2015
05.20

生命(いのち)の灯りにスイッチを!

Category: 信心


 今夜はわが地区も座談会ということで、楽しく、また力強くやっていきたいと思います。外の友人夫妻も今日はお招きしています。婦人部の方の「体験談」、「聖教記事からの発表」があり、また池田先生の指導を学べるように企画しています。有志の方のトーク「座談(ザダン)オールスターズ」という企画もやります。(笑)田舎で、会員が少なく、「小さな集い」となりますが、会場に池田先生がいらっしゃる思いで、やっていきたいと思います。


 戸田先生は「人生に、苦しみと言うものはある。苦しみがなければ、遊楽という楽しみを、しみじみと味わえないのである。そこが、よくわかると、生きていること自体が楽しくなる。それが信心の極意である」(2015大白蓮華5月号P98 )と御指導されています。

 不幸な状況に出会い、「もう駄目だ」と思う心が人にはあります。また同じ状況でも「ありがたい、この不幸を使命に変えて、俺は広宣流布していくのだ。」と立ち上がる心もあります。そのどちらの心で生きるのか・・・不幸を使命に変えていく、強い自分になれるかどうか、そこに信心があると思います。

 常にその心で生きていくならば、苦を活かして、生きていくこと自体が楽しくなると、戸田先生は教えてくださっています。いつ何時、何があっても崩されない、その勇猛心で打ち固めた人が「仏」であり、すなわち「悟り」の人と言えるのではないでしょうか?また「因果具時」ゆえにその人はあらゆることに勝利しゆく人となるのだと思います。


 「善と悪」、「幸と不幸」、「苦と楽」など、世法ではそれを真逆の別々のものと考えがちです。「金持ちと貧乏人」、「幸せ者と不幸な人」「賢者と愚者」・・・みんなある意味、差別の世界です。しかし仏法ではそれらを一体と説きます。「大悪起これば大善来る」「毒変じて薬となす」「煩悩即菩提」「自他不二」などなど・・・それらは別々ではなく、諸法はすべて妙法蓮華経の働きと説かれます。その人の煩悩や三毒、悪しき宿命さえも使って、どの人をも「一生成仏」させゆく力がある・・・それが妙法の偉大さであり、仏様のお心だと思います。

 



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 「ひどい自分だけど、一生成仏のための燃料はたんまりとあるぞ。この不幸を題目で燃やして、我が生命を仏と開こう!」と思えば、生きていること自体が、希望に満ちてきます。苦難が大きいほど、悟りも使命も大きいと、熱く燃える心も出てくるものです。

 御聖訓には「悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる」(1,403妙法尼御前御返事)とあります。

 我ら、凡夫の生命は言ってみれば、「煩悩・業・苦」に閉じ込められた百千万年暗い、洞窟の闇のようなものかもしれません。そこに電球一つ灯れば、一瞬にしてサーと闇は消える、それが妙法の御力だと仰せであります。灯りは「法性」(悟り)、闇は「無明」(迷い)ですね。

 仏法はすべての人が生命に灯りをつけるためにあり、それは信心の力で灯す「悟りの灯り」そのものです。そのスイッチは「信ある題目」であり、学会員ならみなさん、毎日、一生懸命実践されているところだと思います。

 皆さん、お金も欲しいでしょうが、(私も欲しいですが)まずは信心が先ですね。なまじ財産など持つと、信心が緩みますので、今はピーピー雲雀(ヒバリ)が鳴くぐらいでちょうどいいのです。(笑)

 貧乏であれ、病気であれ、治せることを100%確信できれば、必ずそうなるのが妙法です。その100%の確信は御本尊への強き信心から、我が生命にほとばしって出てくるものです。

 まさに100Wの灯りをつけるように、信心の灯を煌々(こうこう)とつけて、「不幸なにするものぞ、来るなら来い、私の題目が相手だ!」との師子王の心をとりいだし、勇猛果敢(ゆうもうかかん)に、私は生きていきたいと思います。





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