広布の大河に君ありて tori

TOP ≫ ARCHIVE ≫ 2014年12月
ARCHIVE ≫ 2014年12月
      

≪ 前月 |  2014年12月  | 翌月 ≫

一年間、ありがとうございました。

 この一年も終わりを迎え、みなさん慌ただしい年末を過ごされていることと思います。

 今朝の日曜も素晴らしい先生の写真と詩から一日をスタートしました。『光の言葉 幸福の曲』タイトルも美しいですが、やはり先生の詩と写真には満々たる力がみなぎっています。大輪の二つの牡丹の写真はまさに仏界そのものが開いたかのようです。

 この素晴らしい詩と写真を配達できる喜びに満ち溢れて、今日もわが地区の内外の友に、新聞を届けました。「聖教新聞を配達できる・・・そのこと自体が幸福なのだ」つくづくと感じ、車中、大きな声で「先生、ありがとうございます」と歓喜で叫んでいました。

 霜の降りた朝の世界は凍てて冷たいものの、我が胸中は希望に溢れ暖かい・・・そんな境涯に今年はしていただけたことに大変、感謝しています。

『陰徳の人に陽報の花は咲く』
 大切なのは人間として光っているかどうか。
 力を出せるかどうかである。
 その力の根源は自覚である。
 わが使命を誇らかに確信しきることである。
 ひたむきに使命に生きる人は、
 大いなる知恵が湧き 
 勇気がわき 
 境涯がひらけ
 前途が開ける。


 まさにこの先生の仰せの通りの人生になっていく・・・本当に素晴らしい信心であり、御本尊様の力用としか言いようがありません。わが生命を仏と自覚して、その使命に生ききっていく・・・それこそが選ばれし地涌の菩薩の人生です。その歓喜と感謝こそが幸福を生むのであり、やがてそれは立派な大木となって、善の花々を咲かせゆくに違いありません。




菊_R




 ブログの関係の皆さんにも、一年間いろいろとお世話になりました。多くの方の意見を含め、教えていただくこともあり、また考えさせられることも多々ありました。文字とはいえ、その背後には生きた人間模様があり、人柄も浮かび上がってくるものです。特に正義と邪義については、私なりに感じることも多くあって、大変勉強にもなりました。

 年明けまでブログの方はお休みして、また来年、ゆっくり(笑)再開したいと思います。

 創価大学の駅伝も楽しみですね。聖教新聞でも良識豊かな節度ある応援を呼びかけておられました。まったくその通りだと思います。創価学会は決して異様な団体ではない、良識のある団体だと思われることが信心理解の一助となると思います。

 どうか来年もよろしくお願い申し上げます。
私自身、大「躍進の年」にしてまいりたいと思います。

 それでは皆さんの御多幸を心からご祈念しつつ、良い年を迎えられますように。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

 

勝利魂


「冬は必ず春となる・・・」

 多くの方がこの御聖訓に励まされて、宿命と戦ってこられたと思います。私も年ごとに、この御文の意味を噛みしめながら前進してきました。

 まさに冬を越えなければ春はやってこない。「宿命の冬」「試練の冬」を乗り越えて、暖かな春の陽射しに包まれるような、そんな幸せの境涯を獲得できる信心です。厳しい冬を耐え抜いて花開いた幸福こそ、三世に薫る本当の幸福であり、その究極は何ものにも壊されない、生命の「絶対的幸福」、また「一生成仏」であると説かれます。

 そういう素晴らしい幸福が誰の生命にもある・・・釈迦仏法でも天台の法華経でも難しかった「一生成仏」を、日蓮大聖人様は「南無妙法蓮華経」のわずか七文字で誰もが「即身成仏」できるようにしてくださいました。

 延々と続く歴劫修行や、難解な理論を究(きわ)めないと駄目だとなると、私なんか入り口でアウトです。(笑)

