広布の大河に君ありて tori

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仏様の教えたいこと




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 先日、知人から、学会関連の本をたくさんいただいたのですが、その中に「仏法と宇宙を語る」(全3巻・潮出版社)があり、今はそれを楽しみに読んでいます。宇宙論ではありますが、それは同時に生命論だとも言えます。現在(といっても発刊は昭和59年です)の天文学に対して、池田先生は妙法の法理の上から丁寧に説き明かし、包み込むように対話されています。

 私は普段、一凡夫として、その眼で御本尊様を拝し、あれこれ思いを巡らしながら信心しています。それはあたかも地球から宇宙を眺めているようなものかもしれません。お月さんを見たり、星座や天の川を眺めたりしながら、宇宙とは一体どうなっているのだろうと思っています。

 ところが仏様は果てしのない大宇宙をくまなく御存知であり、そこから私達を化導してくださるということになります。仏法が演繹的である所以です。御書にしましてもその宇宙大の大境涯で著されたものであり、それを凡夫が安直に「わかった読み」することは思えば危険であり、時には井の中の蛙が大海を語る、いやいやそれ以上の無謀な事にもなりかねません。

 仏様がご覧になれば、お金がないとか、あの人がこう言ったとか、人と比べて自分は駄目だとか、その辺のところでうろうろ生きてる私達の境涯は実に哀れでもあり、それ故に何としてでも仏界を知らしめたいと思われることでしょう。

 「あなたの生命は宇宙大なのです。あなたが思うほどあなたは小さな存在ではない、仏なのです。信心でそれを顕すのです。」と、きっとそう叫ばれているに違いありません。


 実は私も入信以来、ほんとうに思い描いた生活とは裏腹な、ある意味悲惨なところで信心してきました。聖教新聞に出るような鮮やかな実証もなければ、人間的に輝いていたというわけでもありません。何をやってもうまくいかず、まるで幸福から一人置いてきぼりを食らったような、日の当たらない谷間へと、信心しながら落ちていくのです。

 このままでは仏様を恨み、いっそ信心を捨ててもおかしくなかったわけですが、不思議な事にある時を境に、生命の内奥に灯がともりました。そこがきっと谷底だったのでしょう。唱題行、学会活動にも自然と弾みがつき、時に歓喜が体中を駈けめぐるようになりました。

 「一体、仏様は何を私に教えようとされるのだ?」と何度も自問自答しました。そしてようやく分かったことは、仏は私にこの世で果たさねばならない、私の使命を教えようとされているのだと気がついたのです。

 仏様が教えてくださる使命ですのでそれは「広宣流布」です。「わが使命とは広宣流布だ。広宣流布に生きるために、私はこの世へやってきたのだ・・・」何事にもにぶい私ですが、ようやくそれに気が付きました。この世に生まれてきた意味を知ったのですから、やらないわけにはいきません。

 大宇宙の仏の生命と我が内なる仏の生命・・・私のつたなき精進行にあって、私のあずかり知らぬところで、仏と仏が感応、交信しあうのでしょうか?私の行くべき道を照らし、広宣流布に立ちなさいと今日も声が聞こえてきます。

 時はあたかも桜花の季節。創価学会にはやはり桜が似合いますね。また心新たに今年の桜を愛でたいと思います。春の陽光に一斉に開花する・・・創価桜とともに5.3を目指してまいります。




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「私、信心がんばります。」



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 世の中にはふとしたことから知り合いになり、その人の人生に大きく関わるということがままあります。特に信心していますと、仏縁としか言いようのない出会いがあるものです。私とある婦人の親子の方もそんな不思議な御縁のように思います。

 その親子の方の家は古くからの老舗の和菓子屋さんでした。御主人が重い病に倒れられてから家業が傾き、お母さんが和菓子を作り、それを車に積んで行商をしておられました。実は最初の出会いもその和菓子を売りに、少し離れた私の住む地域を訪ねてこられたのがきっかけでした。

 お母さんも80近い高齢で慣れない行商だったのでしょう。最初、きれいだった新車が来るたびにあちこち傷だらけになっていきます。いつか事故でも起こされたら大変や・・・そう思って見ていました。

