2016
05.15

下女のはらよりむまれたり

Category: 未分類


 創価学会によって、戦後、多くの人は妙法を知ることができました。貧しさと病と闘いながら宿命転換をかけ、折伏戦に打って出られた先輩諸氏の戦いがあって、私達も妙法をたもつことができました。その恩を決して忘れてはならないと思うとともに、やはりその恩には折伏をもって報いたいものです。私も会う人毎に常に歓喜で仏法を語りゆく自分となりました。

 一人の人を折伏すれば、その人がまた新たに一人を折伏をする。その小さな流れはやがて広布の大河、燎原の火となって、大民衆運動へと広がっていきます。本来、創価の世界は権力でも金の力でもない、歓喜に燃えて折伏に立ち上がった無名の庶民の怒涛の戦いが作り上げた清浄な世界であります。

 今、さも自分たちが正しいように語る反創価の脱会者達も、もとはと言えばみんな創価学会の折伏によって妙法を知り、戸田先生や池田先生の指導、著作によって仏法を学んだ人々に違いありません。

 私の近くの正宗寺院の僧侶も創価出身者であります。しかしながらその大恩を忘れ、自らの保身のために創価を誹謗する変節漢となり果てました。その姿は正義のカケラもない忘恩の徒の姿であり、信念無き畜生を見る思いであります。




若葉4_R





 私の好きな『十字御書』には「蓮はきよきもの泥よりいでたり、せんだんはかうばしき物大地よりをいたり、さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ、やうきひは見めよきもの下女のはらよりむまれたり」とあります。

 楊貴妃(ようきひ)が下女の腹から生まれたように、私達のような穢れ多き悩み多き凡夫に仏の生命はおわします。まさに「凡夫こそ仏である」・・・これが日蓮大聖人様の仏法の肝心、真髄ではないでしょうか?

 特定の権威や御本尊にひれ伏すことなど、もとより大聖人様の仏法ではありません。「竜の口の頸の座」にお供した四条金吾殿に「設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし」(崇峻天皇御書1173P)と、大聖人様は仰せになられました。どんない苦しい時であってもこの御文を拝し、「地獄にあろうと大聖人様はここにいてくださる」との確信を燃え立たせてきました。

 どこまでも民衆と共に、民衆に寄り添い、苦悩、苦難を共にされるのが、仏様の慈悲であり振舞です。
民衆の集いである創価学会、信徒を見下し、僧侶が上などと申す根性は、およそ仏法とは縁遠い悪鬼の所業であり、日蓮仏法とは似ても似つかない邪教であります。

 知恵ある人もなき人も、平等に唱題行と「信」の力によって得道できる信心です。「愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も・愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり」(松野殿御返事1381P)聖人の唱える題目も我ら凡夫の唱える題目も、経の心に背くことがなければ変わりはないとまで仰せです。  

 特別な人などいない・・・大聖人様と私達、池田先生と私達は一つであり、師弟の道に生きることを覚悟するなら、仏様の力も先生の力も私達の生命に流れ通い漲(みなぎ)ります。それによって小我が大我に、凡夫が仏になることは、仏法の上での約束であり、100発100中、どなたもそうなることは間違いありません。私がそしてあなたが仏であることに絶対の確信を持たねばなりません。

 今日も「我仏なり、日蓮大聖人なり、池田先生なり」との大確信に燃えて、心一つに高らかに題目を唱え、広宣流布という聖業にともどもに参加し、偉大なる人間革命を成し遂げようではありませんか!





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