 それを一心に妙法を信じて唱えれば、お釈迦さんぐらいの仏に易々(やすやす)となれるよと言われるのですから、ほんとうに親切な仏様です。この仏法にめぐり合えたことは奇跡であり、不思議というほかありません。それがわかると「歓喜と感謝」の心でお題目があがるに違いありません。

 もし大聖人様がこの仏法を顕してくださらなければ・・・もし創価三代の死身弘法の会長先生がおられなければ・・・世界は希望のない闇の世界だったことでしょう。我々も宿命転換も一生成仏もできないまま、六道を流転する不幸な民で終わったことだと思います。

 牧口先生が命を捨てて、大難の獄中闘争を忍んでくださったから、今の私たちがあることを、決して片時も忘れてはならない・・・いつもそう思います。今も私は冬の拘置所の牧口先生を偲ぶ時がよくあります。日蓮仏法の広布の大河の流れはその牧口先生、戸田先生の獄中闘争から始まりました。その会長先生の御恩に報いて学会を守りゆく生き方が、人として正しいのであり、仏の血脈を受ける人だと私は信じます。

 

 torima1_R_R.jpg



 有名な「苦徹成珠(くてつじょうじゅ)」(苦に徹すれば珠となる)という言葉は作家の吉川英治氏の言葉です。どんな世界にあっても、一流の人というのは、きっと苦に徹する修行の時代を耐え抜いた人ということでしょう。まして無上の幸福を獲得する信心の修行です。「宿命の苦」に徹して、「胸中の珠」を辛抱強く磨きぬいていく、強い忍耐力と持続の心が必要です。

 信心してあっという間に幸せになったら、それは嬉しいかもしれませんが(笑)、ありがたみも喜びもきっと薄っぺらなものです。苦労してつかむから値打ちもあるというものですね。

 私は苦しくてつらい時、その大きな苦を持ち上げてひっくり返す、あたかも力士のような力が、生命の底から湧いてくるのを感じます。「さあ来い、勝負だ!」といった勇猛心です。私はこれを「勝利魂(しょうりだましい)」と呼んでいます。(笑)この「勝利魂」がある限り、自分は負けるものか・・いつもそう確信します。

冬を愛する人は 心広き人
根雪をとかす大地のような ぼくの母親  (四季の歌)

 世間の歌ですが、やはり冬の根雪を溶かすのは、壮年部ではなくて母である婦人部のようです。(笑)
尊敬する婦人部の皆さん、これからも宜しくお願いいたします。

 思うようにいかない人生の冬を、信心を抱きしめ、多くの同志の方が戦っておられます。その方たちを励まし、ともにスクラム組んで、春をめざして私も生き抜いていこうと思います。


 寒さが本当に厳しくなりました。豪雪の被害に会われた皆様、また冬のさなか、復興への戦いをされています東北の皆様に、心よりお見舞いと激励を申し上げます。同志としていつもお題目を送らせていただきます。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

目の前の使命

 

 14日の投票まであとわずかとなりました。時間がないこともあり、電話での支援も多い今回の戦いです。平日は携帯の電話帳や同窓会名簿を頼りにアタック・・・また夜や土日は地区の内外の方にお会いしながら、支援に走っています。

  厳しい返事をいただくこともありますが、それもまたよし。安定してぶれない党の素晴らしさを、最後まで訴えていきたいと思います。

 また話が弾んで、普段お聞きできない生活上の悩みなど、お話してくださる方も何人かおられました。

 一人の青年(外部の方で35歳)ですが、奥さんと2年ほど前に離婚、3人の子供を自分が引き取って生活されています。昼間は工場で働き、夜は実家の母親が来て子供の方を見てもらい、コンビニで深夜まで働くという毎日。来年、真ん中の子が中学に入るので、家のローンと合わせて、お金の方が苦しいとの話でした。

