2015
03.20

政治また生命(いのち)なり

Category: 徒然の記
 先日、東北大震災から4年目の春を迎えました。「3.11」という日は多くの人にとって、「1.17」と共に、生命に刻まれる日となりました。

 復興と言っても想像を絶する被害の中で、どのように進んでいるのか・・・特にご家族を亡くされた方にとって、その心の傷は一生かかっても癒えないというのが、本当ではないかと思います。かけがえのない命を失った喪失感は当事者でないとわからないものです。あらためて亡くなられた方々、特に小さな子供さんたちの生命に追善の祈りを捧げたいと思います。

 連日、各紙や、聖教、公明新聞などでも震災の特集が組まれていました。そんな中、私は公明新聞の報道に心打たれることが多くありました。


 実は今月、座談会で、東北の方の体験談の朗読を企画しました。そこで新聞記事を探す中、公明新聞の3月12日付、一面トップの写真に私はとても心を惹かれました。その写真は、吹雪の中で亡くなった子供の墓前に手を合わせる家族の姿を写したものでしたが、その家族の言葉にできない深き心情が、伝わってくるようでした。(写真を転載できないのが残念ですが。)その日の大見出しは『忘れない、生きた証しを』となっています。

 その日の前日の新聞、11日付一面トップの大見出しは『一番大切なのは「命」』と太字であります。そしてお子さんを亡くされた二人の方の、悲しみを乗り越え、力強く生きていこうとする体験談が掲載されていました。「これはまるで聖教新聞と同じや・・・政治を扱う新聞の一面?」 私の心に何か感動が走りました。



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 そしてその瞬間、気付いたのです。「政治と言っても根本は命が対象なのだ」・・・と。

 仏法では「王仏冥合」と説かれます。政治も命なら仏法も命・・・同じであるから冥合するのであり、日蓮仏法をたもつ者が政治にかかわることは、矛盾がないどころか、むしろ一番理に適っていることなのだと実感したのです。

 
 さらに3面は文化からの復興を、また4面5面と2面にわたり、『あたらしい東北へ 心の復興』と題して、主に被災者の精神面の意識調査をもとにデータの分析が行われています。それは政治として、人の心にまで関わろうという意欲が感じられるものでした。

 政治の力が震災復興に大きく貢献することは誰しも認めるところです。しかし、そこにいる被災者は生きる人であり、命です。この「人と命」に同苦し、強く光をあてていこうとする政党は少ないと思いますし、仏法の生命尊厳を基調とした公明党のスタンスに何か人肌のぬくもりを覚えるものです。

「公明もいい新聞だ。これでは公明新聞でなく生命新聞だね」と一人合点しておりました。

 政治の世界の駆け引きや手練手管に長けていくことを、党が成熟したという人もいるかもしれません。しかし、私は庶民の心に肉薄し、その思いを汲みとり、具体的に生活の中に形にしていく、その力こそが公明党の政治の姿であってほしいと思います。

 信心するのに何故、政治の応援をしなくてはいけない?そういう疑問も理解できます。以前の私も政治や選挙にはそんなに関心はありませんでした。しかし、公明党の活動を少しずつ学ぶにつれ、信仰と政治が決して別物ではないことを感じるようになりました。

 正しい宗教と言うものは正しい生命哲学であり、命から起こるあらゆる営みに最高の善の力を発揮するものです。
人間と環境が「依正不二」の原理で一体であるなら、平和と幸福を創造したいという宗教者にとって、政治への関与はきわめて自然で、必然といえる行為です。むしろ政治に背を向け、自宗の独善のみに生きる宗教は、現実逃避であり、やがて民衆の生活と心からかい離しゆく運命をたどると思います。

 まだまだ復興においては難問が山積みだとは思いますが、公明党が泥臭いヒューマニズムの政党として、弱者に寄り添い、常に常在戦場、奮闘されゆくことを願っています。




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