2015
01.24

法華の大海

Category: 信心
 

先日の地区協議会の中で、ある婦人部の方がこんな話をされました。

 「御近所の方で、長年お付き合いしていても、どこか心を許していない自分がいるのに、学会員なら、初めて会っても、昔からの知り合いのように、何でも話していることがある・・・」 

 まさに我ら「学会家族」であり、そこには世間のお付き合いにはない、目に見えない深い絆があるように思います。「この方も学会員」と聞くだけで、ほのぼのとしたぬくもりを感じることがあります。
 
 まるで深海の底で人知れず結ばれたかのように、海上には姿はなくとも、生命の奥底では三世にわたり、厳然とある久遠からの縁(えにし)・・・仏や師弟、同志、眷属との深き絆・・・それを知り、その絆に生きることができる私達は不思議な人生行路を生きる幸福者と言えます。

 また海上にはどんなに嵐が吹き荒れていても、その海底には安心立命の崩れざる大歓喜の世界がある。それを知る人が仏であり、それに迷い、嵐に翻弄される人が凡夫であると仏法は教えます。

 よく法華経のことを大海に譬えられることがあります。「法華経の一字は大地の如し万物を出生す、一字は大海の如し衆流を納む」(王日女殿御返事)  「大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや」(椎地四郎殿御返事) また「をなじくは・かりにも法華経のゆえに命を捨てよ、つゆを大海にあつらえ・ちりを大地にうずむとをもえ」(上野殿御返事)もあります。

 まさに大海の一番の特徴はどんな衆流でも受け入れて一味にしてしまうことです。

 たとえドブ川であっても、糞尿が流れ込んでも、遠慮なく受け入れてくれます。「あなたは臭いからここに来ないで」などと言わない。それは小さな川同士の言い分であり、差別、いじめの世界です。




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 やがて大海は同じ海水として、その汚れた川の水を変えていきます。ヘドロも糞尿も大海が飲みこんで、みんな溶かしてしまうのです。そして「よかったね。君もこれで同じ海水だ。それと同時に君が大海なんだよ」と言ってくれるのです。

 「実は私もひねくれた川の時代があってね。まあ、臭い邪宗水の、人が鼻をつまむような謗法川だったんだ。」なんて言っているかもしれません。(笑)

 私達は一人一人、水質や形の違う川のようです。それを理由にいがみあうこともある。世界で起きる対立も同じ構図かもしれません。

 万人に仏性があり、人間は自他不二であるという法華経の思想、菩薩の生き方を弘めゆく以外に、それらの対立の根本的な解決はないと思います。その意味で、今、192か国に日蓮大聖人の仏法が弘まった事実は、世界にとっての確かな平和の潮流であると、あらためて池田先生、創価学会のすごさを感じるものです。

 世界が混迷におおわれ、闇深き時こそ、必ずや、この仏法の光明が燦然と光り輝くものと確信します。

 私達にあっても同志を大切に、励ましあっていきたいですね。同志の足を引っ張って、歓喜や生気を奪ったり、中傷したり、善の連帯を分断する働きをなせば、それは法華経の心を踏みにじる、魔の行為と知るべきです。

 池田先生は「方便品寿量品講義」(上))で次のように仰せです。

 「人を喜ばせるのが指導者です。人を励まし、元気にするのが指導者の使命です。絶対に人を叱ってはいけない。(中略)かりにも人を圧迫したり、追いつめたりすれば、指導者失格であり、この経文に背くことになる」

 学会員なら本当に肝に銘じなければならない大事な指導だと思います。

 楽しくなければ、生命力も希望も湧きません。誰もそれを欲しています。それを人に与えることがどれだけ大事か、人を安心させることになるか・・・「抜苦与楽」こそが私達の活動の標(しるべ)であるべきです。

