2015
02.21

「仲良くしていこう」

Category: 徒然の記
 


「仲良くしていこう」と思える人は幸せである
 「仲良くしていこう」と心を配り
 行動していける人は立派である
 心がきれいであり 豊かな人である
                「池田大作 名言100選」(中央公論社刊)


 私も生活上、お会いする方には、この心で接していきたいと心がけています。仲良くするということは、相手を尊重していくことです。同じ時代に生きる者同士、信心のあるなしに関係なく「君の友達になりたいな・・・」「よかったらお茶でもどうや?」「何か僕にできることないかな?」そんな気持ちで相手に接していくことは、まさしく広宣流布の第一歩ですし、豊かな人間性の発露だと思います。



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 3年ほど前になりますが、私に青年の友人が一人できました。その友人は偶然ともいえる形で、ある日、私を訪ねてきたのです。当時、学習教材のセールスマンだったその彼は、私の家の近くに営業に来ていました。信心にも行き詰まり、悩みを抱えていたようで、我が家の塀に公明党のポスターが掲示してあるのを見て、思わず訪ねてみたくなったのだそうです。

 その日は日曜でしたので時間もあり、仏間に彼を案内し、話を一時間以上しました。組織活動になじめず幹部とも話が合わないこと、仕事のかたわら小説を書いていること、そしてウツを抱えていること、そのため仕事も続かないことなど、初対面にもかかわらず心を開いて話をしてくれました。

 実はその日は話だけ聞いて、「また会いましょう」といって別れました。ウツを持っていると言ったので、私も「こうしたら、ああしたら」という積極的な話をするより、もう少し、長い目で彼と付き合おうと思ったのです。

  正しくても話が押し付けになったら、人はえてして拒否反応を出すものです。目的は彼に笑顔が出て元気になること、信心を楽しいものだと思えるようにしてあげることですから、私の話がスーと通じるような機根を作ることが大事だと思ったのです。幸いなことにいつも話は弾んで、時には喫茶店で2時間ほど話していることもありました。

 彼が信心の道からそれないよう、支えになるだけでも会いにいく意味があります。また彼という人間を通して自分も学び成長させてもらえます。やはり直接会わないと私は本当の心は通わないし、相手を理解することも難しいと考えています。

 人に同苦し、励ますということは大変なことのように思いますが、端的に言うとそれは「仲良くなる」ということではないでしょうか?この人には心を許せる、信頼できる、そして話をしたい・・・とそうなれば、悩みを分かち合っていけます。それが同苦の姿です。御聖訓にも「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御義口伝下761)とありますね。そう言えば友好という字も「友が好き」と書きます。いい言葉です。(笑)


 今の自分の生活に直接かかわる人は、50人とか100人とか・・・その中でゆっくり話までするとなると、もっと少ない数になります。一生のうちに何人の方と袖すりあうか?一億人以上もいるこの国でその数はあまりにも少ないですね。

 そうであるなら一つひとつの出会いや共に生きる人がいかに大切か・・・先生の言われる「仲良くしていこう」の呼びかけはとてもシンプルな言葉ですが、人間にとって幸福に生きるための大事な本質をついていると思います。

 日々の言動や振る舞いが「仲良くしていこう」の方向に向かっているか・・・そこにその人の仏縁を広げゆかんとする信心の姿も浮き彫りになってきます。

 かつて人が苦手で、一人が好きだった私も、人間革命でその殻を破り、笑顔で他者に声をかけゆく日々になりました。

「おいしいコーヒーでも飲みながらちょっと話をしようよ」と、そんな言葉が自然に口をつく今日この頃です。




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