2014
07.13

身で読む信心

Category: 未分類
 先日、私の圏でK大会というのがあり、80歳の婦人の方が体験発表をされました。この方は入信が72歳の時ということで信心歴はわずか8年ほど。昨年、腎臓に癌が見つかり、胆のう?にも癌ができていたそうです。それで手術で摘出することになったのですが、高齢ということもあり、大変難しい手術が予想されました。毎日、丑寅の勤行、日中は題目、仏法対話をやりきり、池田先生と奥様に自分で編まれた編み物の服を送られ、そして手術に臨まれたということでした。

 いよいよ手術開始・・・ところが手術室に入っていくときから、自分がどこか楽しい旅行に行くような気分がしたというのです。不思議な事です。そして手術は大成功、他に転移もなく片方の腎臓がきれいに除去できたということでした。10日後には退院。一年たって手術前より健康になりました、と喜々として体験発表されたのです。

 実は私にも同じような体験があります。私も40代の時、癌が見つかり手術に臨みました、開腹手術でしたが、その時、不安よりも絶対に大丈夫というしっかりとした気持ちで手術室に入っていけたのです。家族にピースサインを送って笑顔でした。麻酔が全身を熱のように駆け巡っていく中、意識の底で「ああ、死ぬというのはこういうことなのか?」と思ったことを覚えています。あとはまな板の上の鯉でしたが、5時間ほどの手術は無事に成功。サランラップにくるまれたようにきれいに癌がとれたそうです。あれから10年以上たちますが、元気で生きております。(笑)

 あそこで死んでたら、こうしてブログで皆さんにお会いすることもなかったわけです。その頃、私はB長の役をいただいたにも関わらず、あまり組織にも出ないで、勝手な信心をしていました。それで病気が出た時、「やっぱ、今までの生き方の罰が出たなあ」と思いました。それでも救っていただけたのです。それで変毒為薬したのか、今は学会に対してだいぶ素直な自分になりました。(笑)



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 手術に臨むとき、気持ちだけは「ここが私の竜の口」と、そう覚悟しました。この手術をもって大聖人様、3代会長のご難の一分に変えてください・・・と祈りました。それは私の人間革命におけるひとつの「発迹顕本」であったと、今振り返れば思います。

 先の婦人の方は信心7年目に出た大病です。役職もお持ちではありません。今は歓喜で折伏にも歩かれるようになったそうです。無理に力まなくても、うれしくなれば自然と仏法対話したくなります。策も方法もいらないですね。

 体験と歓喜があればそれが相手に伝わります。信心は体で勝負!こんな体験しました。こんな変わりました・・・そう言えないとせっかくの教学も「絵に描いた餅」で終わってしまいます

 「御本尊様はすごいよ!」そうストレートに言える人が、信心を身で読んでいる人だと思います。私も折伏に行くと「この御本尊様はすごい。もう生きてることが毎日うれしくなってくるんだよ」と、その歓喜を語っていけるようになりました。

 「今日も御本尊様を拝めている。池田先生という大師匠と共戦していける。」それだけで歓喜が湧くのが本当だと思います。何かが叶うから、うれしいというのではなく、瞬間、瞬間、生きていることがうれしい・・・そういう境涯に誰もがなれる信心です。

 その意味で、悪しき宿業、宿命が出た時こそ、「一生成仏」のための最大のチャンスの時。信心を身で読む最高の試練であり、いわば仏様からの贈り物と言えます。それをありがたいとするか、疑って苦しいものとするか、そこにその人の信心が出ると思います。

 まもなく子供たちも夏休みです・・・残念ながら信心に夏休みはありませんが。(笑)
日々、御本尊様に歓喜のお題目をご供養しながら、仏法対話に汗を流す、熱い夏にしていきたいと思います。




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