2015
12.25

創価学会「発迹顕本」

Category: 信心
 

 年の瀬を迎え、皆様慌ただしい日々をお過ごしのことと思います。この一年、皆様にとってはどんな一年だったでしょうか?今年は私にとっては入信以来、一番良い一年となりました。それは生命の革新を大いに感じることができたことによります。
 「変毒為薬」「煩悩即菩提」と言っていいと思いますが、生命の根本的な苦悩そのものが歓喜、感謝へと転じるといった大変革を体験することができました。明年をめざし、さらなる新しい決意でスタートを切っていきたいと思います。

 また創価学会においても今年は大躍進ができた一年ではなかったかと思います。遠くは宗門問題に端を発したわけですが、それによって日蓮正宗との決別を果たし、広布大誓堂の完成、昨年の「会則の改正」、そして本年の新・「勤行要典の制定」と、次々と民衆仏法の宗教団体としての姿を確立してきました。

 その歴史は日蓮大聖人直結の宗教団体としての独立を勝ち取った歴史でもあり、大聖人様の仏法を大衆、民衆の掌中にした宗門との人権闘争の歴史だと言っても過言ではないように思います。

 私自身も宗門問題以降、これらの改革によって自身の中にある迷妄を打ち破ることができました。一つは法主・宗門絶対論ともいうべき権能に対する迷妄、一つは弘安二年の御本尊という特定の御本尊に対する本尊観の迷妄・・・少なくともこうしたことが明らかになったことは私にとって大変ありがたいことだと思っています。




IMG_0885b.jpg




 弘安二年の御本尊もそれ以外の御本尊もすべて「法華経の肝心、南無妙法蓮華経」の御本尊であり等しい。弘安二年の御本尊は創価学会とは無関係となった邪宗門にあるがゆえに、身延の御真筆同様、受持はしない。こうしたことが明文化されたことは私は霧が晴れたように大変すっきりとしたことだと思います。

 思えば今後入会してくる人は、宗門も弘安二年の御本尊も知らないのですから、世界広布を前にして非常にいい改正であったと思います。

 「創価学会の発迹顕本」ということを時折、耳に目にします。私はまさにこれらの一連の改革の姿こそが「発迹顕本」にほかならないと思います。その内実は池田先生の思想の根本にある「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への変革そのものです。

 法主や宗門の権威の前にひれ伏して信仰しなければならないという縛りを取り払い、また特定の御本尊から離れれば功徳、血脈はないという迷妄を打ち破ったことは、まさに「人間のための宗教」への大きな変換点となりました。宗門に隷属した「迹」の姿を払い、民衆宗教としての「本」来の姿を顕す・・・まさに「発迹顕本」そのものが起こったと言えます。

 その創価学会の「発迹顕本」というべき戦いを、先生は日顕宗という大魔をあぶり出し、魔軍からの大難を受けながら、後世の会員のためにうち砕いてくださいました。「すべては人間のために、民衆のために」との思いで・・・本当に強くありがたい師匠であります。

 これらの改革、改正によって創価学会は本来の独自の勇姿を顕すことができました。そして学会は威風堂々、世界広布の大海原へと自由に出帆できる身となりました。外部の方や反創価の人に何を言われようと「彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(聖人御難事1190P)です。会員の私達も師子王の心をとりいだし、おおらかに伸び伸びとやっていきたいものです。

 その「世界広布創価丸」に私も皆さんと和気藹々(わきあいあい)乗りこんで、山本伸一船長の元、明年もまた無冠の乗組員として「人間革命」の航海を、楽しく朗らかに船出したいと思っています。






にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


Comment:10  Trackback:0
back-to-top