2015
04.28

時に巡り会うということ

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 仏法には時ということが非常に大事なこととして説かれています。仏法全体の時ということでいえば今は末法であり、釈迦仏法の功力が消え、日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経が、尽未来際まで太陽の如く、衆生の闇を照らし行くとのご教示です。天台大師も妙楽大師も恋い焦がれたという末法という時に、私達は幸運にも巡り合うことができました。

 創価学会でいえば、池田先生が会長に就任され(昭和35年)以来50年余の間、表に立って指揮をとられてきましたが、御高齢ということもあり、本幹などへの出席も控えられるという時がやってきました。先生の深きお心は私などにはわかりませんが、多くの会員の方が非常に寂しい思いでおられることと思います。その空気が秋風が立つように学会全体にもあると感じるのは私だけではないことでしょう。

 日蓮大聖人の時代でも、戸田先生の時代でもなく、池田先生の時代、そしてこうした転換期ともいえる時に生まれ合わせ、学会員でいることの意味を、私達もあらためて考えることが大事ではないかと思います。

 それは今こそ、池田先生の弟子を自覚する人々が、本気で立ち上がる時が来ていると思うのです。本部のような先生の近くで薫陶を受けた人だけではなく、むしろ先生と一度も会うことがなかった人、また地方の地区の末端の人であっても、「私は先生の弟子だ」と自覚する人であれば、いよいよ師子として創価学会のために立ち上がる時だと思います。


 多くの弟子が立ち上がり、溌剌と戦いゆく姿を、先生はいつもいつも待ち望んでおられるのではないでしょうか?
それを本部や組織をあれこれと批判して、内部を混乱に陥れようとする行為は、正義をよそおって団結を破壊しようとする魔の所為だと言えます。そうした魔を見破り、破和合僧の動きに対しては、一致団結、一枚岩の姿で応戦していきたいものです。




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                  <八重桜> お酢に付けると、こんなに鮮やかな色になりました。




 時を同じくして学会独自の会則もできました。今から思うとこれも不思議な「時」のご仏智だと思います。創価学会も「新・創価学会」の時代に入りました。

 私自身も何か新しい生命の扉が開く気がしています。ワクワク、ドキドキ(笑)・・・そんな感じです。
 入信以来、30年余、ひどい自分で、きっと私一人幸福にはならないのでは?などと思った日々もよくありました。 
 「信心したら、命の水道管に詰まった謗法のヘドロが出てくるよ。その時はつらいけど、お題目でジャブジャブ洗い流したら、ある時からきれいなきれいな水が出てくるんだよ」と教わったものです。とはいえ、いまだ聖水にはほど遠いですが、ちょっとは飲めるぐらいの水になったのかもしれません。甘くておいしい天然水になれば、幸せなんていくらでも昏々と湧いてくるに違いありません。

 今は良くても悪くてもこの自分しかいません。「立派になったら広宣流布します」などと言っていいたら、きっと何百年あっても足りない、その前に老いぼれた寒苦鳥になってしまいます。

 物事や人生にもやはり「節目」となる大事な時があると思います。そして「時に巡り合い、その時が自分を大きく変える・・・」そういうことが人にはあるのだと思います。もちろん使命も同じです。私の信心は今からが一番、肝心の時ではないか・・・そう思えてなりません。

 今までゆっくりされていた眠れる師子の方々も(笑)むっくと起き上がり、「いよいよこれからが俺の出番だ」との気概で立ちましょう! 「広布新時代」・・・それはフロンティア精神で安住の地を捨て、さらなる新天地を目指す航海です。

 私もやらんかなの心意気で、生命の夜明け、広布の夜明けを切り開いて行きたいと思います。



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