2014
11.22

篭の中の鳥

Category: 信心
 「御本尊様を拝むと、向こうから私の体に何か仏の力がやってきて、それで幸せになるのですか?」以前、そう聞いてきた婦人部の方がおられました。「いや、そんな魔法ではないですよ。自分の信心によって、自分の仏の生命を沸き立たすのです」とお答えしました。

 法華初心成仏抄には

「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」とあります。

 仏の名前(南無妙法蓮華経)を呼ぶのも自分なら、呼ばれて出てくるのも自分(南無妙法蓮華経)です。御本尊(南無妙法蓮華経 日蓮)に向かって唱えれば、わが身に現れ出るのもやはり御本尊(南無妙法蓮華経 日蓮)だと言えます。


 創価学会に入ったということは、ピーピーと生命の雛(ひな)が産声をあげはじめたようなものです。元気よく題目を唱えることは、たくさんの鳥が集まって、ピーチクパーチク、外で鳴くようなものですね。その声に誘われて、わが内なる雛鳥も飛び出したくてしかたない。でも雛のうちは外に出るとかえって危険です。魔性の餌食になります。 翼がしっかり整うまではどうしても待たねばならない。もう大丈夫となればきっと飛び立ちます。

 そしてその鳥は仏の生命です。うれしくて楽しくて力強くて幸せで仕方ない・・・そんな幸せの鳥が篭を破って元気よく飛び出してくる・・・その姿が「一生成仏」であり、「人間革命」だと思います。

 功徳も幸福も自身の生命の中にあります。不可能を可能にする力も自分の中にあります。それを呼び出せるか呼び出せないか・・それが信心ではないでしょうか?

 唯、拝んでいるだけではきっと惰性のようなものですね。惰性というのは車のアクセルを離して、後、惰力で動いているようなもので、やがて止まります。 だから、お尻に火のつくような悩みが時にはあった方がいいのです。



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 医者も世間も見捨てるような悩みになると、「御本尊しかない」となります。「絶対に負けない、信心しかない」という強い心で真剣に御本尊に向かいます。それがアクセルをふかして走っていく姿ではないでしょうか? 昔、先輩に言われました。「本当の信心を知りたければ、億の借金でも背負ってやることだ」とね・・・うーん、なりたいようななりたくないような・・・(笑)凄い境地です。(ちなみにその方は筵(むしろ)の小屋の生活まで落ちたそうですが、後には車を5台も所有する生活になられました。)

 医者が「駄目でしょう」といっても、「そう来たか、いや俺は生き抜いて見せる」 「もう倒産だ」と世間に言われても「どっこい、ここからが信心だ」 そういう一念で御本尊にぶつかると、必ず何か開ける道が出てきます。その時こそ宿命転換と希望をもって強く明るく拝めばいい、青い顔でぶるぶる震えては、鳥だって出たいと思わないですね。

 「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」とは世間のことわざです。いっそとことん行き詰った方が、法華経の兵法しかなくなって開き直ってやれるのかもしれません。信心の本当にある人は、多くの人がそういうところを歩かれています。師子が子供を強くするために、谷底へ落とすのでしょうか?「さあ、君に本当の幸せを教えるから、信心で這い上がってきてごらん」と・・・・

 念仏信仰なんかはそうなると、「もう死んで楽になりたい。この苦から逃れられるなら死んだほうがいい」となります。恐ろしい宗教ですね。他力本願です。法華経は自分の信心で自分の幸福を呼び出す、自力の信心と言えます。池田先生も「どうしても自分自身で自分を幸福にするしかない」とかつて指導されました。

 今、悩みの中でもがいている方も多いと思います。私も自身の悩みと格闘中です。実証を示すために、必ず打開できるとの大確信をもって、御本尊に向かっています。自分の信心が勝つか不信が勝つか、勝負です。

「あいつ、もう駄目じゃないのか?」そう言われたら信心はチャンスです。逆転ホームランという必勝の手が妙法です。

 「あいつの題目、最近、すごく力強くなったな、いちずでまっすぐだな」そう言われるような強き題目で、一切の勝利を切り開いていきたいものです。

きっと生命の篭を蹴破って鳥が飛び出し、やがて大空を悠々と舞うことでしょう。

「空飛ぶ者 の王たり鷲のごとし」と・・・      (千日尼御前御返事)

     
 「法戦に いざや出陣 師弟不二」  ともどもにがんばりましょう!



