広布の大河に君ありて tori

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「会則の改正」について思うこと

 今回の会則改正で弘安二年の大御本尊を受持しないことを明確にされたことに、驚かれた学会員の方も多いのではと思います。朝晩の勤行で、何十年とそして今も「一閻浮提総与三大秘法の大御本尊に南無し奉り・・・」とやっていますが、宗門から離れた今も、それはやはり弘安二年の大御本尊の事だと理解している人も多かったのではないかと思います。

 かくいう私もその一人で、外でお題目をあげる時も、学会常住御本尊と共に、心にその御本尊を思うことも無意識のうちにやっていることもありました。

 学会では創立以来、弘安二年の御本尊を本門戒壇の大御本尊と位置づけ、歴代の会長もそのことを強く強調されてきました。正本堂の建立もその意義が込められていたと思います。宗門問題の後も日顕宗は謗法であっても、この御本尊までは否定されることもなく、依然として信仰の象徴としてありました。しかし、今回、その御本尊を今後、学会は受持しないということであり、さらに宗門と決別して、独自にやっていくということを宣言されました。

 現実的にはもう20年余り、この御本尊を拝することもなく、学会員は信仰していますし、我が家に御本尊があれば、人間革命は十分できます。御本尊をもたない内得信仰の人であっても、法を信受して唱題に勤しめば、同じ功徳を受けていけることと思います。

 そう言う意味では弘安二年の御本尊は、学会員の心の依り所とは言えないものです。今からは「お山の登山」すら知らない人達の時代が来ます。そういう時代に備えるという意味で、宗門の御本尊に縛られないことを明言する必要があったのだと思います。

 ただ、会則に戸惑っている人の心情もよく理解できますし、学会自体が、長年言ってきたことを転換したのですから、その方々が学会から去っていく、ということにならないよう、学会本部として、悩める人の疑問には真摯に対応していただきたいと思います。きっと真面目な学会員さんほど、困惑されたところもあると思います。



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      あら可愛い 薄紅色やえんじ色 ピンクの濃淡 我を和ます  (詠み人・ランさん)



 もしこうなるなら、結果論ですが、この20年余の間に、もう少し早くから教学面と会則の整備を優先していただければよかったですね。そうすれば会員の合意を形成していくこともできたと思います。その大義名分ができた上で、シンボルとしての戒壇建立(広布大誓堂)、学会常住御本尊の安置、と形にしていく方が理解しやすかったと思います。

 ただ、今回の改正が池田先生もご承諾されているということを前提とすれば、先生のお心がどこにあるか、よく考えねばならないと思います。それは、「日蓮仏法が、一部の僧侶や宗派などのものではなく、どこまでも全世界の民衆のものであり、民衆こそが広宣流布実現の主体者である。」と、私たちに仏法は民衆のものであることを、どこまでも教えてくださっているように思います。

 池田先生の代で、宗門が権威的に持っていた日蓮仏法を、破門という大難を起こされて、それに勝って民衆の時代を開いてくださった、民衆の手に仏法を取り戻してくださった・・・そう見ることが、正しい見方ではないかと思っています。

 もちろん僧俗和合で仲睦まじくあれば、それはまた違ったことでしょうけど・・・その道も今は完全に閉ざされたのかもしれません。学会からすればもう宗門と一緒でなくても、独立してやっていける時代を勝ち取ったと言えます。

 その意味で封建的かつ形骸化し、謗法の山と化した宗門の使命は、終焉を迎えたといえそうです。先生がいつも言われる「宗教のために人間があるのではなく、人間のために宗教があるのだ」ということの実現に、先生はさらに駒を進めておられる・・・そう感じます。

  特定の寺、特定の御本尊だけに、仏法の本体があり、時の法主や僧侶が生き仏のように、それを特権で管理できるなどということが、幻想に過ぎないことを、私たちは日顕の姿を通して知りました

 また今回の改正も、もとはと言えば、僧俗和合が完全に破壊され、邪宗化した日顕宗の下にある御本尊を拝することが、正しい信心の道からも外れるという判断があったと思います。これまでの信仰や教義等を維持できる環境が、消滅したと言えます。ただ、決して御本尊様そのものを否定されたのではないものと、私自身は理解しています。

 大聖人様御真筆の御本尊は130体余り、現存すると聞きましたが、身延などの日蓮宗系にあるもの、日顕宗が所持しているものが大半であると思います。それらを邪宗の寺に参詣して拝することはやはり謗法となります。大聖人様の御本尊は、正しい信仰をもって拝してこそ血脈も流れ通うわけで、広宣流布を正しく進める創価学会を破門する心や、その心に染まった場所(戒壇)で拝しても、謗法になることは事実でしょう。

 いまや世界や日本のいたるところで生活する学会員こそが、仏法の具現者であり、宗門のような教条主義に縛られることもなく、真の平等性、人間友好、個性の尊重と言った、日蓮仏法の持つ豊かな人間主義を自在に開花させる時代がやってきました。

 私も古い考えから絶えず脱皮していかないと、先生の猛スピードについていけない。(笑)
一切の先入観を捨て、新しい発想で、幸福創造の人生を歩いていきたいものです。学会の組織にももっと自由で伸びやかな風を入れたいですね。

 より民衆の個性あふれる時代が来ることを願いつつ、新しい会則の元、力強い出発を開始したいと思います。
 

※11.18に若干ですが記事を校正しました。


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