 何度か来られるうちに、いろいろと悩みを聞くことになり信心の話をしました。我が家の仏間に上がってもらい、すぐに一緒に題目を三唱しました。別の方からも勧められていたこともあり、その後しばらくして、御主人も含め一家で入会されたのです。

  入会してほどなく御主人が亡くなられ、和菓子屋も維持できなくなり、商売を畳んで親子二人で生活保護を受けられました。その娘さんも「不安神経症」(パニック障害系)があり、 ちゃんとした仕事にはつけなかったのです。そのような状況でしたので、信心にもなかなか確信がもてず、親戚兄弟からも見捨てられ、「悪いことが続くのはやっぱ、毘沙門さんを捨てたか らやろか?」などと当初は言っておられました。

 入会前後にはお金を借りていた知人男性から、使い走りや食事の世話までさせられていたそうです。私が出会った頃も、日に日にやつれていかにも薄幸という感じで、「不幸」という二文字がどこまでもどこまでもその親子を追いかけてくるように思いました。

 お母さんはパーキンソン病があり、娘さんもストレスがひどかったのか、入会後に乳がんを発症されました。幸いにも初期だったこともあり、少しの手術ですんだそうです。そして先日、一年たった検査で経過に異常なく、大丈夫ですとの結果をもらわれ、うれしさのあまり歓びの電話をしてこられました。

 ちょうど手元に東北の友へと先生が贈られたエッセーを読んだ後で、「一番苦しんだ人が一番幸せになる」との言葉を彼女に伝えました。電話の向こうで「ほんまですか?うれしいです。」と泣いておられました。

  そのあと、しばらくしてからメールが届き、そこに「私、信心がんばります。」と書いてあったのです。私は彼女の生命に幸福に向かっていこうとする「発心の灯」がともったように思いました。

 こういう人に本当に幸せになってほしい・・・そう思わずにはいられません。 「眷属」という言葉がありますが、私もこの方たちの支え、善知識になって仏法の世界にもっと導いていく使命があることを感じます。婦人部員で,地区も違うため、お会いしに行くこともあまりできませんが、電話でもメールでも励ますことはできます。

 「この発心が、一生成仏の大因となりますように!」そう深く祈りました。いつか暖かな春の陽射しの下、はじけるような笑顔で親子二人生きていってほしい・・・そんな日が来るのを想像しながら、私も寄り添っていきたいと思います。





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地獄にあって呵呵大笑




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何が起こっても、
それを楽しんでいく。
前向きの方向へと受け止めていく。
それが楽観主義であり、
その究極が信仰である。
楽観主義の人は強い。
いい方向へ、いい方向へと
自分でとらえ、
自分で「そうなる」
「そうなって見せる」と決めることである。
        池田SGI会長「四季の励まし」聖教新聞2016.1.17


 いい方向へいい方向へと自分は向かっていくのだ・・・「そうなる」「そうなって見せる」と決めきって生きて行けと言われています。それが妙法の軌道です。逆に「駄目かもしれない」は不信であり、魔の軌道です。どちらで信心しているか・・・仏様はそこを見ておられるに違いありません。

戸田先生は
「私は、かりに地獄に堕ちたとしても平気だよ。
 その時は、地獄の衆生を折伏して寂光土とするんだ。
 男が臆(おく)せば男ではない。どんな苦労も仏の力に変えられる。三障四魔が強いのは、むしろ信心で、必ず勝てるという証しなんだ。人生は強気でいけ!」と・・・(大白蓮華3月号巻頭言)

 胸のすくような力強い言葉です。一念と確信ですね。絶体絶命ともいえる苦境になると私などおろおろして、青くなって力を無くしていたものです。そこを楽観主義と強気で行けと言われるのですから、これは相当の胆力(たんりき)がいります。

 その胆力も信心から生まれます。そんなド根性が自分にあるかなと思っていましたが、崖っぷちに立って御本尊を拝めば、それは出るものです。だからこそピンチはチャンス、そこから痛快な逆転劇の始まりです。一度も崖っぷちに行かないような信心は逆につまらないものです。絶体絶命のところに行く人・・・その人こそ信心を体得できる条件を備えた「選ばれし勇者」ではないでしょうか?