「一緒に幸せになろうね・・・」そんなあたたかな声があなたから聞こえてくるか・・・ 私から発信できているか・・・

 今日から私も同志の方とともに、沖縄のカチャーシーでも舞うように、もっともっと明るく楽しく、生きる歓びを広宣流布していきたいと思います。



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2015
01.17

色良し,香り良し、味も良し・・・

Category: 信心
 

 皆さんよく御存じのように、「色香美味」と言う言葉があります。「此の大良薬は、色香美味、皆悉く具足せり」と、如来寿量品にあります。これは戎定慧の三学や三大秘法をあらわす意味もあるそうですが、そういう難しい話は私にはできません。

 ただ、「良医病子」の譬えにありますように、謗法の病の子を救いたいと、親である仏様が一生懸命作られた薬が「南無妙法蓮華経」であり、、色、香、味ともに優れており、どんな病も治すことができる」というお話なら理解できます。(大雑把ですが(笑))

 味と言えば、法華経には醍醐味とか熟蘇味などの言葉も出てきますね。これは牛乳の発酵する過程でできる味のことだそうで、天台大師がお釈迦さんの教えを五時に立て分けた時に、五つの味を配して説明しているそうです。

 そんな秀才の天台大師も、「病人で良いから末法に生まれたかった」と末法を恋しがっておられます。ですから私達が末法に生まれ、妙法を受持したことがどれほどすごいことか・・・その私達が、チンプンカンプンなのですから、世の中、妙なものです。

 医者と病人と言うことでいえば、私なんかは狂子ともいうべき重病人ですので、それが知ったように、仏法の話をしていること自体、考えて見ますとおこがましいわけです。

 素直に病院に行って、頭を下げて、過去の謗法を懺悔し、せっせと良薬を飲まなければならない・・・と信心するほど、そういう心境になります。



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 南無妙法蓮華経はすごいお薬で、衆生のどんな悩みも治すことができる、そして味も最高に甘くておいしい・・・色香美味と言うのですが・・・??

 それが長年、信心していますが、なかなかおいしく感じられない。(笑)それどころか雑念ばかりで、早く鈴を打とうか、題目より腹が減った・・・などと、ふとどきな事ばかり思いながら、私なんかやってきたのです。

 10時間唱題も何度かやりましたが、苦行僧のようなことをよくやったもんだと・・・(笑) もちろん、決意してやる気のある方はそれは尊敬いたします。

 以前、私の奥さんから、「すごい御本尊様なら、そんなにやらなくても功徳が出てもいいのじゃないの?」と言われて、返答に困ったことがあります。(汗)

 本当はその通りなのです。なぜ、功徳の出方が悪いか、長年、おいしくない題目を飲み続けて、ようやくわかってきたことがあります。それは簡単です。おいしくない題目をあげているからなのです。(笑)

 おいしい題目をあげれば功徳は出る。御本尊様と言っても我が生命ですので、こちらが嫌々ですと、御本尊様も嫌々です。苦しいお題目では御本尊様も苦しまれる。自分のお題目が歓喜に溢れていけば、功徳の出方はグッとよくなるはずです。

 お題目がおいしくないのは、謗法の毒気が強いからだと言えます。過去遠遠劫より、念仏や真言等の謗法の悪酒に酔い、ヘドロのような臭い生命に、聖水たる妙法を入れても、すぐには功徳も何もわからない・・・良薬が口に苦く、心に苦い・・・言ってみれば、そんな状態が私も長く続きました。

 ところがそれがある時から少しづつ変わってきました。お題目にいつとはなく、ありがたみを感じるようになってきたのです。一つには妙法がわが体内に沁みてきたのかもしれませんし、仏様のご慈悲で、重いヘドロが多少、薄まったのかもしれません。そしてそれに連れて拝み方も変わっていきました。

 「医者の言うことを良く聞いて、薬を飲んで、病気を治します。どうかこの謗法の罪をお許しください。一生懸命、広宣流布いたします。」と言うことを素直に聞く、患者さんのような心持になっていったのです。それから苦い薬がありがたくおいしく感じられるようになりました。

 拝むことは治療を受けて、病気を治していくことです。畜生の皮をかぶった私が、仏の生命を開くことです。毎朝、毎晩、治療に励むと病気が治っていくのですから、ありがたい、うれしいとなります。

 「ありがたいなあ」、「うれしいなあ」のお題目・・・私の唱題にも色香美味の気配が漂ってきたではありませんか?