 私が訪ねたのは日曜でしたが、「この季節、乾かないんですよ」と言って、洗濯物を取り入れているところでした。2つの仕事に慣れない家事と、一時、体も気持ちも疲れ果て、「もうやっていけない、俺、駄目かな?」と思ったこともあったそうです。「再婚は考えているの?」と聞きましたが、長女が中2で反抗期ということもあり、新しい奥さんが来ても、うまくいかないように思います、との返事でした。

 「頑張っていれば、また何かいいことがあるでしょう・・・」対話中、何度も彼はそう口にしました。少し前に、秋の運動会の日に一緒になり、彼が作ったお弁当を目にした時、それが本当に愛情のこもったサンドイッチだったので、「コンビニのじゃなくて手作りしたんだ。どんな気持ちで、朝早くからこのお弁当を作ったことだろう・・・」と思うと、私も思わずウルッときてしまいました。



IMG_9381a_R.jpg



 「今は子供たちのちょっとした成長や、笑顔に励まされて、なんとか耐えてます」とも言っていました。

 若いのに私なんかよりはるかに苦労している・・・そう思います。信心の話もしていますが、今はまだ受け入れる気持ちはありません。でも「負けたらあかんよ、必ず報われる日が来るから」そう励まして別れました。

 彼がどうやったら、妙法をたもって、宿命打開の道に入れるのか・・・私にとっては御本尊様からまた一つ、宿題を出されたような気分です。策も方法もありません。ひたぶるに御本尊様に祈りゆくしか、そしてきっとそれが最善の道であることを信じていこうと思います。

 そういう人が、今、私の周りに何人もいます。不幸な宿命に喘いでおられるのに、妙法を素直に聞き入れない。
その方たちが信心するまで、固い岩盤に穴を穿(うが)つような道かもしれません。しかしそれを避けて通るわけにはいかない・・・それが私の使命だと思います。

 今の目の前の現実にこそ、自分が果たさねばならない使命があり、そこが私の信心の道場です。一歩たりともその現実を離れて信心はない…先生の指導にもそうあります。

 「苦しむ人に自分は妙法を語った。信心しないのは向こうの問題だから仕方ない・・・」それではまだまだ無慈悲な折伏であり、本当に相手を救うという心が弱いと思います。私もかつてはそうでした。今はそこからが信心、自分の執念で彼の信心への無理解を打ち破っていく・・・その人が信心できるまで、粘り強く戦っていこうと、その強い決意と祈りが沸々と湧きおこってくるのを感じます。

  どんな戦いでも一筋縄でいかないからこそ、自身の未熟さも現実の厳しさも教えられ、地涌の菩薩としての力量も鍛えられていくのだと思います。

  「必ず、妙法の世界に連れていくから!」 そう心で語りかけながら、その夜、自宅のご祈念帳に彼の名前を加え,御本尊に祈りました。

 また新たな前進を開始したいと思います。

 
 北海道の同志の皆様、全国の同志の皆様、共々に勝ちましょう!お題目を送ります。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村





「人間革命」光あれ

 2日付の聖教新聞は小説「人間革命」の執筆50周年の特集でした。この50年、多くの方がこの小説によって奮起され、また正しき信仰の何たるかを学び、おのおの「人間革命」の道を歩いてこられたものと思います。

 一人一人が「人間革命」のドラマを生きている・・・これが創価学会の実相であり、日蓮仏法を体現していく誉れの求道者こそ、まじめな学会員の方々だと言えます。私も広布に生き抜かれた同志の方々に頭を下げる思いで、この日の記事を読ませていただきました。

 「偉大なる ペンの聖業 五十年 『人間革命』 世界を照らして」 


 お恥ずかしい話ですが、実は私も熱心に読まない時期が長くありました。求道心のない時は聖教も大白蓮華も開かないものです。私の尊敬する先輩は題目をあげては、御書や大白蓮華を拝し、また再び、題目をあげる戦いを毎日、3時間、何年もやったと仰っていました。その戦いがどれほど大変か、やってみた人でないとわかりません。
 
