広布の大河に君ありて tori

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始めは事なきようにて




 10月の座談会御書、御書講義は「聖人御難事」です。「月々日々に強(つよ)り給え、少しもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」の御文が出てきますね。私も支部の壮年の皆さんと一緒に研鑽することができました。同志が寄り集まって、膝を交えともに御書を学ぶ・・・その小さな会座(えざ)こそ、大聖人様のお心に添ったものであり、地域広布の核となるものと思います。

 「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」これは大聖人様の27年間のご難について述べられたものですが、池田先生や創価学会員である法華経の信者を軽賤し、迫害、誹謗する人々も同じ末路を辿るものと私は思います。

 姿はどうであれ、御本尊を信受し、妙法を唱えゆく人は仏であり、不軽菩薩の振舞を見ても敬わなければなりません。同志誹謗、信者誹謗は厳に慎まなければならない。相手の尊厳のためにもまた自分の福運を消さないためにも、気を付けたいと思います。

 「始めは事なきようにて終にほろびざるは候はず」・・・と、厳しく仰せです。やがてその人の生活は破たんし、精神は悩乱し、敗残者となっていくのであり、私もかつての友人にその姿を見ていますが、罰の姿は恐ろしいものです。





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 精神が悩乱し、魔に誑(たぶら)かされると人は他者を認めたくなくなり、そして相手の長所ではなく欠点をあげつらうものです。正を邪に見せ、邪を正に見せる・・・まさにそれが「魔の行動」です。大聖人様の法難に於いても権力者は大聖人様を邪悪の人へと貶(おとし)め、自分たちが正義であるがごとき画策をし、行動に移し、弾圧しました。

 私がある役職をいただいた時ですが、前任者が私の悪口を会員に言ってまわったということがありました。「あいつの信心はおかしいから気を付けろ・・・」等々、プライバシーも含め根も葉もないことでした。「真偽」や「正邪」と言うものは、言葉巧みにすり替えようと思えば、表面上はある意味簡単です。その前任者の心は私へのやきもちだったのでしょう。常日頃、「我こそは先生の弟子」と名乗りながら、本性はケツの穴の小さな御仁です。(笑)

 「特定の会員のことをことさら悪く語らってくる人には気を付けた方がいい」・・・ということを私もその経験から学びました。それらの多くは怨嫉、憎悪がもとにあり、「一切衆生を幸福に」との仏の境地とは真逆の「私情」や『私怨」です。本当の仏法者は相手を認め、相手を自分以上の高みへと引き上げようとするものです。人を非難し、貶める人は本当の信仰者ではない・・・そこにその人の善悪を見極める鍵があると思います。

 それ故に我々は常に同志と集い、団結し、同志の間を分断する魔を見破り、お互いに注意していかねばならない・・・信心の根本道場たる地区・地域の会座に出ていって切磋琢磨する・・・そういう場所がより大事になってくるのだと思います。組織に是々非々ありますが、本来、組織は会員一人一人の信心を守り育てるためにあるのです。組織に参加する意義はとても大きいと、組織嫌いの私が言うのですから本当です。

 今年は台風も多いですが、秋も本番を迎えていますね。地元では祭りの笛の音なども聞こえていますが、私も夜はできるだけ唱題に励むようにしています。「一家の幸せ」、「地域の方の幸せ」、「縁ある人の幸せ」を祈りながら、「実り多き秋」にしていきたいと思います。





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