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2014
11.17

「会則の改正」について思うこと

Category: 信心
 今回の会則改正で弘安二年の大御本尊を受持しないことを明確にされたことに、驚かれた学会員の方も多いのではと思います。朝晩の勤行で、何十年とそして今も「一閻浮提総与三大秘法の大御本尊に南無し奉り・・・」とやっていますが、宗門から離れた今も、それはやはり弘安二年の大御本尊の事だと理解している人も多かったのではないかと思います。

 かくいう私もその一人で、外でお題目をあげる時も、学会常住御本尊と共に、心にその御本尊を思うことも無意識のうちにやっていることもありました。

 学会では創立以来、弘安二年の御本尊を本門戒壇の大御本尊と位置づけ、歴代の会長もそのことを強く強調されてきました。正本堂の建立もその意義が込められていたと思います。宗門問題の後も日顕宗は謗法であっても、この御本尊までは否定されることもなく、依然として信仰の象徴としてありました。しかし、今回、その御本尊を今後、学会は受持しないということであり、さらに宗門と決別して、独自にやっていくということを宣言されました。

 現実的にはもう20年余り、この御本尊を拝することもなく、学会員は信仰していますし、我が家に御本尊があれば、人間革命は十分できます。御本尊をもたない内得信仰の人であっても、法を信受して唱題に勤しめば、同じ功徳を受けていけることと思います。

 そう言う意味では弘安二年の御本尊は、学会員の心の依り所とは言えないものです。今からは「お山の登山」すら知らない人達の時代が来ます。そういう時代に備えるという意味で、宗門の御本尊に縛られないことを明言する必要があったのだと思います。

 ただ、会則に戸惑っている人の心情もよく理解できますし、学会自体が、長年言ってきたことを転換したのですから、その方々が学会から去っていく、ということにならないよう、学会本部として、悩める人の疑問には真摯に対応していただきたいと思います。きっと真面目な学会員さんほど、困惑されたところもあると思います。



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      あら可愛い 薄紅色やえんじ色 ピンクの濃淡 我を和ます  (詠み人・ランさん)



 もしこうなるなら、結果論ですが、この20年余の間に、もう少し早くから教学面と会則の整備を優先していただければよかったですね。そうすれば会員の合意を形成していくこともできたと思います。その大義名分ができた上で、シンボルとしての戒壇建立(広布大誓堂)、学会常住御本尊の安置、と形にしていく方が理解しやすかったと思います。

 ただ、今回の改正が池田先生もご承諾されているということを前提とすれば、先生のお心がどこにあるか、よく考えねばならないと思います。それは、「日蓮仏法が、一部の僧侶や宗派などのものではなく、どこまでも全世界の民衆のものであり、民衆こそが広宣流布実現の主体者である。」と、私たちに仏法は民衆のものであることを、どこまでも教えてくださっているように思います。

 池田先生の代で、宗門が権威的に持っていた日蓮仏法を、破門という大難を起こされて、それに勝って民衆の時代を開いてくださった、民衆の手に仏法を取り戻してくださった・・・そう見ることが、正しい見方ではないかと思っています。

 もちろん僧俗和合で仲睦まじくあれば、それはまた違ったことでしょうけど・・・その道も今は完全に閉ざされたのかもしれません。学会からすればもう宗門と一緒でなくても、独立してやっていける時代を勝ち取ったと言えます。

 その意味で封建的かつ形骸化し、謗法の山と化した宗門の使命は、終焉を迎えたといえそうです。先生がいつも言われる「宗教のために人間があるのではなく、人間のために宗教があるのだ」ということの実現に、先生はさらに駒を進めておられる・・・そう感じます。

