2015
09.05

善きことはカタツムリの速度で

Category: 信心

  私の足(車)はスズキのワゴンRなのですが、走行28万キロ(13年)を越えまして、9月の車検を機にいよいよ手放すことにしました。

  長年の聖教配達、同志の送迎、学会活動、仕事、遊びにと傷ついた体で、愚痴一つこぼさず(笑)よく走ってくれました。私の下手な運転で凹んでもいますが、せめてもの感謝の気持ちで、昨日は車内をきれいに清掃しました。物とはいえ、伴侶のような存在でしたので、別れの日が来るのがいささかつらい気がします。

 その車で今朝も爽やかに聖教配達、そのあと勤行、私の好きな「緑の栄冠」の歌を口ずさみながら、一日を元気に出発しました。

 清らかな歌はこちらの生命を浄化してくれます。それと同じように仏様の言葉、師匠の言葉はこちらの生命を豊かに、勇猛に、奮い立たせる力があります。それら、大善の生命から発せられる波動に、こちらも感応できる生命へと、自身を開かねばなりません。

 私とて、曇天の空のように落ち込む日もありますが、一昔前に比べたら、歓びに溢れる日も多くなりました。冥益と言われますが、表だった功徳よりも、生命内奥が輝いていく功徳・・・まさに「悪が滅して善が生じる」との言葉を我が身で味わいつつ、それゆえ歓喜と感謝が増しゆくという、幸福への軌道こそが妙法なのだと思います。




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 「30年もこの御本尊を拝して、生命が変わらないなどと、そんなバカな話はないよ。」と私の大先輩は言っておられました。 顕益は家が建った、お金が儲かった、等々、見た目も華々しい。それに比べ冥益は表には見えません。基底部からゆっくりと変革していき、穢れ多き我が身がいつしか宝塔のごとき輝く生命となる。まさに「善きことはカタツムリの速度で動く」とのインドの哲人の箴言を、私はいつも心に刻みつけて歩いています。

 何があろうと八風におかされず、水の如くの信心を持続していくことがいかに大切か、年数がたつほどそう思います。いかに強信であっても、途中で退転すれば、すべてが水の泡です。いかなる境遇であっても、退転だけはしてはいけない・・・それが負けないことであり、勝利への道になります。

 
 秋といえばさまざま、果物のおいしい季節ですね・・・私などたとえれば渋柿で、人にかじられては顔をしかめて「ペッ」と捨てられていたようなものです。それが妙法の功力によって、いくらか甘柿へと変化してきたでしょうか?まだまだ渋も多い。(笑)完熟した甘柿ともなれば、多くの人がこぞって寄ってくるに違いありません。それこそが人に愛され、幸せを呼び寄せる福運ですね。

 生命が渋柿では生きていくことがつらいのも道理ですが、その時代を辛抱して、決して腐らず焦らず、未来を見つめていきたいと思います。唱題に励み、化他行に励むことによって、我が身の渋もとれ、やがて実りの秋を迎えることもできる・・・秋の訪れを生命に感じながら、御本尊一筋に歩んでいきたいと思う、後半戦9月の開始です。





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