 ある時、その先輩は池田先生にお会いされたそうで、「教学が良くわからないのですが?」と尋ねられたら、先生は「人間革命に全部書いてあります。」とお答えになったということでした。私ももう一度、「人間革命」を襟を正して読み直したいと思います。

 
 挿絵を担当されています内田画伯から、50周年を祝して、素晴らしい先生の肖像画が贈られたと記事にありました。ぜひ機会があれば、実物を拝見してみたいものと思います。氏ほど、先生のお顔、お姿を描かれた方はいないのではないでしょうか?それもまことに不思議な使命だと言えます。
 挿絵からは常に先生に対する尊敬の心がにじみ出ているように思います。肖像画は戸田先生に勝利を報告する先生のお姿だそうですが、それこそ創価の象徴である「師弟」の誉れの瞬間ではないかと思いました。


sengamine2_R_R.jpg
             
                冬空に 厳と立ちたる 古木かな 王者の風格 君も持(たも)てと (剣)


 またその日4面の「論苑」では、「生命変革の法理」と題して森永教学部長の論文も掲載されています。特に私の印象に残ったのは、「業生」から「願生」へという宿業の捉え直しのお話です。「願兼於業」が、とてもダイナミックに真実味を帯びて感じることができました。(詳しくは新聞をお読み願います。)

「自分の不幸や労苦は、仏法を証明するために、願って生まれてきたのだ」 そう強く確信したいと思います。

 そう言えば、小説「人間革命」は「悪しき宿命を使命に変えて、勝利しゆく」というテーマに一貫して貫かれています。「一番苦しんだ人、地域が一番幸せになるのだ、幸せにせずにおくものか!」という強い先生の心が、戦争に対する冒頭の言葉から今日まで、小説の背景に鋼の如く裏打ちされています。それこそが小説「人間革命」の要であり、骨髄ではないかと思います。

 多くの内外の方が池田先生を敬愛して、小説「人間革命」を生きる滋養としながら、日々、闘っておられます。
有名な方から無名の庶民の方まで、幾百、幾千万の人がまるで、池田先生から放たれる放射状の糸を、一人一人手繰(たぐ)り寄せるように握りしめている・・・

 それはあたかも創価学会=広宣流布という仏の大樹が、地中深く、幾千万もの衆生の信心の根から養分を吸い上げて発展しゆくように、私たちは誉れの根っこ一本一本であるとも思うのです。大樹(仏)と根(衆生)は不二である・・・根が枯れれば大樹も枯れます。日蓮大聖人と私達、池田先生と私達・・・その目に見えない強い信心の結びつき以外に仏法の血脈の道はないと確信します。

 決して華やかな人生ではないかもしれない、物質的に多く満たされることもないかもしれない・・・しかし心は人間王者として、世法や世俗を悠々と見下ろして、仏界に入っていくことができる、それが法華経の心髄です。私たちが目指すべき「真実・永遠の都」にほかならないと信じます。


 さて「師走」ですので先生はきっと走っておられますね。(笑) 100年後、200年後を見据えて、仏界と娑婆世界を往還されつつ、次々と手を打っておられるに違いありません。私達も「人間革命」の糸をしっかりと握りしめて、「地域の勇」として師弟共戦の道をさらに強く生きて行こうではありませんか?

