2014
11.10

「抜苦与楽」でバックオーライ?

Category: 信心
 11月も半ばになろうというのに、今日は外をTシャツ一枚で散歩している人がいました。それほど、お日様もぽかぽかと気持ちよさそうに、私たちに光を注いでくれています。私も車の窓越しにその光を浴びながら、「ありがたい、うれしいなあ」そう思いつつ、仕事へと向かいました。

 私など、27歳の入信で、邪宗の育ちのようなものですので、毒気も尋常ではないのですが、冥益というのでしょうか?信心30年を超えたあたりから、確かな手ごたえとして変化してきたように思います。 外から見るとそんなに変わり映えないでしょうが、私の中では渋柿が甘柿に変わっていくほどの変化のように思います。

 今は朝、一時間ほどの聖教配達、日に2時間前後のお題目、地区部長職、家庭訪問、折伏というのが、信仰の活動といったところです。やはり、一番基本はお題目です。このお題目に変化が現れたのも最近の特徴です。強い一念、強い声でしっかりと上がるようになってきました。地域のことから、生活のこと、会員さんの幸福、折伏の祈りと具体的に祈っています。「いっぱい折伏します。どうか不幸な人、御本尊様を求めている人を私の前にお出しください。お使いをさせていただきます」と祈ります。

 先日も聖教新聞の予備がありましたので、息子と同じクラスのお宅に差し上げようとお邪魔しました。奥さんに差し上げるつもりだったのですが、玄関を開けますと、なんとそこに待っていたかのように、ご主人が座っておられたのです。
 そしてこちらが問うまでもなく、ご自分から今の生活の悩みを話し始められました。一時間ほどお話しながら、仏法の話も少しずつ交えていきました。そして「明日から新聞を入れますので、どうか5面の体験談だけでも読んでください」と言いました。


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●清き川に 散りばめられてた 赤黄の   色とりどりの  紅葉の宝石  (詠み人・ランさん)
   
  ● 渓谷に  移り降り立つ  天の川  (詠み人・福島の壮年さん)
 
●散りてなお 紅(あか)と輝け 黄と光れ 命の限り 秋はゆくとも   (詠み人・王者の剣)


 まさかいきなり悩みを聞いて、折伏になるとは思っていなかったのですが、「題目が通じている」と感じることができました。その夜から入会に向かって祈りぬく決意を固めました。絶対に私の祈りで、一家を幸せに導くとの決意です。そのほかにも今、何人かの方のことを真剣に祈っています。「人を幸せにしてあげたい」そんな心が自分の体内で起こってきている・・・そのことに私自身の生命が開いていく思いです。

 「境涯」ということをよく聞きますし、また口にもします。「説明しろ」と言われても私には難しいですが、一つにはそれは生命の基底部のお話ということになると思います。先日、婦人部の幹部さんに「境涯が変わるというのはどういうことですか?」と聞きましたら、「そりゃ、あなた、たとえば貧乏な人が何不自由ない豊かな生活になることよ」とおっしゃいました。「それでは大金持ちになることが信心の目的ですね?」といいましたら、「そうね?お金だけではないけど・・・・」と言葉を濁されました。実はその幹部さんにとっては「お金」「暮らしぶり」というのが、信心や人を測(はか)るバロメーターだったのです。

 非常に仏法のことに詳しく、教学も地元では一、二といわれる方でも、境涯はまた別のお話です。生命の基底部が修羅界や二乗界のままでは、それらの知識も宝の持ち腐れになるように思います。生命が菩薩界になって初めて、他者を幸福にするための教学となり、知識になると思うのです。「教学に詳しいけど人として威圧的な人、冷たいものを感じる人」もおられます。提婆達多なんかはその典型だったかもしれません。きっと自分の知識を鼻にかけ、人を見下していたことと思います。教学の知識がなくても他者に寄り添い、同苦し、「一緒に幸せになろうね」「あんたの幸せが一番だよ」「題目送るからね」と言って、陽に陰に人を支えゆく人もいます。悩める人にとってどちらがありがたいか、自分の身になって考えればわかると思います。

 普段の対話にしろ、法論のような対話にしろ、根底には相手の幸福を願う一念(菩薩界)がないと、ただ相手をやり込めたり、心の通わない対話となりがちです。まして同志を誹謗したり苦しめたり、人格を傷つけるような発言は、仏法を盾にして仏法を破壊する、魔の行為そのものではないかと思います。

 決して自己満足や勝他の一念ではなく、相手が喜んでくれる対話、相手に花をもたしてあげられる対話ができるよう、自身の菩薩界を日々の信心で磨きあげていきたいものです。まさに信心における対話の目的は「抜苦与楽」であり、「相手のさらなる発心」を呼び起こすことです。胸襟を開いて、相手に希望と共感をもたらしゆくことが大事ですね。

 この生命の基底部の変革、境涯革命は、理だけではできないことになっています。「信行学」ですので、お題目、折伏の実践以外に境涯革命の道はありません。理論で頭のいい人から幸福になるなら、これは二乗界や東大出の勝利です。しかし題目と折伏の実践の強い人から幸福になるなら、地獄界や餓鬼界でも大いに仏になることができます。

 法華経でも竜女や須梨槃特(しゅりはんどく)の成仏が先にあげられます。まさに日蓮大聖人の仏法が大衆仏法の所以(ゆえん)ですね。私のように邪宗生まれで、知恵といっても「熱い、冷たい」を感じることしかできないおつむの人間には、まさにうってつけのありがたい宗教なのです。(笑)

 今、私の生命も今日の太陽のように、ほのぼのとしたぬくもりに包まれています。「あの方を幸せにしたい」「この方にも春を届けたい」そんな心が今まで以上にあふれ出てくるようになりました。

 学会も新しく生まれ変わり、さらに一段と飛躍を遂げる時が来ています。その時に生まれ合わせた福運と使命を自覚しつつ、「太陽の人」となって、また「悩める人の応援者」として、わが地域で乱舞していきたいと思います。

11.18 創価同志の皆様に栄光あれ!と祈りつつ・・・

だじゃれタイトルにお許しを・・・(笑)



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