広布の大河に君ありて tori

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病多き衆生の良薬

 

 聖教新聞の体験談を見ても家庭不和や経済苦、医者も見放すような病気、障碍と、それこそありとあらゆる悩み、苦しみがでてきます。それでも明るく強くたくましく生きていくことができる。悩みを跳ね返し、悩みに負けない生命力を日々の信心で湧現し、やがてその悩みを克服していった体験であふれています。

 その一番の原動力は何か? 私は自分自身の「負けじ魂」であり、信心に対する「「歓喜」「感謝」の心ではないかと思います。

 前回の記事で、池田先生の「感謝するから幸福になる」との言葉を引用しましたが、私自身はどうかというと、実は感謝や歓喜が湧かない時期も長くあったのです。(引きこもっていた時期もだいぶありましたので(笑))

 それが私の場合はある悩みを契機に感謝や歓喜の信心に変わっていきました。どういうことかといいますと、その悩みは自分ではどうすることもできないもので、御本尊の力を頼む以外に道がなかったのです。どんな悩みでも解決できる御本尊をいただいている・・・無理を承知で頼める御本尊がある・・・そう思うとそれだけで「なんとありがたい」と思えたのです。





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                             <白い曼珠沙華>




 「南無妙法蓮華経」は一切衆生のあらゆる病の最上無比の特効薬です。そしてその薬は飲み放題であり、飲むほどに体内に行き渡り、不思議にも悩みは解決していきます。そう思うと、題目がありがたく思えて、あげることがうれしくなってきたのです。早く良くなりたいものですから、よくあがるのです。

 コップ一杯の水は普段はさほどありがたみを感じませんが。本当に喉が渇けばそのありがたみがわかります。それと同じように自分が窮(きゅう)した時にはじめて御本尊様を拝めるありがたみを感じたのです。


 世の中には精神的な病や癌や難病など、まだまだ医学では解決できないものがたくさんあります。そういう宿業が身に出た時、「ついに出たか、だがいかなる病もこの妙法で治せるのだ、その題目が自分にはある。」「御本尊第一、題目第一でこの病を必ず変毒為薬できる。」「ありがたい、ありがたい」と歓喜と感謝に燃えて、題目を唱え抜いていけば、御本尊様の力が湧かないわけはないと思います。そしてその題目は凡夫にはまさに「色香美味」であり、ありがたくおいしいのです。

 それを幹部に指導を受け、「あなたは何時間あげなさい」などと言われ、「大変なことになった」と渋々義務であげてもどこか苦しいものです。(笑)それより「ありがたい薬を飲ませていただける。」と歓喜と感謝の心であげれば、仏も歓喜して我が身に力を返してくださるのではないでしょうか?

 その題目に功徳が出ないということはないと思います。どこまで行っても自分の一念が自分に返ってくる。おまけもお釣りもありません。鐘を突けば突いた力の分で音が返ってくるように、自分の信心がそのままダイレクトに返ってくるのだと思います。

 「この腐った脳味噌をきれいにしたい」 「もっと笑いがあふれる家庭にしたい」 「貧乏を卒業してお金もじゃんじゃん入ってくるようにしたい」と、私など病気も満載の不浄の身の上です。ですので今日も「妙法病院」に通い、「南無妙法蓮華経」のお薬をありがたく頂戴するのであります。

 この感謝の題目にどんな功徳が返ってくるか、私はいつも楽しみです。ニッコリ笑顔で大聖人様の御生命を拝し、「南無妙法蓮華経」をありがたく唱える・・・それしか私にはこの世を生き抜く智慧も力もないのです。






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