広布の大河に君ありて tori

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「感謝するから幸せになる」




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 <幸せだから感謝する>以上に<感謝するから幸せになる>のである。

 これは池田先生の「ありがとうは奇跡の言葉」(「人生は素晴らしい」より)という一文の中の一節です。信心していくものにとって、この言葉は深く考えるべき言葉ではないかと私は思います。

 世間では「お金持ちになり悠々自適にでもなれば、感謝するよ」といいます。確かにそうかもしれませんが、仏法ではまず感謝できる自分になることが先で、その後に幸せになるのだというのです。ですからお金持ちになろうという願いよりも、感謝して生きていける自分になることの方が先に来るべきなのかもしれません。

 私自身もお金も欲しくて信心してきたのですが、気が付くとお金より「感謝や歓喜」の方が先にやってきました。こんな私にも他者の幸福をガンガン祈りながら毎日を生きる・・・自分のこともままならないのに、そんな世界が俄然、開いてきたのです。

 「ネットだから王者の剣はまたきれいごと言ってるよ」と言われそうですが、「六根清浄」の功徳ある信心をしているのですから、30年もやってそうならない方がおかしいのだとも言えます。

 「感謝するから幸せになる」・・・これを応用しますと、「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいことが起こってくる」「元気だから人を励ますのではなく、人を励ますから元気になる」・・・という風にすべて、物事の順序が逆になってくるのです。信心が強ければ病気に感謝、貧乏に感謝、そして御本尊様に感謝となり、それでその苦しい宿命に勝てるのだと思います。

 私の地区でも「今の私では誰も信心しない。もう少し幸福になったら折伏する」という人がいます。それでは駄目ですよね。貧乏でうだつがあがらない自分のままで折伏に歩くから、仏様から功徳をいただいて立派になっていくのですから。

 この一文には次のような一節もあります。

 「ありがとう」と言えない時、人の成長は止まっている、成長している時、人は他人のすごさが見えるからだ。成長が止まると、人の欠点ばかりが目につくからだ

 うーん、まさにこの通りですね。「人を見下げて高いところにいたい、自分が中心でないと面白くない」・・・そういう根性の人は「ありがとう」が出ないものです。人の欠点をあげつらうことによって、自分を立派そうに見せる・・・そういう人は成長が止まっていると仰せです。人の素晴らしさを感じることができるか・・・そこに人を鏡として自分の成長も見えるというものです。

 
 昨夜は同中に参加しましたが、素晴らしい同中でした。海外の友の弾ける笑顔・・・「青年よ21世紀の広布の山を登れ」の大歓喜の合唱に私も心が打たれました。家内も感動していました。明日は外部の友人を連れてもう一度、同中参加です。その友人も任用試験を受けてくれることになりました。(笑)

さあ、行動の秋きたる・・・私も一段とエンジンを吹かして、他者の幸福のため、地域を奔走したいと思います。





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