広布の大河に君ありて tori

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法華の大海

 

先日の地区協議会の中で、ある婦人部の方がこんな話をされました。

 「御近所の方で、長年お付き合いしていても、どこか心を許していない自分がいるのに、学会員なら、初めて会っても、昔からの知り合いのように、何でも話していることがある・・・」 

 まさに我ら「学会家族」であり、そこには世間のお付き合いにはない、目に見えない深い絆があるように思います。「この方も学会員」と聞くだけで、ほのぼのとしたぬくもりを感じることがあります。
 
 まるで深海の底で人知れず結ばれたかのように、海上には姿はなくとも、生命の奥底では三世にわたり、厳然とある久遠からの縁(えにし)・・・仏や師弟、同志、眷属との深き絆・・・それを知り、その絆に生きることができる私達は不思議な人生行路を生きる幸福者と言えます。

 また海上にはどんなに嵐が吹き荒れていても、その海底には安心立命の崩れざる大歓喜の世界がある。それを知る人が仏であり、それに迷い、嵐に翻弄される人が凡夫であると仏法は教えます。

 よく法華経のことを大海に譬えられることがあります。「法華経の一字は大地の如し万物を出生す、一字は大海の如し衆流を納む」(王日女殿御返事)  「大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや」(椎地四郎殿御返事) また「をなじくは・かりにも法華経のゆえに命を捨てよ、つゆを大海にあつらえ・ちりを大地にうずむとをもえ」(上野殿御返事)もあります。

 まさに大海の一番の特徴はどんな衆流でも受け入れて一味にしてしまうことです。

 たとえドブ川であっても、糞尿が流れ込んでも、遠慮なく受け入れてくれます。「あなたは臭いからここに来ないで」などと言わない。それは小さな川同士の言い分であり、差別、いじめの世界です。




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 やがて大海は同じ海水として、その汚れた川の水を変えていきます。ヘドロも糞尿も大海が飲みこんで、みんな溶かしてしまうのです。そして「よかったね。君もこれで同じ海水だ。それと同時に君が大海なんだよ」と言ってくれるのです。

 「実は私もひねくれた川の時代があってね。まあ、臭い邪宗水の、人が鼻をつまむような謗法川だったんだ。」なんて言っているかもしれません。(笑)

 私達は一人一人、水質や形の違う川のようです。それを理由にいがみあうこともある。世界で起きる対立も同じ構図かもしれません。

 万人に仏性があり、人間は自他不二であるという法華経の思想、菩薩の生き方を弘めゆく以外に、それらの対立の根本的な解決はないと思います。その意味で、今、192か国に日蓮大聖人の仏法が弘まった事実は、世界にとっての確かな平和の潮流であると、あらためて池田先生、創価学会のすごさを感じるものです。

 世界が混迷におおわれ、闇深き時こそ、必ずや、この仏法の光明が燦然と光り輝くものと確信します。

 私達にあっても同志を大切に、励ましあっていきたいですね。同志の足を引っ張って、歓喜や生気を奪ったり、中傷したり、善の連帯を分断する働きをなせば、それは法華経の心を踏みにじる、魔の行為と知るべきです。

 池田先生は「方便品寿量品講義」(上))で次のように仰せです。

 「人を喜ばせるのが指導者です。人を励まし、元気にするのが指導者の使命です。絶対に人を叱ってはいけない。(中略)かりにも人を圧迫したり、追いつめたりすれば、指導者失格であり、この経文に背くことになる」

 学会員なら本当に肝に銘じなければならない大事な指導だと思います。

 楽しくなければ、生命力も希望も湧きません。誰もそれを欲しています。それを人に与えることがどれだけ大事か、人を安心させることになるか・・・「抜苦与楽」こそが私達の活動の標(しるべ)であるべきです。

「一緒に幸せになろうね・・・」そんなあたたかな声があなたから聞こえてくるか・・・ 私から発信できているか・・・

 今日から私も同志の方とともに、沖縄のカチャーシーでも舞うように、もっともっと明るく楽しく、生きる歓びを広宣流布していきたいと思います。



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