあり、田舎へ帰ってきました。家は真言宗の檀家で、田の字型の田舎の家には広い仏間があり、仏壇には真言の掛け軸と先祖の位牌が祀ってありました。私の人生も文字通り、「真言亡家」そのものの人生でした。母はもちろん学会に反対していましたが、帰省して7年たったころに「家に二つの宗教があるのは良くないし、あんたが学会をやめることを願っていたけど、その様子もないので、私が折れるわ」と言ってくれたのです。

 後で聞いたら、母は本当に学会に入るか悩んだそうで、なんと近隣の邪宗の成田山に出向き、お金を払ってみてもらったそうです。「子にしたがって私も創価学会に入った方がいいでしょうか?」 そうするとそこの坊主が「まあ、それも別によろしいかな・・・」といったそうで、これで踏ん切りがついたとも言っておりました。(笑)

 一つ間違えば恐ろしいことですが、これは笑い話のような本当の話です。まさかその時、成田山に諸天がいたとも思えないのですが、どうだったでしょうか?

 それまで私もなかなか思うように信心ができず、熱心にやると母と衝突していましたし、ある日などは母の留守に、仏間の弘法(真言宗開祖)の肖像画の曼荼羅を外して焼いてしまおうと思ったこともありました。さすがに母の同意なく外すこともできず、やむなく手の拳でその弘法の顔を力任せに殴ったことを覚えています。(笑)

 そして晴れて我が家は学会の家となりました。しかし、母自身はむしろそれから周りからのバッシングにあったのです。真言の寺と親戚にあたる我が家でしたので、世間の風当たりは予想外に強いものでした。私は寺に行き、老住職に「これから親戚の付き合いはしますけど、宗教上のお付き合いは一切しません。」といいに行きました。住職の奥さんは「これからあんたの家は惨めになってやで」と鼻で笑っていました。

 それでも仏間の真言の曼荼羅や、邪宗のお札など、家じゅうの謗法を一切合財集めて、母と庭で燃やすことができました。真っ黒い煙がもうもうと立ち昇ったのをよく覚えています。

 
 寺や神社の行事を中心に動いているような村ですので、その群れから外れることは仲間外れを意味します。何かにつけ、母は邪険に扱われ、「こんなことなら学会にはいるんやなかった、あんたは親にこんな目に合わせてほんまに親不孝もんや」とよく嘆かれました。もちろん、宗教の正邪を母に言っても通じませんし、かといって一緒に暮らす以外、これといった親孝行もできませんでしたから、まあお互い、忍耐の日々だったかも知れません。


 それから我が家を学会の地区の拠点に解放し、地域の中心会場として使ってもらうようになりました。また地域の付き合いにも積極的に出て、周囲に理解してもらうように心がけました。私の結婚は遅かったのですが、子供にも恵まれ、母も健康で、寺の奥さんが言うような惨めな姿ではありません。

 この田舎の封建的な因習の深さ、そして母の反対が私の信心を鍛えてくれました。今では学会宣言はもちろんのこと、多くの人と仏法対話できる下地ができてきたように思います。

 奥さんも大事にしないといけませんが、母親というのは男にとってまた特別な存在ではないかと思います。御書には「父の恩の高き事・須弥山猶ひきし、母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし」(上野殿御消息)とあります。子を思う母の気持ちは、やはり奥さんが主人を思うよりは強いのかもしれません。案の定、うちの奥さんの愛情も今では私から遠ざかり、(笑)二人の子供にしっかりと向けられています。もちろんそれでいいのです。(笑)
 
 池田先生が母を常に讃え、詩に歌われるのも人間の本源的なもっとも崇高な愛の原型がそこにあるからではないかと思います。親のありがたさを感じ、報恩していける人が本当の仏法を体得した人です。

 同じ上野殿御消息には「一に父母に孝あれとはたとひ親はものに覚えずとも悪さまなる事を云うとも聊かも腹も立てず誤る顔を見せず親の云う事に一分も違へず親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり」と仰せです。親が間違ったことを言っても、「はいはい」と笑って聞いてあげなさいと言われています。私なんかまだまだです。(笑)

 時折、仏間からは母のか細くたどたどしい勤行の声が聞こえてきます。小さくなって背中を丸めて、題目を唱えている心は何を想っているのでしょうか?「親不孝ばかりしてすまんかったね、親孝行は何もでけへんかったけど、僕の題目で絶対成仏させてあげるからな、僕のいただく功徳はみんなお母さんにあげるよ。これから楽しみに待っときや・・・」そういつも心で誓う私です。

 御聖訓の一行すらいまだ実践できない私ではありますが、残り少ない母の人生を大事に見守ってあげたいと思います。





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