 色香美味のおいしい題目があがれば、信心は苦行ではなく歓喜行になります。信心を楽しめるようになれば、御本尊様もさぞかしお慶びで、「善き哉、善き哉」と頭をなでてくださるかもしれません。そうなると、諸天の加護もいや増して、おのずと生活にも幸せが現われるように思うのです。

 そのことを知るにも30年ほどかかっているのですから、まことに重篤の子供というわけです。その毒気充満の苦しい時代を、信心を捨てずに辛抱したので、ようやく仏様から、ご褒美を少しいただけたのかもしれません。

 それをもって、いよいよこれからが、私の使命を果たす時なのだ・・・そう自分に言い聞かせたいと思います。



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2015
01.10

世界を変えゆく力

Category: 未分類

 先日、NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」という番組で、北海道大学教授の高田礼人(あやと)さんが紹介されていました。今、最前線でエボラやインフルエンザウイルスを研究しておられる46歳の若き研究者の方です。

 エボラと言えば近年、大変猛威をふるっている強毒のウイルスですが、アフリカが主な感染源であり、インフルエンザほど一般的ではないため、その抗ウイルス剤も確かなものはまだないのが現状です。

 高田さんは現場主義で、インフルエンザでもウイルスの元凶である動物の血を採取するため、海外の現地へとすぐに飛んで行かれます。洞窟に入り、コウモリを採取するところから自分でやられるのです。相手がエボラウイルスのような場合、それこそ命がけなわけですが、その勇敢な姿勢に、高田氏の並々ならぬ情熱と行動力を垣間見ました。

 自己の名誉などと言うことではなく、(名誉を欲しがる人は、命を顧みない行動などとれません)人命を救いたいという、その純粋な学者魂は、仏法でいう声聞、縁覚界を越え、菩薩界の働きさながらのように思われます。

 その姿から、私は先駆者として世の中を変えていく人の精神を感じました。未知なる世界に挑戦する勇気と知性、情熱と行動、そして苦しむ人のためになりたいという人間愛・・・世の中を変えゆくフロンティアとしての資質を、何とたくさん持ち合わせた人だろうと思いました。長髪の野武士のような風貌、学生たちと、また自宅で奥様と、磊落(らいらく)にお話されている飾らない人柄にも好感がもてました。

 世界を変えゆく力・・・それはどの世界であれ、まさに情熱ではないか?私はそう思います。何かと戦うこともない情熱なき生き方は、食べて寝るだけの動物とあまり大差ないようにさえ思えてしまいます。



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      <阪神大震災から10年ほどたった頃の神戸の夜景です。美しさよりも
        震災の傷跡を、まだ強く感じながら眺めていました。>(六甲山頂付近より)


 
 私も日頃、自分自身に「情熱の火は燃えているか?」と尋ねてみます。もちろん、世のための研究をするような資質も持ち合わせていないわけですが、それでも今は日蓮大聖人の仏法をたもって生きる身であり、世界とは言わずとも地域の広宣流布に対して、私なりに責任と使命を感じてもいます。

 魔軍と戦う勇気はあるか? 折伏精神はあるか?その情熱を絶やさず、日々、行動していかねば、10年たっても広宣流布は絵に描いた餅にすぎない・・・そう思います。

 情熱があれば、惰性や諦めの心と戦うことができます。また一日を大事な目的のために使うことができます。死ぬ時から逆算しますと、時間はどんどんなくなっていくわけで、いかに今日一日を生きるか・・・

 偉大な人というのは才能ではなく、生涯、夢の実現に向かって、情熱の炎を燃やし続けられる人なのかもしれません。

 仏法に巡り合えたこの千載一遇のチャンスに、広布のために貢献したい、後継の人を何とか育てたい・・・一歩でも精進して強い人間になろう・・・そう日々、決意を新たにしゆくものです。

 自らが決めたゴールに向かい、ひたすら歩きゆく人生・・・それこそが人として輝く、また豊かな実りある人生であり、悔いの残らない価値ある生き方であると、番組を見ていて意を強くしました。