 私の先輩は「何があろうと人は腹から笑えていれば大丈夫だ。」と言っておられました。私も信心のバロメーターとして、腹の底から笑えてる自分か、いつも確かめてやっています。

 御本尊の力を確信すること、そして学会と共に広宣流布のために戦うこと・・・この腹を決めきれば、そこから妙法の軌道に入れます。妙としか言いようのない不思議な力、安心、歓喜が顕われます。「地獄にあって呵呵大笑」できるのもまさに御本尊の偉大な力が出るからだと思います。

 しっかり信心しているなら、時には魔を睨みつけて「早く善神となって、妙法受持の者を守護しないか!サボってると仏に言いつけるぞ!」と叱り飛ばすぐらいの勢いを出していきたいですね。たくさん題目をあげていて諸天が動かないなんて、気の弱い題目をあげている証拠だと、私は自分に言い聞かせています。

「地獄や餓鬼の人々を救うために、俺は地獄にやってきたのだ。どんな地獄も仏界に転じて見せようじゃないか!」・・・そのぐらいの気構えで、地獄を楽しい寂光土に変えていく、大確信に満ちた男らしい信心をやりたいと思います。




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烏の黒きも鷺の白きも・・・




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 暖冬かと思いきや、3月に入った途端、雪が積もり冷え冷えとした一日となりました。

 日曜は県内交流でしたが、今回の参院選は、わが県は新人候補を立てての戦いです。「自民」「大阪維新」、「民主」「共産」「公明」で三議席を争うという熾烈な戦いとなり、私も自然と力が入ってきました。

 法戦もかつては好きでなかった私です。人は変われば変わるもの。よく変わるならいくらでも変わろう・・・自分の殻など大法の前では小さなものだ、そう思ってやってきました。

 近年、私は学会活動が何よりも好きだという生命に生まれ変わりました。これは本当に見事180度転換しました。実は30代で初めてB長職をいただいた時、何もせずにサボって逃げておりました。それで大きな罰をいただいたのです。

 その頃は会合に出ても面白くなく、頭はズキズキ痛み、、怨嫉も強く出て、へとへとで帰っていくという有様でした。(笑)その時に私の体内からたくさん毒気も出ていたことと思います。(そんな私がやるべきではなかったのですが、人材がいなかったのです。)
今は使用前使用後のように生命が変わったのですから、私にしてみれば通らなければならない道だったのでしょう。


 今年に入り、月曜協議会、火、水、木と各部唱題会、週末はオープンでという基本日程でやっています。それに圏や分県の会合、座談会、同中、王城会などが入りますので、夜は何かしら出ていることになります。朝の配達も含めまさに法華三昧、精進行の日々となりました。

 そんな中でも私は唱題会が一番好きですね。剣士が道場に行って申し合いする如く、気合を入れて題目をあげます。「30分一本勝負!」・・・同志の方とも呼吸を合わせ、おのずと生命が躍動し、気持ちも引き締まります。

 「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、何の取り柄もない私が、信心だけは大好きになりました。もはや理屈を越えて体が燃えて活動に向かっていきます。

 「何故山に登るのか?」「そこに山があるからだ」というのと同様、「何故学会活動するのか?」「そこに学会があるからだ」と言うしかありません。それが生命の不思議であり、「妙」の引力です。体が躍動して自然とそこに向かっていく。また砂が水を吸うように学会活動を欲するようでもあります。そして活動に挑戦するたびに生命が蘇生し、生まれ変わります。

 きっと反学会をやっている方も、理屈を超えて命が自然とその方向へと向かうのでしょうね?御書には「烏(カラス)の黒きも鷺(サギ)の白きも先業のつよくそみけるなるべし」(佐渡御書959P)とあります。「因果の二法は骨髄にあり」・・・まさに厳しき世界です。

 今日も仕事場に男子部がやってきて、「公明党のアンケートに協力を!」というので、「男子部のためなら、そして君のためなら何でもするよ」・・といったら50枚置いていかれました。(笑)私も還暦を過ぎて20歳の男子部のような生命です。 (笑)それほど生命が燃えて躍る、素晴らしい御本尊様です。

 人がどうあれ、学会と共に、先生と共に、大法弘通の大道を「我、御本尊なり」その大確信で前進するのみ・・・季節に合わせ、「生命の春」がまた一つ花開くようであります。




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