広布の大河に君ありて tori

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箸(はし)の使い方一つ・・・・

 


 仏様の心は広大で凡夫の智慧では到底、量れないということになっています。それに比べれば、凡夫の心は狭いものです。時によく見えるしよく量れます。すぐに怒ったりしょんぼりしたり・・・小さなことにこだわり、他人を妬み、自分を良く見せたい・・・世間を見ても、また自分を見ても、どうしてまあこんなに小さいものだと呆れてしまいます。(笑)

 人間が利己主義と言うものを超克でき菩薩の心になれるなら、個人の喧嘩も国同士の戦争も起きることはないでしょう。これこそ究極の「平和主義」であり「安全保障」ですね。

 以前、「名字の言」に「地獄の長い箸」のお話が出ていました。(一部抜粋)

 『法華経の智慧』にも紹介された“地獄の長い箸”の話。地獄にいる衆生たちは、目の前に並べられたご馳走を食べられずに苦しむ。自分の腕よりも長い箸が邪魔をするからだ

 一方、仏国土。同じように、長い箸を手にしていたが、皆、楽しそうだった。なぜか――。長い箸を利用し、他の人の口にご馳走を運び合い、互いの食事を可能にしていたからである

 地獄と仏国土の違いは、「環境」ではなく、人の「心」にあることを示した譬え。とりわけ、人のために尽くせば、わが心も充実することを教えていよう    2008年6月26日聖教新聞 「名字の言」



 箸の使い方一つにも智慧があります。戦争の火種がくすぶるような世の中を根本的に平和にするには、仏や菩薩の心を持った人が増えていくしかないということです。決して環境ではなく「心」。それを前提に一人一人の人間における「仏と魔」「菩薩と利己主義」・・・その戦いが未来を決定していくのに違いありません。





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 世の中、できるだけ自分がお金を持ちたい、小さな島も自分の領土にしたい・・・・そのように自分の欲望に執着して生きているのがこの娑婆世界であり、第六天の魔王の世界です。また餓鬼界や畜生界中心の生命活動とも言えます。それ故に絶えず争いが起こり、苦しまねばならない世界です。

 企業なんかを見ても自社の利益よりも他社の利益を優先するなどという会社はありません。なりふり構わず「我が社の利益第一」です。そういう社会で生きていると、益々人間が狭量になっていくのかもしれません。社会全体にも大義に生きるという精神が失われて久しいように思います。

 そんな魔性の価値観の世界に私達も否応なく生きており、それに適応するようにならされます。その価値観からはみ出すとたいていの者は「変わり者」と呼ばれ、社会の枠組みから落ちこぼれることにもなります。

 「長い箸」の話に沿えば、自分の食べものは人の口に入れてあげるためにあります。お金を持っていてもそれは世のため人のために使いたくなります。誰もがこんな心で生きていけば、とても幸せで平和な世界だと思うのですが、果たしてそのような世の中を人間は実現できるでしょうか?私にはとても興味深いテーマです。

 「世界は、そして人類は菩薩界になれるのか?」・・・菩薩が平和社会をつくることはわかっても、人類が菩薩にならなければ平和にはなりません。まさしく私達の広宣流布の運動はそうした人間を輩出しゆく前代未聞の聖業です。

  「仏と魔」の世界にあって、自分への執着を捨て、仏界を開きゆく・・・その戦いに命を削る人々がいかに尊いことか・・・まさに学会員こそ国宝であり、世界の未来の命運を左右する仏の軍勢です。「こんな私が・・・」と思いますが、その人以外に人はいません。まさに我々一人一人が大きな未来への使命を帯びていることを知るべきです。

 仏法という大善を長い箸に乗せて、大いに他者の心田に届け行く・・・「仏法対話」「折伏」こそが仏意に適った最極の菩薩行と心得たいと思います。





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