2016
05.31

宗教界の王者

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 宗門問題が起こり、学会が宗門と決別し独立を勝ち取ったことは、広宣流布が進展していく新たな原動力になりました。それまでは宗門、猊下を仰ぎ、その指南に従うということが在家の条件のようにあったわけですが、あまりにひどい猊下が出てくれたおかげでその足かせもとれることになりました。

 これからは学会独自の進め方で心おきなく広布の戦いができる…世界に向かっていくには申し分のない環境が整っています。聖教新聞もネットで即日世界に発信できます。連日、聖教新聞には海外の広布進展の様子が誌上をにぎわすようになりました。

 世界広布ですので相手はキリスト教やイスラム教社会、そして共産主義社会など…様々な宗教やイデオロギー、文化に、仏法を携えて対話に乗り出す時代です。外国語の一つぐらい話せないと世界広布はできませんが、それができなくても外国語を話せる人を折伏して、海外に向かってもらうという方法だってりっぱな世界広布です。(笑)

 「ハロー、日蓮仏法最高ネ!歓喜、折伏、関西スピリッツ!オー・マイ・ニチレ~ン!」ぐらいの英語力でも相手のハートを鷲掴みにするような生命力があればきっといけますね。(^_^;)


 往々にして私達は考えの違う相手に対しては身構え、理論を用い、時に批判の応酬になりがちです。これは考えて見ますと非常に人として、対人関係の能力の低さを露呈しているように思います。身構えること自体、臆病な証拠ですし、違いを受け入れられない心も自分のキャパシティの狭さに問題があると言えます。これからは自分と相違する人の懐にも飛び込んでいく必要があると感じています。

 宗門などなおさらというしかありません。「歓喜の歌」でさえ、キリスト教讃嘆だとのたまう偏狭な心は、まるで国際性のない人間主義とかけ離れた封建的な島国根性を見るようであります。

 大聖人様もそのことを見越して在家に広宣流布を託されました。そして仏意仏勅の創価学会が出現することは、大聖人様の御一念であったと私は思います。

 池田先生は海外の識者と懇談する際にも、相手の宗教、思想を批判するのではなく、「理解と対話」「尊敬と友情」という人間主義を基調にお会いされます。それは先生の大きな境涯がどんな相手をも受け入れて余りある・・・まさに大海が小河を前にした悠然たるお姿と言えます。

 他宗教の方に会いますと、我々はすぐに仏法の正邪で折伏をしないといけないように思います。私も経験がありますが、そんな場合、「あなたの宗教は間違っている」と一方的に言っても、会話はそれ以上、続きません。また相手がそれで改宗するということもありません。「相手の謗法を破折した。これで与同罪は逃れた」などと思っても、それは独善的な自己満足に過ぎないことが多いものです。池田先生がキリスト教やヒンズー教の識者に「あなたの宗教は間違っている、地獄に堕ちますよ」などとは言われませんよね。

 「理解と納得、共感」を生じさせることこそ、対話であり、折伏に通じていくことを学ぶべきだと思います。その振る舞いがあったからこそ、創価学会は世界に受け入れられ広がりました。他宗がいくら逆立ちしても太刀打ちできるものではありません。今日(こんにち)の世の中で自宗をこれだけの勢いで世界に弘めているのは創価学会だけなのです。

 「創価学会は宗教界の王者である」とは戸田先生の火を吐くがごとき言葉です。まさしく日蓮仏法はすべての哲学の王者です。そして王者の信仰を持った我らはまさに「人間王者」です。ならばそれにふさわしい振舞で仏法の偉大さを周囲に示していくことが使命だと思います。

 日頃、折伏相手は私の人柄や振舞、顔の表情や対話の受け答え・・・そんなところで創価学会を感じ、私の人間性を感じています。たとえお金や名誉、地位がなくても、一人の人間として魅力、味がある・・・明るく輝いて爽やかだ・・・そんな自分でありたいと思います。それもりっぱな「人間王者」の姿ですね。

 さて、今夜は本部唱題会・・・先週も本部長宅の前の川には蛍が飛んでいました。今宵はもっとたくさんの蛍が唱題に集う同志を歓迎してくれることでしょう。「蛍火」に笑われないような「日月」のような明るい題目で、皆さんと呼吸を合わせていきたいと思います。

「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(千日尼御前御返事1310P)・・・大好きな御文を心肝に染めて、法戦にも悠々歓喜と舞いゆきたいものです。






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