  特定の寺、特定の御本尊だけに、仏法の本体があり、時の法主や僧侶が生き仏のように、それを特権で管理できるなどということが、幻想に過ぎないことを、私たちは日顕の姿を通して知りました

 また今回の改正も、もとはと言えば、僧俗和合が完全に破壊され、邪宗化した日顕宗の下にある御本尊を拝することが、正しい信心の道からも外れるという判断があったと思います。これまでの信仰や教義等を維持できる環境が、消滅したと言えます。ただ、決して御本尊様そのものを否定されたのではないものと、私自身は理解しています。

 大聖人様御真筆の御本尊は130体余り、現存すると聞きましたが、身延などの日蓮宗系にあるもの、日顕宗が所持しているものが大半であると思います。それらを邪宗の寺に参詣して拝することはやはり謗法となります。大聖人様の御本尊は、正しい信仰をもって拝してこそ血脈も流れ通うわけで、広宣流布を正しく進める創価学会を破門する心や、その心に染まった場所(戒壇)で拝しても、謗法になることは事実でしょう。

 いまや世界や日本のいたるところで生活する学会員こそが、仏法の具現者であり、宗門のような教条主義に縛られることもなく、真の平等性、人間友好、個性の尊重と言った、日蓮仏法の持つ豊かな人間主義を自在に開花させる時代がやってきました。

 私も古い考えから絶えず脱皮していかないと、先生の猛スピードについていけない。(笑)
一切の先入観を捨て、新しい発想で、幸福創造の人生を歩いていきたいものです。学会の組織にももっと自由で伸びやかな風を入れたいですね。

 より民衆の個性あふれる時代が来ることを願いつつ、新しい会則の元、力強い出発を開始したいと思います。
 

※11.18に若干ですが記事を校正しました。


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2014
11.10

「抜苦与楽」でバックオーライ?

Category: 信心
 11月も半ばになろうというのに、今日は外をTシャツ一枚で散歩している人がいました。それほど、お日様もぽかぽかと気持ちよさそうに、私たちに光を注いでくれています。私も車の窓越しにその光を浴びながら、「ありがたい、うれしいなあ」そう思いつつ、仕事へと向かいました。

 私など、27歳の入信で、邪宗の育ちのようなものですので、毒気も尋常ではないのですが、冥益というのでしょうか?信心30年を超えたあたりから、確かな手ごたえとして変化してきたように思います。 外から見るとそんなに変わり映えないでしょうが、私の中では渋柿が甘柿に変わっていくほどの変化のように思います。

 今は朝、一時間ほどの聖教配達、日に2時間前後のお題目、地区部長職、家庭訪問、折伏というのが、信仰の活動といったところです。やはり、一番基本はお題目です。このお題目に変化が現れたのも最近の特徴です。強い一念、強い声でしっかりと上がるようになってきました。地域のことから、生活のこと、会員さんの幸福、折伏の祈りと具体的に祈っています。「いっぱい折伏します。どうか不幸な人、御本尊様を求めている人を私の前にお出しください。お使いをさせていただきます」と祈ります。

 先日も聖教新聞の予備がありましたので、息子と同じクラスのお宅に差し上げようとお邪魔しました。奥さんに差し上げるつもりだったのですが、玄関を開けますと、なんとそこに待っていたかのように、ご主人が座っておられたのです。
 そしてこちらが問うまでもなく、ご自分から今の生活の悩みを話し始められました。一時間ほどお話しながら、仏法の話も少しずつ交えていきました。そして「明日から新聞を入れますので、どうか5面の体験談だけでも読んでください」と言いました。


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●清き川に 散りばめられてた 赤黄の   色とりどりの  紅葉の宝石  (詠み人・ランさん)
   
  ● 渓谷に  移り降り立つ  天の川  (詠み人・福島の壮年さん)
 
●散りてなお 紅(あか)と輝け 黄と光れ 命の限り 秋はゆくとも   (詠み人・王者の剣)


