2016
06.14

「魔」は影の身にそうがごとく

Category: 信心




若葉4a_R





6月14日付聖教新聞・「御書と歩む」には三沢抄の一節が出ていました。

「生死をいで仏にならむとする時には・かならず影の身にそうがごとく・雨に雲のあるがごとく・三障四魔と申して七の大事出現す」(三沢抄1487P)

 広宣流布に戦う生命には必ず魔が競ってくると仰せです。自分に魔が競っているか・・・それを見て「難と戦う自分は正しい信心をしているのだ」「御書の通りだ」と意を強く持てるようにありたいですね。

 魔は「御本尊への信」、「創価学会・池田先生への信」を誑(たぶら)かせに出てきます。本当にありとあらゆる手立てで信者を悩ませるものです。他者の身に入ってこちらを迫害することもあれば、陰魔(おんま)のように肉体や心の不調で内から苦しめられることもあります。「魔は天界に棲む・・・」歓喜の生命にも魔が現れるので油断なりません。今時ですと「魔はネットに棲む」かもしれませんね。(笑)

 次下には「欲・色・無色の三界の一切の眷属をもよをし仰せ下して云く、各各ののうのうに随つて・かの行者をなやましてみよ・それに・かなわずば・かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりて・あるひはいさめ或はをどしてみよ・それに叶はずば我みづから・うちくだりて国主の身心に入りかわりて・をどして見むに・いかでか・とどめざるべきとせんぎし候なり。」(同・1488P)と魔についてご教示なされています。

 御文のように、友人、上司、親兄弟、伴侶ら眷属から信心を迫害される、又日顕のような僭称増上慢が創価学会全体を潰しにかかるものまで、大なり小なり、「影の身にそうがごとく、雨に雲のあるがごとく」、魔は仏と一体となって惹起し、信者を苦しめます。その時こそ「ありがたい・・!」と喜ばねばなりません。

 強く信心しても魔が競いますし、弛(たゆ)む心にも「魔が便りを得る」と仰せです。どうせなら強い信心で魔を顕し、その魔を打ち破って境涯を開きたいものです。そのためには「確信」「勇気」そして「勢い」を出すしかありません。

 魔が出れば出るほど、こちらも喜び勇んでいくのが本当の信者です。信心は「仏と魔」の戦いであり、「賢者は喜び愚者は退く」との仰せは魔が出た時のための心構えであると思います。


 教学も学び、体験も積んで自分の信心に確信も出た・・・そうなりますと、「魔が競うなら競え、幸福になるために迫害の一つも起きないものか」と思うことがあります。強い魔を打ち破って、さらに信心を深めたい・・・そこにまた新しい自分が開けます。「人間革命」の一歩前進です。魔が出ないことが幸福なのではなく、魔に負けない、魔を見破り打ち勝っていくことが、仏の説く絶対的幸福への道だと思います。

 私の同級生は都会で入会したものの、帰郷時に親から反対され、信心をあきらめました。私も同じように都会で入会し、御本尊様と共に帰郷しましたが、親や周囲の反対を押し切って信心を通しました。親のいうことを聞かない親不孝者であったことが幸いしました。(笑) 信心に反対した父を一時は悲しませましたが、私の信心をあの世できっと喜んでいてくれることと思います。(父ちゃん、題目送るからネ!)(笑)

 入会して30数年、誰が何と言おうと、日蓮仏法は創価学会であり、池田先生だと私は確信します。いよいよこれから・・・「只今入信」の思いでこの御本尊に自分を託し、自行化他の信心に励みたいと思います。






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