2014
05.22

誠実の光

Category: 未分類
 
 私も仕事などを通じて、いろんな方とお会いしますが、最もいい人だと思う人は、信心のあるなしに関わらず、清潔感や誠実さ、それに人としての重厚感が感じられる人です。自分もそういう人になりたいと思いますが、汚れた垢が人並みはずれて多いこともまた事実です。(笑) やはり池田先生が一番のお手本ということになりますね。

 そんな私でも信心をずっとやってきますと、以前に比べ、自分がいくらかそういう方向に向かっている・・・と感じる時があります。言葉でいえば「常楽我浄」の世界です。「さっぱりと、さわやかに、嘘のない誠実な人になろう」と思う時があります。それこそが人としての宝ではないかと思えるのです。

 こちらも誠実さがにじみ出ているような人とお話しするのは、それだけで気持ちのいいものです。欲や苦しさがにじみ出ている人もいれば、慈悲や思いやりがにじみ出ている人もいる、人間は実に様々です。また時によって同じ人間でも変化します。うわべの言葉の奥に隠された、その人の本性からにじみ出るものはやがて、事あるごとにあぶりだされてくるものです。

 悪でいえば、日顕しかり、山友しかり、また多くの会員もそれにならってあぶりだされ、ふるいにかけられ落ちて行きました。そうした人間性を鋭く見破る、たぶらかされない、慧眼けいがんを養うことも、良き人生を送るためにはとても必要なことだと言えます。

 仏法ではそれらを見通す五眼を説きますので、信心を強くして、法眼、仏眼が開くように精進したいものです。


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 「誠実」と聞いて、私が連想しますのは画家の東山魁夷かいいさんの作品です。(『新・人間革命)のカバー表紙装画は氏の『郷愁』という諏訪地方を描いた作品です。)私は時たま、何気なく画集を開いたりします。

 もちろんその淡い色使いや、シンボリックな馬や月の構図など、技術的な素晴らしさもすごいと思いますが、なんといっても見たものの精神を昇華する力、美がもたらす心の清らかさ、誠実感というものは、私の知る限り、画家としては第一の方ではないかと個人的に思っています。

 その根本はやはり魁夷氏の人間性からにじみ出る力ではないかと思うのです。精進の力、清らかで誠実な心が作品の隅々に凝結していく。「画竜点睛がりょうてんせい」という言葉がありますが、最後は人間性が勝負を決める「点」ではないかと思います。氏の作品は見るものを善き心へと引き上げてくれる・・・絵と私の生命が共鳴してあたかも美しい音楽を奏でる・・・その清らかな世界が氏の作品の持つ魅力だと思っています。

 世の中、人を蹴落としても自分が生き残る・・・文化や芸術よりもお金優先、というのが大方の風潮かもしれません。
兄弟抄には「此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり」とご教示されています。その汚れた世界にあって、創価の人間は一輪の蓮の花のように、汚泥に染まらない、けなげに咲き誇る清らかな花であらねばなりません。その花には自然と福運も人間性も備わっていくというのが法華経の心です。

 「爾前にぜんの経経の心は心のすむは月のごとし・心のきよきは花のごとし、法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり」(白米一俵御書)とあります。 花のような、ではなく、一人一人が桜梅桃李それぞれの花であれ、というのが法華経だと教えておられます。

 どんな花であれ、花として咲くことができれば、そこに所願満足、ほしいものは求めなくてもすべて備わっていると教えているのです。そしてそれが永遠に続いていく素晴らしい世界です。それが「人間革命」「一生成仏」ということだと思います。
スマップの「世界に一つだけの花」ではありませんが、人ではない、自分が咲くことに一生懸命であればいいということに共通していますね。

 世の中の多くの人は創価学会の信心を避けて生きようとします。しかし、そこにしかに三世永遠の幸福を開く鍵はありません。
 幸いにも私もこの御本尊を信じる身に生まれました。その姿は人にあざけられようとも、しばし苦闘の日々を強いられようとも、これほどの大善の人生に出会えたことに感謝でいっぱいです。それゆえ何があっても愚痴はもったいない、まさに愚人の痴と知るべきです。

 思うに任せない日々であろうとも、決して人をうらやむこともなく、人として他者を尊重し、小欲で事足りる人間でありたいと思います。そうして自分の与えられた条件、環境の中で、けなげに咲く花として、また新たな心で信心に励み、今世を、まっとうしたいと念願するものです。






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