 まさかいきなり悩みを聞いて、折伏になるとは思っていなかったのですが、「題目が通じている」と感じることができました。その夜から入会に向かって祈りぬく決意を固めました。絶対に私の祈りで、一家を幸せに導くとの決意です。そのほかにも今、何人かの方のことを真剣に祈っています。「人を幸せにしてあげたい」そんな心が自分の体内で起こってきている・・・そのことに私自身の生命が開いていく思いです。

 「境涯」ということをよく聞きますし、また口にもします。「説明しろ」と言われても私には難しいですが、一つにはそれは生命の基底部のお話ということになると思います。先日、婦人部の幹部さんに「境涯が変わるというのはどういうことですか?」と聞きましたら、「そりゃ、あなた、たとえば貧乏な人が何不自由ない豊かな生活になることよ」とおっしゃいました。「それでは大金持ちになることが信心の目的ですね?」といいましたら、「そうね?お金だけではないけど・・・・」と言葉を濁されました。実はその幹部さんにとっては「お金」「暮らしぶり」というのが、信心や人を測(はか)るバロメーターだったのです。

 非常に仏法のことに詳しく、教学も地元では一、二といわれる方でも、境涯はまた別のお話です。生命の基底部が修羅界や二乗界のままでは、それらの知識も宝の持ち腐れになるように思います。生命が菩薩界になって初めて、他者を幸福にするための教学となり、知識になると思うのです。「教学に詳しいけど人として威圧的な人、冷たいものを感じる人」もおられます。提婆達多なんかはその典型だったかもしれません。きっと自分の知識を鼻にかけ、人を見下していたことと思います。教学の知識がなくても他者に寄り添い、同苦し、「一緒に幸せになろうね」「あんたの幸せが一番だよ」「題目送るからね」と言って、陽に陰に人を支えゆく人もいます。悩める人にとってどちらがありがたいか、自分の身になって考えればわかると思います。

 普段の対話にしろ、法論のような対話にしろ、根底には相手の幸福を願う一念(菩薩界)がないと、ただ相手をやり込めたり、心の通わない対話となりがちです。まして同志を誹謗したり苦しめたり、人格を傷つけるような発言は、仏法を盾にして仏法を破壊する、魔の行為そのものではないかと思います。

 決して自己満足や勝他の一念ではなく、相手が喜んでくれる対話、相手に花をもたしてあげられる対話ができるよう、自身の菩薩界を日々の信心で磨きあげていきたいものです。まさに信心における対話の目的は「抜苦与楽」であり、「相手のさらなる発心」を呼び起こすことです。胸襟を開いて、相手に希望と共感をもたらしゆくことが大事ですね。

 この生命の基底部の変革、境涯革命は、理だけではできないことになっています。「信行学」ですので、お題目、折伏の実践以外に境涯革命の道はありません。理論で頭のいい人から幸福になるなら、これは二乗界や東大出の勝利です。しかし題目と折伏の実践の強い人から幸福になるなら、地獄界や餓鬼界でも大いに仏になることができます。

 法華経でも竜女や須梨槃特(しゅりはんどく)の成仏が先にあげられます。まさに日蓮大聖人の仏法が大衆仏法の所以(ゆえん)ですね。私のように邪宗生まれで、知恵といっても「熱い、冷たい」を感じることしかできないおつむの人間には、まさにうってつけのありがたい宗教なのです。(笑)

 今、私の生命も今日の太陽のように、ほのぼのとしたぬくもりに包まれています。「あの方を幸せにしたい」「この方にも春を届けたい」そんな心が今まで以上にあふれ出てくるようになりました。

 学会も新しく生まれ変わり、さらに一段と飛躍を遂げる時が来ています。その時に生まれ合わせた福運と使命を自覚しつつ、「太陽の人」となって、また「悩める人の応援者」として、わが地域で乱舞していきたいと思います。

11.18 創価同志の皆様に栄光あれ!と祈りつつ・・・

だじゃれタイトルにお許しを・・・(笑)



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2014
11.07

ここは「創価カテゴリ地区」ですか?