 そういう情熱を傾けられる信心に巡り合えたことに、今は心から感謝したいと思います。

 

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2015
01.04

新年開幕おめでとうございます

Category: 徒然の記
 

皆様、新年明けましておめでとうございます。

「世界広布新時代躍進の年」がいよいよ開幕いたしました。
皆様も新たな決意で新年を出発されたことと思います。
    
 年があらたまることは、生命があらたまることに通じているように思います。今年こそとの思いで、誰もが新しく決意をもって出発していくことができる。本当に現在と未来しか私達にはないものだと思います。

 過去は泡と消えてしまい、もう手元に戻ることもやり直すこともできないものです。消したい過去もたくさんありますが(笑)気にしても仕方がありません。私達にあるのは現在と未来であり、未来は触れることはできないものです。私達が変えていけるとすれば、今しかない。そのかわり、今この時に善因を積めば、未来を楽しいものにも明るいものにもできます。「未来の果を知らんと欲せば現在の因を見よ」まさにこの言葉通りですね。

 その今を変えていくためにもっとも大事なのは決意、決心だと思います。

 若い時、私は自分が失職し、これからどうしたものか、御本尊様にまるでお任せのような気分で題目をあげていたことがあります。でも一向に何も変わっていくことはなく、一年たっても、相変わらず悩んでいる私がいたのです。(その間、生活はどうしていたものか?(笑))

 実際、自分がこうなるという決意、目標もないまま拝んでいる。自分の心も定まっていない。この仕事をやりたいという願望があるのに、それを決意できないのは、信心の力で叶えていくという自信がないからではないか?とさすがの私もようやく気づいた次第です。


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 それからはすべて未来に自分がこうなるという姿をしっかり描いて、信心しようと思いました。それが不可能に思えることでも叶うことを信じていく・・・池田先生は「無理を承知でやるのです。」と言われています。本当に切れ味鋭い御指導ですね。

 決意して祈ると、確かに自信や力が湧いてきます。事業や商売をしている人なら、自分が社長でバリバリやってる姿、商売が大発展している姿をしっかりイメージする。病気の人なら、完治して元気にやってる姿を・・・そしてそれに向かってまっすぐに祈っていく。そこに不思議と御本尊の力としか言いようのない働きが起こってくるのです。

 自分が必ずそうなると決めて祈ればそうなります。これはすごいことです。なぜそうなるか?絶対祈りの叶う御本尊だからです。仏の心と道理に反しないことであれば叶う。一生懸命、題目をあげて叶わないのは、たいてい決意が中途半端か、叶うことを疑っているか・・・いずれかではないかと思います。

 叶うことを信じきれない・・・・これは本当に御本尊様に失礼であり、申し訳ないことですよね。

 それがわかると悩みがあっても、未来が明るく希望に満ちたものに見えてきます。今の財布の中は薄くても(笑)、未来にはお金に困らないように思えてくる。自分が幸せになっている姿が確信できて「ありがたい御本尊様だなあ」と拝めるのです。それは「因果具時」の姿です。「幸福になろう」=「既に私は幸福だ」そう思えるようになっていくのです。

 鳥でさえ、「あそこまで行こう」と決意して飛び立つものです。「躍進」の「躍」の字の右側は、鳥が羽ばたこうとしている姿であると先生はご教示されています。(大白1月号P25) いわんや私達は人間です。強い決意に仏力が湧現し諸天も歓喜して加勢していく・・・それが信心で自己を開花させる鍵だと思います。

 さてさて、その上で、毎日の精進ということですが・・・うーん、これがまた大変(笑) 
 「共々に励まし、共々に征かなむ」・・・・ですね。

 善知識に親近して、今年も大躍進の一年にしてまいりましょう!



※創価大学箱根駅伝、感動をありがとうございました。初陣で大変だったと思います。でもあの場所に立ったことが彼らの勝利であり、新たな出発だと思いました。順位は悔しいかもしれませんが、優勝した青学も初出場の時は最下位だったそうです。必ず、これから後輩の方々がタスキをつないで歴史を作ってくれると信じています。



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