2015
08.04

歓喜の世界を目指して行こう!

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 毎日、暑い日が続きます。八熱地獄もかくありやという感じですね。
どうか皆さん、お身体をご自愛願います。ゆっくり避暑でもできる身分になりたいものですね。(笑)

 入会したころ、先輩から「信心は歓喜と感謝だよ」と教えられました。当時、私には「歓喜」の「か」の字もなくて(笑)仲間と顔つきあわせて「そんな歓喜なんかでーへんなあ。拝んでも、もやもやしているし、この身のどこに歓喜があるんや?」なんて話していました。

 歓喜と言ってもいろいろありますが、大きく分ければ「絶対的歓喜」と「相対的歓喜」と言っていいかもしれません。仏法では「絶対的幸福」を説きますので、それにならって歓喜も「絶対的歓喜」です。何かいいことがあったり、去年と比較してうれしいというのではなく、自分自身がそのままで歓喜に溢れている、生きている命そのものがうれしくて仕方がない。そういう生命の歓喜の世界が、私達の本来の姿だと思います。

 何があろうとうれしくて仕方がないのですから、病気や貧乏が出ても大丈夫です。死んでもうれしいとなれば、生死を乗り越えた境涯でしょう。信心さえ真面目にやれば、どんな人でもそうなれるはずです。私は過去に悪いことしたから駄目だろうなんてことはありません。「幸福になるのだ」と決意して頑張れば絶対に幸福になれます。

 そうなるためには、大聖人様や学会の歴代の先生のように、法華経ゆえの大難にあうことが一番の近道です。しかし私などそこまでの信心はとうていできませんので、御本尊を信じてお題目をあげ、広宣流布のお勤めをして、それに代えていただくほかありません。

 そのことを思えば、病気の一つ、貧乏の一つなど知れたものです。戸田先生はかつて「命を捨てたものほど手の付けられないものはいない」と仰せになりました。命を捨てたら、身体もお金も惜しくない・・・惜しいうちはまだ本当に捨てていないのですね。(笑)それは自分の胸に聞いてみればよくわかります。そこに自分の信心と境涯が見えると思います。




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 結局、辛抱して信心を貫いて、陰徳を積んでいくしかありません。信心は人の評価や役職ではない・・・御本尊様に通じるかどうかだけですから。真面目な信心だけは必ず御本尊様に通じると思います。

 真面目な信心ができなかった人が、愚痴と不信を抱いて反逆者になっていく・・・「私はいい加減な信心でした。」とみずから認めているようなものです。その上、一人落ちていくのは面白くない、あいつもこいつも道連れにしたいと、どす黒い提婆の心が出ます。そんなやつの話を面白いと思うのは、その人にも同じ心があるからであり、気を付けなければなりません。

 御本尊を信じきった時には、悩みなんて吹っ飛んでしまう。大波でサーフィンするように悩みを楽しんで、腹の底から愉快に笑える。生命は歓喜と感謝に溢れていくがゆえに、すべての祈りは叶っていく・・・そういう世界に入っていけるのが、法華経の功徳だと思います。指導には、「信心しきったもの」「信じきったもの」という条件がありますので、しっかり肝に銘じたいと思います。

 すべてはそれを知るための苦難です。その苦難がないことには歓喜はあらわれない・・・(なんだかベートーベンみたいですが(笑))そう心得れば、苦難が大きいほど歓喜も大きい。信心して苦難がないことほど、つまらないことはないと思います。それが「難即悟達」の法華経の原理です。

 さあ、今日もまた、強い心、朗らかな心で、師匠の仰せの通り、この身を御本尊様にまかせて、精進していきたいと思います。





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