2014
07.20

学会の看板

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ある会合での幹部さんのお話から・・・

 「皆さんのお近くの外の友人の方に、創価学会で名前を御存じの方をあげてください・・と聞きますと、たいていの方が「池田大作」とお答えになるのではないかと思います。有名ですから・・・南無妙法蓮華経と同じぐらい流布しています。(笑)ではその次に御存じの方は?と聞きますと、原田会長かというとそうではありません。多くの方があなたの名前、またはお知り合いの学会員さんのお名前を言われるのではないでしょうか?
つまり皆さんは地元の友人の方にとっては、池田先生の次に有名な創価学会員さんになるのです。それだけ責任と使命があるということを自覚してください。」というものでした。

 もっともなことです。地元では池田先生に次いで自分が創価学会の看板を背負って立たねばならないことを、私もよく痛感させられます。特に田舎で会員が少ないと余計に注視されますし、どれだけ一人一人の学会員の存在意義が大きいか・・・よく感じるところです。

 そんな自分が金欠や病気で苦しんでいたり、人間的にぱっとしなかったりするわけですから、(笑)これは非常に申し訳ないなあと思ったりもします。しかし、過去の行いが良くなかったのか、様々な宿業を背負って生まれてきたわけですから、最初から立派というわけにはいかない。また不幸な人間が幸福になることを証明するためには、最初から立派ではうまくない話です。不幸な人ほど使命が大きいとなっていますので、そういう意味では私なんか使命が大きく生まれついたものだと、一瞬、呆然としてしまいます。(笑) さてさて皆さんはいかがなものでしょう?

 私は以前、地区の婦人部の方から「師弟不二」というのが良くわからないと聞かれました。(こちらも聞きたいぐらいですが・・・(笑))それで「師匠と弟子が一体ということですから、あなたが池田先生の心に合わせて、一つの心で広布の戦いをする。生きて行くということではないですか?」とお答えしました。するとその婦人は「そう言われても、恐れ多いですし、やはり先生は凄すぎて雲の上の方です。こんな自分が一緒というのは・・・とても私はそんな立派ではありません。」と返事が返ってきました。「いえいえ、不二なので私こそ、この地域の池田大作だと思って生きて行かないといけません。心の問題なので意識革命しましょう。」と言いますと、その方は、しばらく目をパチクリさせておられました。



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 もちろん、婦人の方の気持ちはよくわかります。私だって先生と不二です・・・なんて人前ではおこがましくて言えないですし、それだけ立派な信心をしているわけでもありません。(笑)

 でもやはり法華経の原理から言うと、師と弟子は一体不二でなければいけないので、そのぐらいの心意気は持って生きる、あるいはいつもそう言い聞かせながらいくべきではないかと思うのです。

 そうでないと池田先生と一緒に学会の看板を背負うわけにはいきません。
その意味で「師弟不二」と言っても、結局は弟子の自覚で決まると思うのです。だから「私なんか・・・」という考えは捨てて、スッパリと「私はこの地域の池田大作です、創価学会です」と決めきってやるほうが、潔いと思うのです。
 
 池田先生は戸田先生とお会いになられた瞬間から、もう師弟不二の世界に入られました。私なんか30年たってようやくぼんやりと気が付いてきたようなものです。それほど毒気が強く染みているのでしょう。

 キリスト教などはいつまで修行しても神にはなれないと聞きます。全能の神はそれこそ雲の上の存在です。しかし日蓮仏法は「あなたが仏です、早く思い出してください。」と呼びかけてくださるのです。一人一人が『南無妙法蓮華経・日蓮』と早く生命に宝塔を建てて幸せになりなさいと、それはもう惜しげもない大サービスの宗教なのです。仏様がそう言ってくださるのですから、こちらは素直に「わかりました。その言葉を信じます。」といった方がいいと思います。「それは恐れ多い」というのは謙虚なようで、時には仏法からそれてしまうと思います。

 私は仏です、日蓮大聖人と同じ生命です、そして池田先生とも不二の師弟です・・・そういう自覚を持って、決めきって信仰していくことはとても大切なことです。私なんかもっと早くからそうすればよかったと反省しています。

 異体同心の本質を御書では「水魚の思い」と表現されています。その心に信心の功徳も備わっていく。大聖人様も池田先生も別の世界の人、自分とは違う人と思った時から、血脈はぷちっと切れてしまいます。(笑)

 地域にあって「創価学会の○○さん」そう言われることは人間として最高の名誉です。それで馬鹿にされたり、悪く言われたりするのは、仏法に無知な世間の人の勝手と思えばいいではないでしょうか?(笑)


 どうせやるなら、中途半端ではなく、体のどこを切っても学会魂がほとばしるような、そんな鮮烈な信者になってこの人生を駆け抜けていきたいと思います。それでどこに連れていかれようと本望だと、腹をくくるのが師匠に対する誠意、誠実というものだと思います。



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