2014
08.14

『いっぽんどっこの歌』

Category: 徒然の記
「ボロは着てても心は錦 どんな花よりきれいだぜ」

 これは水前寺清子さんの「いっぽんどっこの歌」です。みなさん御存じだと思いますが、作詞は星野哲郎さんという方で、阿久悠さんと並んで昭和歌謡の作詞家の大御所の方です。阿久悠さんが才気にあふれ、洗練された歌謡派なら、星野さんは苦労人で少し泥臭い演歌派と言えるかもしれません。その分、応援歌や励ましの歌も多く書かれています。船乗りから作詞家になられた方で、若い時に腎臓結核という病気で腎臓を摘出され、船を降りられてから作詞の道に入られたそうです。

 何かの時に私の命にこの歌が出てきます。誰しもそういう歌の一つ二つお持ちではないかと思います。「学会歌ではないのですか?」と言われそうですが、学会歌もありますが、こういうのも出てきます。仏法に通じているからでしょうか?特に金欠病の時は良く歌います。(笑)

 学会員さんでも真面目な方は信心の本しか読まない、学会にしか友人がいない・・・という方もおられます。一見、純粋に見えますが、それでは世界が小さくなることも事実です。大いに外に目を開き、他の文化や社会や趣味など、もっと学びたいですね。広宣流布も外交戦との指導がありますから、一期一会であっても命と命の交流です。池田先生が難しい話をしないで、手品で子供たちを楽しくされるのも、相手との距離を縮めて、命の交流をいっぱいされたいのだと思います。私も無芸で困りますが、人を喜ばす芸の一つぐらい持ちたいものです。山本リンダさんぐらい歌って見ようかと思います。(笑)(冗談です)

「若いときゃ二度ない どんとやれ 男なら 人のやれないことをやれ」

 学会精神にも通じます。剛毅な戸田先生、池田先生を彷彿とさせられるではないですか?先生の指導に「大変な時こそ大胆であれ」とあります。小っちゃくなってはいけない・・・小っちゃい私はいつもそう自分に言い聞かせています。(笑)



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 北島三郎さんの「風雪流れ旅」も星野さんの作詞です。「鍋の焦げ飯 袂(たもと)に隠し 抜けてきたのか親の目を・・・」なんて歌詞は、なぜか佐渡で阿仏房夫妻が人目を忍んで、大聖人様に食事を届けた光景を想像してしまいます。

 世の中には仏法に通じるものをもった素晴らしい方がたくさんおられます。もちろん森羅万象、妙法の働きであるわけですから、星野さんの歌も仏法と共鳴しています。さらっと書かれているようにあって、苦労人の生き様や根性がにじみ出ています。そういう演歌の世界も私は好きです.。

 理屈では人生は解決しない。現実にぶつかって、うちのめされてまた這い上がって、苦労しながらつかんでいく・・・その中には自分が幸福になるための肥しがいっぱい詰まっています。幸福になるために本当はありがたいところですが、当の凡夫にはつらいものですね。

 蓮は汚泥に咲くと決まっています。生命の汚泥の中に、いえ、もう一歩深く、汚泥そのものがあの美しい蓮の花へと変化していくのではないかとさえ思います。汚泥の多さなら人に引けをとらない私です。(笑)最後にはどんなに美しい花が咲くか、大いに楽しみにいこうと思います。

 「幸せは歩いてこない だから歩いて行くんだね 
    一日一歩 3日で3歩 3歩すすんで2歩下がる」  『365歩のマーチ』

 2歩下がるところが星野流幸福術のように思います。3勝2敗の人生もしぶとさがあっていいではないですか?それでも人生勝ち越せます。(笑)
全部勝たなくても負ける時だってあります・・・そういう心のおおらかさ、それで人の世の痛みも知りながら、今日も爽やかな心で妙法を唱え、生きて行きたいと思います。



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