広布の大河に君ありて tori

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此経難持の四字




 法戦も残すところ1か月余りとなりました。宿命転換をかけ、戦っておられる方も多いことと思います。私も先日(日曜)は午後からになりましたが、町内の友人知人を訪ねて夜まで多くの方とお会いしてきました。

 私の知り合いの婦人部の方も、息子さんの仕事の悩みをバネに、今回は70軒の集落をすべて回って歩かれました。「一家の柱が立たない」という宿命の壁をどうしても破りたいと、行きづらいところにも飛び込んでおられます。電話で激励しますと元気で溌剌とした声で、逆にこちらが励まされました。きっと壁を破ろうと決意された時に、心の壁は破れるのだと思います。

 「学会精神」について、私など語る資格はないかもしれませんが、私自身は「闘争心」「戦う心」だと思っています。

 「悪しき宿命」にしろ「三障四魔」にしろ信心をした以上、断じて負けるわけにはいかないものです。来る日も来る日も太陽が昇りゆくように、毎朝毎朝「今日も戦うのだ」と決意しての出発です。「愚痴」や「不信」を不屈の闘争心に変えて戦う心こそが、凡夫の信心の原動力であると思います。

 思えば学会に入会しなければ、私もこのような決意と挑戦の人生にはならなかったと思います。できるだけ安易で楽な方に舵を切り、要領と打算で世を渡っていたかもしれません。

 30代の頃、東京から御本尊を携えて故郷に帰り数年たった頃、私にも地方公務員になる話がありました。ある専門のことで自治体からお誘いを受けたのです。しかし、私は思案し、自分の道ではないように思いお断りしました。




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「そんないい話をどうして断ったのだ。」と周囲からは言われました。 ところが、元の職場で頑張ろうと思った矢先、職場のトップの人からなぜか疎(うと)まれるようになっていったのです。そして徐々に居心地が悪くなりそこをやめることになりました。「おまえの後ろには池田大作がいる!」と怒鳴られもしました。すべてが自分の力では止めようもない方向へと向かっていくようでした。

 それからは仕事も思うようにならない生活が長く続きました。30代後半から40代と一番働ける頃でもありました。私にあるのは「自分には法華経がある。」という思いだけでした。

 その出来事で世法的な安定、財(たから)は失ったかもしれませんが、様々に悩み苦しむことができ、仏法という生命の宝を求める道へと、より深く入っていくことになりました。仏様のご慈悲によって「煩悩即菩提」の道に自然と誘(いざな)っていただいたのです。

 「途中はいろいろあっていいのです。最後に勝てばいいのです。」とは池田先生のご指導です。本当にたくさん生命の傷が顕われました。罰もたくさん・・・(笑)いろいろありすぎて、書くに書けないことも多いのですが、苦境にあって不思議な事に「歓喜」「信念」「闘争心」だけは薪を加えるように燃え盛ってきました。「その心一つで勝負しなさい!」それが御本尊様のお心なのだと思いました。

 我ら、学会員の「闘争心」は他者に勝つための「闘争心」ではありません。「広宣流布」「宿命転換」のために、自身に打ち勝ち、同志を護り、新たな人を妙法に導くために戦わんとする「闘争心」であると思います。

 腎臓癌も体験し、首、肩、腕の激しい神経痛にも数年苦しみました。頭痛、失業やらといいことがない中を耐えて、それでも信心は捨てずにきました。癌は10年を越え再発もなく寛解し、座薬で散らすしかなかった不気味な神経痛の痛みも消え去りました。これからは反転攻勢、前に出て旗を振って、悔いのないように一生分の戦いをしたいと思っています。

 御聖訓には「法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし」(四条金吾殿御返事・1136P )と仰せです。私も法華経の一信者ですが、修行の枝を様々に曲げられたと思います。

 しかしその苦しみを今日の自分に活かすことができました。素晴らしい御本尊様です。信心の力は絶対です。試練を耐え抜けば限りない青空を、歓喜の心で悠々羽ばたく時が必ずやってくる・・・それが法華経だと思います。

  この確信をさらに強くして、「一生成仏」の山に挑んで行きたいと思います。






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