 事故などありませんよう、また風邪などひかれませんよう、皆様の無事安穏をお祈り申し上げます。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


都の月を詠(なが)める日まで

 
 衆議院選も公示になり、昨日は党首討論で、山口代表の表情を頼もしく見ておりました。私も今回はポスターの掲示から支援の活動へと、電話と訪問を合わせて幅広く動いています。

 ここ数年、地域の役員や子供会、人権委員や子供の剣道クラブと、積極的に地域行事に参加していたこともあり、新しい友人を多く作ることもできました。「選挙の時だけ来るね」なんて言われないように、日ごろからの友好活動の大切さを感じます。

 子供会の会長を退いた今も「名誉会長」なんて呼ばれています。(笑)また仲良くなれば、仏縁を広げることもできますので、これから仏法対話にも入っていけるよう祈っていきたいと思います。


 よく入信したころ、信心は寺の鐘だと教えていただきました。「強くつけば大きく、弱くつけば小さく音が返ってくる。信心も同じだよ」と・・・

 しかしながら修行の枝は曲げられるものです。誰しも最初から最後まで強信で行くことはおそらくできません。新池御書には「皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が・中程は信心もよはく」とあります。続いて「譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき」と退転を戒めておられます。

 「耳に痛いわあ」という方もおられると思います。私も都会で入信、勇んでやっていましたが、田舎に帰ってから10年ほどは組織からも遠ざかってしまいました。因習の深い田舎で、家に邪宗があったこともあり、信心を捨てることはありませんでしたが、思うに任せない状態が長く続きました。



IMG_8160_R_R.jpg
                        都の月ではありません、田舎の月ですが・・・

              「戦えば 三障四魔は 競えども 勝ちて都の 月をばながめん」  (ランさん)
                
              「何処(いずこ)にも 法は光りて 満月の 九識の都 求め征(ゆ)く日々」 (剣)




 強く鐘をつくように、一途に一生懸命、信心に励む人を御本尊様がほうっておかれるわけはありません。その人は必ず大長者、幸福者になるに違いありません。そうなれるよう、私も自分の心にいよいよこれからだと言い聞かせ、鞭を入れてやっていきたいと思います。

 私の地区にも地区部長までして、今は勤行もしなくなった同い年の友人がいます。たまに会うと、「もういつ死んでもいいんや」なんて笑っています。しかし、その瞳にはかつての輝きはない、表情から若さが消えています。鐘もつかなくなると「ぐうの音」も出なくなってしまうものだと、悲しく思います。

 結局、宝の山に入って、宝をつかみ損ねたと思います。彼の信心にはいつも「我見」が強くありました。「信心とはこんなものだ」という見下した思いと同時に、幹部批判も激しいものがありました。彼の口癖は「もう俺は学会を卒業した。これからは自分のやり方でやっていきたい」 そして結局、最後は生命力も枯れ尽きるところへきています。

 信心に卒業もゴールもないはずです。いかにいいところまで行ってもそれに満足すれば後は退転が待っています。「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」との有名な御文にあるとおりです。ありがたいことに年々、私は信心が強くなってきました。その分、月々日々に輝いていきます。(誰も言ってくれないので自分で言いますが・・・(笑))

 御本尊は我が生命と説かれます。その生命の御本尊を湧現させることが、人間革命であり、広宣流布です。仏界が我が身に起こってくれば、自然と仏法対話、折伏が弾みます。生活や顔色にも色艶が増してきます。折伏したくてしょうがない・・・拝みたくてしょうがない・・・そうなったら、鐘をゴーンとついているようなものですね。その道に徹しゆく人は、もはや仏になる軌道を行く人だと思います。

  信心の姿勢は、如是相、如是性、如是体…とすべて鏡のように生活に顕われます。「どうせやるなら渋々ではなく、潔くやろう」それはいつも自分に言い聞かせています。「会合に出る」 「題目をあげる」 「仏法対話に行く」その活動をもの憂く思う時は要注意です。(いつもそうですなんて誰でしょう?) 「そんな心で動いても功徳は少ない・・嫌々の心に返ってくるのは嫌々の功徳だよ」と自分に言っています。(笑)。

 心に大きな夢を描いて、それに向かってはつらつと生きていける・・・それこそ今、私がいただいているありがたい功徳です。学会と共に先生と共に、生きている間に100世帯の折伏を目指して、今日も仏縁を広げながら、朗らかに御本尊一筋の道を歩いていきたいと思います。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

12
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31