広布の大河に君ありて tori

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熱き求道心

 
 先日来、こちらでも激しい雨が降り続き、近くでは被害も出ました。広島では土砂崩れで大きな被害が出ています。亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。

 数日前、小説「新・人間革命」<求道の章>では北海道別海町の青年について描かれていました。

 貧しさから入信し、信心を求めゆく一人の青年・・・男子部の釧路での会合に誘われますが行く汽車賃がない・・・無理だと思うものの「待っているよ」との同志の声がよみがえります。やはり行かねばならないと決意した時、「そうだ、自転車がある」と気が付き、夜通し山道を走り抜け、100キロ以上の道を踏破して釧路の会場へと向かいます。

 そして会場に着いた様子が次のように描かれます。

 「一晩がかりの、百キロを大幅に上回る走行であった。菅山の顔は、汗と埃にまみれていたが、心は軽やかであった。自らの弱い心を制覇した“求道の王者”の入城であった。
 男子部の会合では、全参加者が、この“別海の勇者”を、大拍手と大歓声で讃えた。
 彼らは、菅山の姿に、男子部魂を知った。北海の原野に赫々と昇る、太陽のごとき闘魂を見た。感動が青年たちの胸を貫いた。」


 先生は会場に入ったことを「入城」と言われています。入城とは「仏界」という名の自身の生命の宮殿へ、、青年が一歩入ったのだと私には思えました。

 今、国内で100キロの道のりを自転車で走り、会合や活動に走る人はいないかもしれません。「道のとをきに心ざしのあらわるるにや」(乙御前御書)との御聖訓を思い起こします。1キロでも遠い人には遠い、100キロでも胸中に求道の炎が燃えていれば近い・・・そこにこそ信心があるのだと思います。

 一人の青年の魂が多くの青年の心に灯をともし、信心の波動が会場全体に広がっていったのです。本物の師子が一人立つことの大切さがそこにはあります。そしてその後、その青年は別海町方面の広布の勇将となっていくのです。



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 北海道と聞けば随筆『忘れえぬ同士』で描かれた、嵐慧子さんのお名前も浮かびます。草創期、各地で彗星の如く出現された強信の方々の信心に、今一度学びゆくことが大事だと感じました。そしてこのようなお話を読むと、私の心にも「やらんかな」の熱き心が噴き上がってきます。

 自分の心に「熱き求道心有りや?」と問い続けることは大切です。信心のことを億劫に思ったり、少しのことで無理だとあきらめたり、自分だけのことを考えていたり、その程度の信心では到底、広宣流布も生活革命も思いもよらない・・・広布に対する熱き心と闘争心はあるか?自己を厳しく見つめて行きたいと思います。

 池田先生の御指導には次のようにあります。

 「行動なくして仏法は存在しない。広宣流布のために、どれだけ動いたか──そこに本当の信心が現れるのである。求道の道、弘通の道。この「道の遠さ」は、そのまま深い「志」の現れである。「心こそ大切」である。真実の志は、必ず「行動」として現れる。逆に見れば、「行動」なき信心には真の「志」はない。(2008.4.9聖教新聞)

 口先や頭で考えることは簡単な事です。動かずしてできるからです。しかし行動は体を使い、勇気を出して動かなければなりません。「動かずして事足りる」、そういう横着な癖は 腐敗の元凶となっていくように思います。

 我々の戦いは、何があっても揺るがない不動の信念を生命に打ち立てる戦いです。その信念が確固たるところ仏界が成就していく・・・さあ折伏だ!行動だ!と自身の心に一鞭あてて、日々、立ち上がる決意です。

 今の日本は内乱や紛争もなく、物質的にも豊かすぎますね。だからと言って信心が強いかというとそうとは言えない。また3世、4世と入信動機のない方も多くおられます。豊かな分、世の中全体の魔も巧妙で強いのではないでしょうか?

 お盆の休みも終わり、今年の後半戦もすでに半ばに入りました。まさに「光陰矢のごとし」です。今日からまた「求道」の二文字を心に刻み、我が使命の天地で、志のある行動を積み重ねていきたいと思います。



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