2014
10.24

九思一言(くしいちごん)

Category: 信心
 秋の穏やかな光は人の心を和らげ、優しい気分にしてくれるものです。そんな太陽の恵みに感謝しながら、今日も元気に生きていける・・・そのことに感謝したいと思います。

 私のように、組織からも、また先生からも一番遠いところにいると思っていた人間が、信心の功徳によって、今や組織の一員として師弟の道を歩けるようにしていただきました。これが私がいただいた一番大きな功徳と言ってもいいと思います。 「師弟」それこそが仏法における幸福の軌道なのだと今は確信しています。

 私など先生という主君にお仕えする、一地方の足軽風情ですが、心は一つと思えば、この五体に力がみなぎります。(笑)先生を思えば、先生からの波動が、この体に電流のように流れてくるかのようです。

 かつて、幹部や組織嫌いだった私も、いつしか副支部長や、地区部長を拝命し、いっぱしの中堅幹部として、学会活動に励むようになりました。しかし、「師弟」というのは役職や住む地域とは関係ありません。先生のお傍にいながら、反逆した本部幹部も多くいます。表の姿は善人ぶっていても、「心」「一念」を見抜かないといけない。人の眼はごまかせても、仏を騙すことはできないものです。最後はどの人も厳しく裁かれるというのが、法の力ではないでしょうか?
 

 地区部長などの役職をもらって一番注意するようになったことは、自分の言葉使いかも知れません。不用意な発言で、人を傷つけたり、誤解を受けたことも何度かあります。少子化のことが話題に上った時、「みなさん一生懸命、子作りしましょう」と言ったのですが、そこに一人、長年、お子さんに恵まれない婦人部の方がおられた。私はハッと気が付いて、申し訳ないことを言ったと思ったものです。

 会合にはいろんな悩みや苦しみを抱えた方がおられ、全員の顔を見て喋らないといけないと反省もしました。その意味で、普段の会話においても、言葉を選んで話すようになったと思います。

  四条金吾殿御書(P1175)には孔子の教えを引用され、「九思一言(くしいちごん)」の お話が出てきます。これは物事を慎重に、また思慮深くしなさいという戒めのようです。一言いうにも、全体や前後をよく見て、慎重にやらねばならないと思います。

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                                              <アケビの実> 


 また往々にして、自分の見立てや考えが間違っていることが多いことにも気づかされます。以前、婦人部の方で、この人の信心は大丈夫かな?と見ていた方がいました。私も何かのことで強く言った記憶があります。でも今、その方が一番まじめに協議会をはじめ、地区の会合に出てこられます。私の知らないところで、信心の心を入れ替えられたのだと思います。今でも疑ったことを心でお詫びしていますが、そんな経験から、人を軽々に判断してはいけない・・自分の判断を過信するなと思ったものです。 (そういう私も昔は同じ目で見られていました。(笑))

 「人から疑いの目で見られることほどつらいものはない」これもまた事実です。歴史上の冤罪事件はその最たるものだと言えます。そのつらさを多少なりとも知る人であれば、人を見定めることには、ことのほか慎重でなければなりません。

  いろんなことがありますが、大事なことは真実であり、仏法だと思います。法を尊び、それに殉じる心があれば、自分が間違った時も、正しい方に軌道修正できるものです。行き詰ったら、題目をよくあげるというのも、法に従うという心の発露かもしれませんね。「自分」が中心か「法が」中心か、それは振る舞いや、言葉に現れます。「心の師とはなるとも心を師とせざれ」との言葉は短いですが、厳しいことです。

 特に人から間違いを指摘された時、、それに反発したい気持ちは誰にもあります。自分の非を認めることは勇気がいります。しかし勇気は誠実であり、周囲に清々しい空気が広がります。それは自分をも清らかにし、高めます。
 結局、相手ではなく自分の方に人間革命の目を向けるしかないということでしょう。周りの縁は全部、自分を映し出す鏡なのですから・・・

 人間革命は「人の命を革(あらた)むる」と書きます。御本尊様への信と、池田先生との師弟の道以外は、大いに変革して自分を革めていかねばならない。

 その内省と、求道心があるところ、ひねくれ者がまっすぐに、いじけ者にもじんわり春の陽が射してくる(笑)・・そんな風に自分革命しつつ、それを御本尊様に深く感謝しゆく人が、やがてさらなる大きな歓喜に包まれていく人だと思います。



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