Category: 未分類
 昨夜はわが地区で座談会がありました。支部総会から間もないこともあり、なかなか思うように準備ができませんでしたが、その分、皆さんとの対話で盛り上がり、楽しい会合となりました。

 来てくださった方が、明日から信心で元気に出発できるよう、地区部長としてそのことだけに心を砕いています。それから逆算して、いろんな内容も考えます。御書講義もできるだけ平易にわかりやすく、幹部さんも指導という形でなく、「○○さんのお話」という形で、肩苦しくないようにもしています。

 我が家は拠点ですが、本当に来てくださる方には頭が下がる思いです。何かに行き詰っている人が、「やっぱり、信心はいいな、また私も頑張ろう」とそう思ってくだされば、それが何よりうれしいことでもあります。

  昨夜は、先生との誓いを胸にドイツに渡られ、今、日本レストランの経営者として成功された安東さんという方のビデオを上映、みなさんとても感動されたようです。まさに体験に勝るものはありません。どの方の心にも学会員は素晴らしいという熱い波動が広がり、それから一体となって会合も盛り上がりました。

 そういえば、このブログ村のカテゴリも私には「創価カテゴリ地区」だという風に思えることがしばしばあります。自分が今の役職を持っているからかもしれませんが、全員がこの地区のメンバーだと思えば、本当にみなさん素晴らしい人ばかりだと思えるのです。地区にこれだけのメンバーがいればすごい広宣流布ができるだろうにな・・・といつも思ってしまいます。


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 地区の責任者になってからは、どうしたら地区が一つになれるだろう? どうすれば、この人に歓喜がわくだろう? どうすればこの人が輝くだろう?と、そういうことを考えるようになりました。その目で見れば、このカテゴリに集う人たちは「包容力のある人」、「破邪にたけた人」、「教学に秀でた人」、「世法に詳しい人」、「洞察力のある人」「ずっこけながらもがいている人(私)」と本当にキラ星のごとく、多様な人材群に満ち満ちています。この方々と同じ地区でスクラム組んで、広宣流布の戦いができれば、日本一の地区になれる・・・地区部長として幸福者に違いない・・・とそう思ってしまいます。そんなことを思うのは私だけの妄想でしょうか?(笑)

 もちろん私より、優れた方ばかりですので、地区部長はおこがましいですが、家庭訪問一つでも、話が深くて教えられることも多いだろうになと思います。全員のお宅を訪問し、みなさんと胸襟を開いて対話する・・・そんなところを想像すると少しわくわくしてきます。

 このカテゴリに集う人たちは、みなさん広宣流布のロマンを心に描いている人たちです。今は、少しのボタンの掛け違いか、あれこれあるようです。ネットゆえの不幸な対立というのも感じます。これが同じ地区に住んでいたら、もっと話は丁寧にできて、ほかのことでもふれあいがあって、理解できるのに・・・と思ってしまいます。 

 人間、野菜一つのやりとりでも、一緒に勤行するだけでも関係はガラリと違ってくるものです。この力が結合して一つになったら、きっと何かを生み出す、本当の信心を見たかったら、「創価カテゴリ地区」に行ってごらん、と言われるぐらいの力だってあると思っています。(笑)

 ネットであれ、リアルであれ、みんなそれぞれ、信心で結ばれ、池田先生のもとに集った仲間です。本当に信心のある方なら、共生と団結の心で一つになれることを、私はいつも確信しています。
小異にこだわって大同を見失わないように、いつも異体同心の原点に返って、互いを尊敬しながら、前進していきたいものです。

 一人ひとりがかけがえのない生命・・・外を歩いていて出会う見知らぬ人にさえ、今はそう思います。

 みんなで幸せになろうよ・・・そう念じつつ、他者を礼拝する不軽の精神で、今日も私は生きていきたい。
 あなたは最高の生命ですよ・・・と、そう呼びかけながら、人との対話に励みたいと思います。



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