広布の大河に君ありて tori

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窮子(ぐうじ)の信心

 30年前に創価学会に拾われ、入会したものの、私にとってその組織や雰囲気は最初はそんなに居心地のいいものではありませんでした。謗法の毒も強く出ました。もちろん組織について信心をしていましたが、どちらかというとそれほど熱くなれず、また池田先生もどこか遠い人でした。

 しかし、組織が苦手であっただけで、生命の奥底ではやはり先生を求めていたのかも知れません。宗門問題もありましたが、多くの友人が法華講にいったにもかかわらず、私自身は学会を去る気持ちは全くおきませんでした。そして紆余曲折があり、信心も30年を過ぎた頃から、俄然、私の生命にはっきりとした世界が現われてきたのです。それはまさしく池田先生との「師弟」という世界、「生命の絆」の世界の顕現でした。

 それまでもここ14、5年、役職を受け、無冠の友として、我が家を拠点に解放し、学会と共に生きるように努力はしてきました。しかし、どこか自分の中で晴れやかになれない時もあったのです。それを言葉でいえば「疑い」ということになるかもしれません。それが闇が晴れるように、かさぶたがはがれるように(笑)近年きれいに消えて行ったのです。まさに朝の光に草露が消えていくように・・・それこそが私の信心の功徳でした。

 法華経信解品に「長者窮子の譬え」というのがあります。まさに私は窮子であり、池田先生は長者であったと言えます。30年の信心で御本尊様が教えてくださったものは、池田先生との「師弟の道」であり、それこそが私の行くべき確かな道であったということです。

 人は同時に二つの道を歩くことはできない・・・また歩むべきではない・・・そう思います。同じ歩くなら晴れやかに迷わずに行きたいものです。疑念と批判の人には晴れわたる青空の世界は訪れない・・・これもまた真実ではないでしょうか?


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 日々、歓喜と確信にあふれ「もう自分は大丈夫だ、迷うことはない、ようやく私も法華経の世界へ入ったのだ」と明らかなるものを見る如くそう思えるのです。

 世の中には学会を仏意仏勅の団体と信じることができず、池田先生との師弟の世界に迷い、活動を休む人も多くいます。もちろんそれぞれの自由ですし、諌めてどうにもならないことの方が多い。しかし、学会を批判する人に「師弟の世界」は素晴らしいと私は訴えたいのです。本当に信じて間違いのないものを私は知ったのです。知ると知らないのとでは天地雲泥の違いなのだと・・・

 私とて創価学会、池田先生をどこかで疑う命もありました。それが同じ人間でありながら信じることができるようになった。そこに題目の力、変毒為薬の仏法のすごさを感じるのです。


 池田先生が中心となって、日蓮仏法を世界に広めたことは紛れもない真実です。池田先生ほど、折伏、弘教をされた方はいない・・・また仏子を慈しみ、育てられた方もいない。

 誰よりも御書を会員に説き、学ぶ機会を作り、宣揚された方も池田先生です。末法においてこれだけ身を捨て、折伏、弘教された人が悪人で、その団体の供養でのうのうと生きていた坊主が仏だなんて、子供にも分かる話です。池田先生への批判は必ずや仏意に背くことになり、その人の身に返ることもまた道理だと強く断言したいと思います。

 日蓮大聖人の下(もと)、現実には衆生(人)の弘通によって仏法が広まります。まさに「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」と御聖訓にある通りです。その衆生の代表が戸田先生、池田先生であり、その師匠と異体同心して活動していくところ、我ら凡夫も、仏法の素晴らしさを身で読むことができると確信します。

 今、私の前には晴れやかな一本の道が続いています・・・晴れ渡るその爽やかな道をしっかりと踏みしめながら、我が人生の信心完成に向かって、大確信をもって、今日よりまた新たな挑戦をしていきたいと思います。



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