入会して間もない頃、ある方からお伺いしたお話です。
昔、東京・青梅の方に一人の乞食がいたそうです。おそらく昭和30年代のことだと思います。乞食ですので橋の下に筵(むしろ)か何かで囲いをして、そこをねぐらにして暮らしていました。その乞食がある日のこと、御本尊様を拾ったのです。それは誰かが御不敬して捨て置いたものだったかも知れません。雨風にもさらされていたせいか、傷みも激しかったそうです。
当時は学会の折伏が日の出の勢いでしたので、御本尊流布も寺に行列ができるほどだったそうですが、反面、浅はかにも御不敬する人も多くあったようです。
その御本尊様がどういういきさつのものであるかわかりませんが、それを拾ったのが乞食でしたので、特に警察に届けるでもなく、ねぐらに持ち帰りました。壁と呼べる場所が乞食の住まいにあったかわかりませんが、とりあえずしかるべきところに掲げていたようです。
乞食ですので仕事はありません。日中は物乞いにあちこち出かけていたのですが、不思議な事にその傷んだ御本尊様を拾ったころから、道でもらうお恵みが増えて行ったのです。今まで入ったことのないようなお金が恵んでもらえたりする・・・そういう不思議な事が現証としてよく起こってきたのです。
乞食はお金が入ってくるという現証を目の当たりにし、それがこの御本尊によることを確信しました。きっと歓喜もしたことでしょう。文字が読めたなら「なんみょうほうれんげきょう」とつぶやくことぐらいはしたのかも知れません。
その話が、いつしか村のうわさとなって、やがて地元の学会の幹部さんの耳にも入りました。幹部さんは乞食の話を聞くために棲家を訪ねて行きました。しかし、あまりに御本尊様が傷んでおりましたのと、元の持ち主も不明ですので、どうすることもできないと思われたようです。

それで「この御本尊は傷んでいますし、あなたにお下げ渡しされたものでもありません。もし御本尊がほしいということなら、新しいものとお取替えをいたしましょう。」と乞食に言いました。
すると乞食が言うには「いいや、わしはこれを拾った日からいいことがいっぱいおきるようになった。これを手放すわけにはいかない。新しいものなどいらないから、この掛け軸を持って帰らないでくれ」と言ったということです。
乞食が絶対にその御本尊を手放そうとしないので、幹部さんもあきらめてそのままで帰っていくほかなかったそうです。
話はこれだけなのですが、私はこの話はいい話だなあと、なぜかよく思い出すのです。
何も知らない乞食が、ある日、一幅の曼荼羅を拾った・・・そこからその乞食の生活に変化が現れます。それは表面的には金銭的な功徳だったかも知れませんが、もう少し深い意味があったとも言えます。それは100万年暗きところに一筋の光がサーと射し込んだような、乞食の生命の中で幸福の花が知らず開いていく、三世のドラマの始まりではなかったかと思うのです。
雨風に打たれていた御本尊様を拾い、持ち帰り、棲家にまつった・・・その行為は乞食にとっての仏縁となり、それに仏様のご慈悲がきっと下りたのだと思います。
御本尊様を拝しますと、右の肩には「若し悩乱する者は頭七分に破れ」、また左の肩には「供養すること有る者は福十号に過ぐ」と認めてあります。謗法の罪は頭が七つに割れる。つまり精神病でしょうか?そして供養する人は福運がいや増して仏になる。その時の乞食の心境まではわかりませんが、きっと持ち帰り大事に思ったその心に、福十号が顕然したのかも知れません。
いわんや私達は朝夕、御本尊様にお題目をご供養し、学会活動をし、折伏もします。その功徳がどれほど大きいか、凡夫の智慧でははかれないということです。
きっと今頃あの乞食は、どこかに生まれ変わって、「過去世に、捨てられて傷んでいた御本尊を救った功徳によって大長者に生まれ、諸天にも讃嘆されて幸せに生きている」と私は想像するのですがいかがでしょう?
御聖訓には
「一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」とあります。
たとえ乞食であっても、また思うようにいかない不遇の身の上であっても、「この御本尊に傷をつけてはならない」と仰せです。そして信心できることがどんなにありがたいことか、信心を励むほどにわかってくるのです。
今日もその福徳を噛みしめながら、障魔を蹴散らし、題目を朗々と唱え、笑顔で前進して行きたいと思います。

