2015
09.12

親不孝者の信心

Category: 未分類

 私の友人は大変、お母さん思いなのですが、長年、彼を見て、私も親孝行ということを考えさせられてきました。彼も還暦を超えており、結婚の縁に恵まれず、20年ほど前に父親を亡くしてから、ずっとお母さんと二人暮らしです。

 50才になったころ、彼は私の縁で入会したのですが、いきなりお母さんの病気や、弟さんの病気が出たもので、信心に不信が起こり、組織につかず離れずで今日まで来てしまいました。

 それでも時折、お母さんと二人で、同中や座談会に仲良く参加もしていました。2年ほど前からB長職を彼にお願いしていたのですが、先日、ようやく受けてもらうことができ、これからなんとしても信心の確信をつかませてあげたい・・・そう願うばかりです。

 そんな彼のお母さんは86歳ですが、この夏ごろから痴呆が出て、彼が自宅で世話をしています。「ヘルパーさんに来てもらわんのか?」と聞いたら、母親が絶対にいやだというそうで、それで下(しも)の世話まで彼一人でやっているということでした。

 痴呆が出てからは夜も一緒の部屋で寝てあげているようで、どこまでも親を大事にするなあと感心させられます。母子(ははこ)一体の生命を生きていると、私には思えてなりません。

 仏法では四恩が説かれますね。その一つに「父母の恩」があげられます。父母の恩を報じることは、人として生きる上で、最も基本のことなのでしょう。またそれが報じがたいのも人の世の習いです。





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                            <瀬戸内海の夕陽>





 池田先生も未来部に向かって「お父さんお母さんを大事に、親孝行するのだよ」といつも指導されます。親不孝の人間はやはり仏にも諸天にも嫌われるに違いない・・・親を大事にできるかどうか?単純ですが、案外、そこにその人の人間性も見えるような気がします。

 恩を知る自分になること・・・それが「人間革命」しゆく人の姿だと思います。その人はきっと「怨嫉」や「修羅」の世界から引っ越して、「ありがとうの世界」「報恩の世界」に生命の住所を持つことでしょう。それこそ「心の財」に違いありません。そういえば四恩には「一切衆生の恩」も含まれます。善人、悪人問わず「一切衆生」に恩を感じる・・・その人が、不軽菩薩のあとを継ぐ人と言えるのでしょう。

 かくいう私も若い時から親に反抗し、親を泣かせてきた人間です。まさに人間の皮をかぶった畜生だったかもしれません。
御書にもあるように、酔って、父母を打ったような者が、今、ようやく法華経で目が覚めたのか、親を慈しみ、少しでも大事にしたいと思う自分になりました。

 世間では「親孝行したい時に親はなし」などと言いますが、仏法は死んだ親にも、瞬時に題目を送ることができます。それこそ「最高の孝養」です。私のような親不孝者にも最高の孝養の道を与えてくださり、その上、親不孝の宿命まで転換してくださるのですから、仏様はまさに「一切衆生の親」ともいうべき人ですね。

 信心することなく早逝した父も、私の生命で生きており、日々対話することができる、日夜朝暮に親不孝を償うことができるのですから、親不孝者にとっては法華経の信心ほど、ありがたいものはないとつくづく感じています。






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