広布の大河に君ありて tori

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もう一度、一緒に・・・

 

 先日、早朝、聖教新聞を配達していますと、ある路地のところの家の前に、一人の老人の方が立っておられました。

 その老人は、草創の頃、30代で入信されたのち、さまざまな事情で会合等一切出てこない状態となり、いわば退転状態で数十年を過ごされてきた方でした。

 私が数年前に地区の責任者となり、セピアに変色した会員カードを見てそれで家庭訪問したわけですが、まったく話もできず、いわゆる塩をまかれるような状態で帰ってきました。その人は大変な剣幕で「おまえらは学会に入れるだけ入れといて、後は何も世話もしなかったくせに、今頃何の用や。これ以上、家に近づくと警察に通報するぞ。帰れ!」と、狂ったように血相を変えて、私に当たり散らされたのです。

 入会の紹介者は今でも地区におられますが、当時、入会させるだけのような折伏を随分されたようです。ある方など、その人の折伏で、ズボンのお尻のポケットに御本尊をつっこんで、バイクで帰ってきたとの話も聞きました。そんな折伏をしておいて、私は「何十世帯も折伏した」などと自慢げに語るような人でした。


 入会させる時だけ大事にして、あとは面倒も見ない、信心もちゃんと教えない・・・こんな折伏なら、退転者を作るだけというものです。ある意味、入会した人も成果主義の犠牲者だといってもいいのかもしれません。

 その朝、怒鳴り散らされるのを覚悟の上で、私は微笑みながらその人に近づきました。すると案に相違して、その方も微笑んでおられるではないですか?(かつて私に怒鳴り散らしたことなど忘れておられたのかもしれませんが・・・)




IMG_9851g.jpg
                        <京都府京丹後市網野町>


 会話は弾み、学会のことや、そのあと信仰、生活といろいろあった来し方など話してくださいました。今は地元の邪宗と付き合いがあり、御本尊もどなたか(それが学会幹部ではないようです。)に返したということでした。数十年もの間、誰も会いに行くことがなかったのか、信心が空き家で手入れされることのない庭のように、雑草で覆い尽くされてしまっていたのです。

 もちろん、根本は本人の宿縁、信心の問題といえますが、その上で、地区にも大いに責任があると私は思います。
「鉄は熱いうちに打て」との格言通り、入会後、数年が入会者にとってはとても大事です。その時に宗教の正邪、信行学の実践をしっかり打ち込んでおかないと、やがて難が来たときに、一人で耐えきれない・・・信心を捨て、邪宗にまで戻るというのは、肝心要(かんじんかなめ)が教え込まれていない証拠のように思います。

 話を終えて、配達に戻った車中で、私は御本尊様に「どうか、この人の退転の罪を許して、もう一度、信心できる機会を与えてください。」と祈らずにはいられませんでした。

 何故、その人にこういう形で会えたのか?・・・やはりその方に御本尊様を求める生命が、残り火のように燃えていたのではないかと思いました。仏法には偶然はない・・・すべてに意味があるのなら、この日の出会いも、人を救いゆく広宣流布の大事な出会いであるはずです。

 これから時折、訪問しては、その方の生命の雑草取りをしたいと思います。(笑)その方はもう80歳ですのでどこまでやれるかわかりませんが、少しずつ距離を縮めて、いつかもう一度、笑顔で座談会にお招きしたい・・・今の地区の人達で真心の再折伏をしたいと思います。

 かつて学会員だったという方にも意外と出会うことが多いものです。退転者を再び、仏界へと導いていく手助けも、これまた自分に与えられた使命であり、そのためには私がそうした人々の味方となり、信頼を勝ち取ることから始めていこう・・・「きっと仏様はどの人も見捨てたりはしないはずだ」そう思うと、心もどこか軽やかに、自然と感謝の思いが湧いてくるのでした。





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