2016
10.26

烏(カラス)の黒きも鷺(サギ)の白きも

Category: 信心


 今月の本幹では四国の愛唱歌「紅の歌」が紹介されました。私も朝の配達時、車中で「学会歌」を聞きながら走ることがあります。ちょうど朝の太陽が空を染めて、「紅の歌」に乗せて、私の心には創価の太陽が昇ります。


 池田先生はご自身の入信について「日蓮仏法の難しいことは何もわからなかった…ただ、権力から弾圧を受け牢獄に入られた戸田先生という人を信じたのです。」という意味の話をされています。きっと出会われたその瞬間に、法華経の「師弟」を悟られたのだと思います。

 私はと言いますと、27歳で折伏を受け、生まれて初めて「妙法」の話を聞いたのですが、他の宗教はことごとく拒否反応が出ていたにもかかわらず、「妙法」だけは何の疑いもなく、命に溶け込むようにその場で入ってきました。そしてその夜から一人題目を唱え始めたのです。自分も気がつかないところで、生命は奥深くその時を渇仰していたのだと思います。まわりにも学会員がいたのですが、みんな私だけは信心しないだろうと思っていたそうです。(笑)

 入会しても私は池田先生をそれほど求めたわけではありません。学会活動にも出ていましたが、信心を教えてくださった先輩が、宗門の話を良くされましたので、お山にも良く行った方ですし、近くの寺院にもよく行っていたのです。
 もちろん出家などは考えたことはありませんが、もしそうしていたら、今頃、放蕩三昧の悪僧として、「創価新報」で叩かれていたでしょうか?(笑)



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 私は心中、僧俗和合を願っていたのですが、ある日、宗門問題が明るみになり、学会が破門されるという事態が起こりました。その時、即座に「これは宗門がおかしい」と直感しました。

 理屈は抜きにして、これだけ創価学会や会員からご供養を受けていて破門するというのは、人の道に外れているというのが率直な感想でした。立派なお説より、やはり人は振舞ですね。正本堂の破壊など、狂気の沙汰としか思えない所業です。

 今となってはその事件によって、自分は学会一筋の道に、池田先生だけを求め行く道へと入ることができたのですから、ありがたい出来事となりました。私の僧侶や寺への尊敬の念も、泡のごとく消え果てました。私の多くの大切な友人が法華講へといきましたので、それはまさしく信仰上の分岐点であったのです。

 振り返りますと、信仰の道も理屈ではなく、過去の宿縁、因果ということに引っ張られていくことを強く感じます。戸田先生は仏法を邪魔する僧について「大聖人様の御時代に、あるいは良観とか、あるいは法然の弟子とか、そういう者(の弟子などになる連中)は、いったい過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をくさした外道の者が生まれてきて、仏法をやってですね、そうして今度は正法を邪魔するんです。そうすると今度どうなるか、あいつらが死ぬと、今度は日蓮正宗のなかに生まれてくるんだよ。誠にこれはおもしろいもんだぞ」(佐渡御書講義)と言われています。

 今の所業が因となって、人は次なる生の果報を受ける・・・因を作った以上、その果は避けられないものです。生命の因果を深く知悉されている戸田先生ならではの言葉だと思います。

 御書には「烏(カラス)の黒きも鷺(サギ)の白きも先業のつよくそみけるなるべし」(佐渡御書959P)とあります。いかなる先業をもったものか、凡眼の私には自身の因果すら見えません。ただ今の自分を見て過去の自分を察すれば、学会と池田先生に縁が強かったことは確かなことです。

 ともあれ私の一生は「創価の師弟」で生きていく人生となりました。その信念が自分の生命に宿っていたこと、それが幸福の土台のごとく生命に現われたことを本当にうれしく思います。晴れ晴れと生きていけるこの「師弟の大道」を我が生命に染め抜いて、今日も地域の同志とともに、朗らかに前進していきたいと思います。





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