2014
06.26

あのころの仲間

Category: 未分類
 私は27歳の時に、当時いました東京で創価学会に入会しました。(そのお話は以前のブログに書きました)入会したころはすべてに行き詰っていたのですが、初心の功徳として素晴らしい人たちと出会うことになりました。まずは長年、信心に徹せられた初老の方を中心に、そこに多くの求道の若者が集まってきました。主に土曜の夜に、友人宅に10人前後の仲間が集い、徹夜で話をしたり、お題目をあげたり、日曜の朝、夜明かしして自分のアパートへ帰るということを繰り返しながら、自然と信心のことを学びました。

 お互いが連れてきた友人なんかも入会し、折伏も盛んで、いろんなメンバーが入れ替わりで仲間に入ってきました。創価大学の学生や先生なんかもおられ、今も交流が続いています。みんな若かったこともあり、わからないままに信心を求め、学ぶという姿勢は旺盛でした。(そういえば一度も飲み会はしませんでした。)

 若い人も多かったので、時には冗談も多く出ました。
 
 誰かが、「日寛上人は死ぬ前に駕籠に乗って、お世話になったところをあいさつ回りされ、蕎麦を七箸食べて亡くなっていかれたそうだ、みんな人生の最後は何を食べる?」など、一見、たわいもない話にも花が咲きました。(かわいいでしょ?)

 「最後の晩餐か?日寛上人様の時代は選択肢が少ないよ。麺類が好きでもラーメンもスパゲッティもなかったもの。ぼくは店屋物ならカツ丼がいいけど・・」
「ええ?カツ丼は肉だろ、死ぬ前に肉はいかんやろ?せめて木の葉丼にしとけ。」
「末法は無戎だろ?何を食べてもいいはずだ。それに木の葉丼だってかまぼこ入ってるよ。あれは魚だし」などという奴もいました。

 また、ある時は「今ここにある蜜柑でも、誰に食べられるか、誰の命を養うか運命があるよね。これにしよう、いや待てよ、こっちの方がうまそうだと一瞬、躊躇したことによって、こちらの蜜柑がぼくの口に入る。蜜柑からすれば、これに因果があると思うか?」などという話がでました。
「そりゃあるよ。因があるから果がある。俺の身を養える蜜柑は幸福者だ、それに引き替え、お前の腹黒い胃袋に入っていく蜜柑がかわいそうでならない、これは蜜柑にとっての最悪の果報だろう?」などといって大笑いしたものです。

 それがどうしたという話ばかりですが、そんな話で仏法を考えたりもしましたので、あながち無駄ではなかったかもしれません。もっと教学的な深いお話もあったはずですが、どうも覚えているのはこんなおかしな話ばかりで・・・(笑)そして夜明けも近くなると、みんな始発の電車などで三々五々帰って行きました。



IMG_4219-1_R.jpg




 「不幸の根源、邪宗教、御本尊は絶対だ!」そんな言葉が威勢よく飛び交ってもいました。そんな連中と一度だけ奥多摩に遊びに行ったことも今では懐かしい思い出です。セピアになった写真が1枚だけ残っていて、私も悩み深い顔して写っています。(笑)(なにせ30年前ですから)
 相手の幸福をそれほど祈りもせずに、友人宅を急襲してはガチャガチャ折伏をやったりしてました。(破天荒なあのパワーがどこか懐かしい。(笑))

 その仲間たちとの交流も4年ほど続きましたが、やがて私も父親の死に伴って、東京を離れましたので、それからその仲間とも疎遠になりました。そして、やがてあの宗門問題が明るみになったのです。

 かつての友人たちの消息を、ある人がいろいろと知らせてくれました。そして仲間の半分以上が法華講へと去ってしまったことがわかったのです。何人かと連絡を取り、対話しましたが、かえってこちらが悪く言われる始末。一人は学会を激しく中傷し、大きなトラブルまでおこしました。

   そんな中、今でも嫌いになれない、私と仲の良かった友人がいます。10年以上も前に電話で話したのが最後ですが、「Mちゃん(私のことです)、お山の御本尊様を拝めば、必ずこちらが正しいとわかるよ・・・」と沈痛な声で彼がいった言葉が、今でも耳にこびりついています。彼は純粋でした。今も思い出しては仏前で彼の幸福を祈る私です。(もちろん生きているでしょうけど・・・)

 法華講に行くも学会に残るのも運命です。それは三世の分かれ道ともいうべき事件でした。それにしても同じ穴のムジナであったのに、なぜ彼らは法華講に行き、私は学会に残ったのか・・・もちろん各々の宿業には違いありませんが、それはあまりにも不思議な出来事でした。

 本当は私(達)も法華講に行くところを、彼らがその業を背負い、行ってくれたのではないか?そういうことを思うことがあります。自分だけが幸福になる道を行き、彼らが不幸になっていいわけはない・・・自分一人が喜ぶことはやはりできない話だとも思います。

 その集まりの中心であった初老の方に、私がしんどくて個人的に指導を受けに行ったとき、「お題目をあげぬくんだ。池田先生について行きなさい。」と言われました。信心つたなき私の命に、将来を見透かしたように楔(くさび)を打ってくださったその方こそ、大恩の方というべき人です。

 入信した時のその人達との出会いは、私にとって人生を決する非常に不思議な出会いとなりました。あれから30年たちましたが、いつもあの会座を、あの友の顔を思い出さない日はないといってもいいぐらいです。そしてあの時が私の信心の原点になりました。


 受験に失敗し、東京に行けば何かあるだろう・・・そんな気持ちで夜行列車に乗り、一人上京しました。やがて落ちるところまで落ちて、仏様のご慈悲で創価学会に入らせていただきました。

 そして自分の知らない力で吸い寄せられるように出会った先輩や多くの仲間達・・・土曜の夜に道を求めて集まってきた不思議な仏縁の人々・・・そこで私は何物にも代えがたい、一生にわたる信心の土台と確信を得ることができました。
今、思うとすべては仏様のお計らいであったと確信しています。
 
 何かの行き違いのように、仏法の上で敵味方に別れることになった彼ら。いつの時も私にとって彼らが懐かしい、大切な心の友人であることに変わりはありません。むしろ年月が経つにつれ、よりあの時間がまぶしく、彼らが私にとって縁の深い大事な人たちであることを知らされるのです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村





Comment:14  Trackback:0
back-to-top