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昔、東京・青梅の方に一人の乞食がいたそうです。おそらく昭和30年代のことだと思います。乞食ですので橋の下に筵(むしろ)か何かで囲いをして、そこをねぐらにして暮らしていました。その乞食がある日のこと、御本尊様を拾ったのです。それは誰かが御不敬して捨て置いたものだったかも知れません。雨風にもさらされていたせいか、傷みも激しかったそうです。
当時は学会の折伏が日の出の勢いでしたので、御本尊流布も寺に行列ができるほどだったそうですが、反面、浅はかにも御不敬する人も多くあったようです。
その御本尊様がどういういきさつのものであるかわかりませんが、それを拾ったのが乞食でしたので、特に警察に届けるでもなく、ねぐらに持ち帰りました。壁と呼べる場所が乞食の住まいにあったかわかりませんが、とりあえずしかるべきところに掲げていたようです。
乞食ですので仕事はありません。日中は物乞いにあちこち出かけていたのですが、不思議な事にその傷んだ御本尊様を拾ったころから、道でもらうお恵みが増えて行ったのです。今まで入ったことのないようなお金が恵んでもらえたりする・・・そういう不思議な事が現証としてよく起こってきたのです。
乞食はお金が入ってくるという現証を目の当たりにし、それがこの御本尊によることを確信しました。きっと歓喜もしたことでしょう。文字が読めたなら「なんみょうほうれんげきょう」とつぶやくことぐらいはしたのかも知れません。
その話が、いつしか村のうわさとなって、やがて地元の学会の幹部さんの耳にも入りました。幹部さんは乞食の話を聞くために棲家を訪ねて行きました。しかし、あまりに御本尊様が傷んでおりましたのと、元の持ち主も不明ですので、どうすることもできないと思われたようです。

それで「この御本尊は傷んでいますし、あなたにお下げ渡しされたものでもありません。もし御本尊がほしいということなら、新しいものとお取替えをいたしましょう。」と乞食に言いました。
すると乞食が言うには「いいや、わしはこれを拾った日からいいことがいっぱいおきるようになった。これを手放すわけにはいかない。新しいものなどいらないから、この掛け軸を持って帰らないでくれ」と言ったということです。
乞食が絶対にその御本尊を手放そうとしないので、幹部さんもあきらめてそのままで帰っていくほかなかったそうです。
話はこれだけなのですが、私はこの話はいい話だなあと、なぜかよく思い出すのです。
何も知らない乞食が、ある日、一幅の曼荼羅を拾った・・・そこからその乞食の生活に変化が現れます。それは表面的には金銭的な功徳だったかも知れませんが、もう少し深い意味があったとも言えます。それは100万年暗きところに一筋の光がサーと射し込んだような、乞食の生命の中で幸福の花が知らず開いていく、三世のドラマの始まりではなかったかと思うのです。
雨風に打たれていた御本尊様を拾い、持ち帰り、棲家にまつった・・・その行為は乞食にとっての仏縁となり、それに仏様のご慈悲がきっと下りたのだと思います。
御本尊様を拝しますと、右の肩には「若し悩乱する者は頭七分に破れ」、また左の肩には「供養すること有る者は福十号に過ぐ」と認めてあります。謗法の罪は頭が七つに割れる。つまり精神病でしょうか?そして供養する人は福運がいや増して仏になる。その時の乞食の心境まではわかりませんが、きっと持ち帰り大事に思ったその心に、福十号が顕然したのかも知れません。
いわんや私達は朝夕、御本尊様にお題目をご供養し、学会活動をし、折伏もします。その功徳がどれほど大きいか、凡夫の智慧でははかれないということです。
きっと今頃あの乞食は、どこかに生まれ変わって、「過去世に、捨てられて傷んでいた御本尊を救った功徳によって大長者に生まれ、諸天にも讃嘆されて幸せに生きている」と私は想像するのですがいかがでしょう?
御聖訓には
「一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」とあります。
たとえ乞食であっても、また思うようにいかない不遇の身の上であっても、「この御本尊に傷をつけてはならない」と仰せです。そして信心できることがどんなにありがたいことか、信心を励むほどにわかってくるのです。
今日もその福徳を噛みしめながら、障魔を蹴散らし、題目を朗々と唱え、笑顔で前進して行きたいと思います。

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