広布の大河に君ありて tori

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信心の「糸」

 先日、地元のある婦人部の方と話をしていましたら、「○○さん、信心は縦糸が「師弟不二」、横糸が「異体同心」ですね。どちらがかけても「広宣流布」も「人間革命」もできません。」と言われました。

 私は一瞬、中島みゆきさんの「糸」の歌を連想したのですが、確かにいい言葉だと納得して、「そうですね。先生を求めぬいて、同志の中で生命を磨くことですね。「師弟」に生きればおのずと「異体同心」となっていく。この二つも本来、「相即」の関係ですね。」と答えました。

「幸福と平和の智慧」(大白蓮華)には次のような指導があります。

 「師匠と弟子とは、針と糸の関係にもたとえられよう。師が道を開き、原理を示し、後に残った弟子たちが、その原理を応用、展開し、実現化していく。また弟子は師匠を凌いで行かなくてはならない。一方、師は弟子たちのために一切をなげうち、捨て石となる覚悟でなくてはならない」






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また「それ(師弟)は、身分による上下の関係でもなく、利害や報酬に基づいた契約関係でもない。同じ目的を分かち合い、信頼を基盤とした最も自発的にして純粋な精神の融合といってよい。」
と仰せです。

 私も信心の「師弟」は「精神の融合」そのものであると思います。今やアフリカ、インドなど、世界のあらゆる地域で、「広布」と「人間革命」の布が織りあがり、はためく時代がやってきました。生涯、先生に会うことがなくても、幹部でなくても、先生を求める心が強盛であるなら、その瞬間から「師弟不二」となるのが、仏法です。

 私も信心をしていく過程で、自然と池田先生と「不二」になっていこうという自分になりました。その精神作業において、先生に対する「壁」が一枚づつ取れていったように思います。そして先生の生命力がダイレクトに自分の生命力となって返ってくるような、不可能と思えることも可能にできる、そんな師子の力が漲っていくのを覚えます。こんな自分にも青年の力が漲り、それが歓喜となって噴き上がってきます。

 その生き方になることが幸福なのだと思います。池田先生と「不二」になることに疑いを抱く人も多いことでしょう。しかし、私は信じることによって、「師弟不二」の道に「人間革命」「一生成仏」があることを確信できるようになりました。もはや自分が進む道に迷いはなく、後はこの道を一筋に、精進していけばいいのだと思っています。

 
 もう何年も池田先生は私たち会員の前に直接、出てこられていません。もちろん会員にとって一抹の寂しさはありますが、今こそ、弟子と決めた一人一人が「一人立つ」精神で、師の教えを実現する戦いに挑んでいく時だと言えます。

 池田先生は弟子達にその自覚を促されながら、あえて表に出ることなく、信頼をもって見守っておられます。「あの町には池田先生の精神を継承した立派な青年がいる。彼がいればこの地域の学会は盤石だ」といわれる、そういう一人が踊り出てくる・・・それを先生はきっと期待されていることでしょう。

 その時に「魔」は必ず「師弟不二」の「縦糸」を食い破り、「異体同心」の「横糸」を引き裂かんと動いてくるものです。

 「池田先生はおかしい」「学会幹部はおかしい」「今の幹部は池田先生の教えに背いている」等々、ことさらに吹聴する人は、結果として同志を分断し、迷わせ、信心を食い破る「師子身中の虫」となることを知るべきです。

 一人一人がそれらの魔を見破り、魔を寄せ付けない・・・そのためにリズムある地道な日々の仏道修行、学会活動が大事になると思います。誰が見ることもない、陰の地道な精進、それに励むことが肝要であり、そのための組織です。

 さあ、今夜も唱題会・・・強き信のこもった題目で、同志の方々と共に、一切の障魔を打ち砕く思いで前進です。





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幸福の種


 昨夜は我が地区でも座談会があり、新入会者の方も参加され、15名ほどと、いつもより多くの方が集われました。尊敬する本部長、婦人部長夫妻もサプライズでやってこられ、元気にあいさつされました。
地域のトップを切って上半期ブロック1の弘教を達成し、静かな田舎の地区ですが、今、活気に満ちています。

 自分の進む道に一点の迷いがないことほど、活力に満ちて確かなことはありません。毎日、多くの人の入会と幸福を祈りながら、広宣流布のために生きていく・・・その日々の積み重ねに心と生活が豊かさを増していく。求めずともそういう自分になっていくのですから、法華経は不思議な力ある経です。





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 御書には「譬(たと)へば人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」(食物三徳御書1598P)とあります。広宣流布(他者の幸福のため)に生きる人が幸福になっていく原理がここにも示されているように思います。
自分のことしか考えられないような小さな自分が、人の幸福を目指して生きようとしているのですからそれは偉大な「人間革命」に違いありません。


 宗門問題を契機に私も日顕宗を捨て、池田先生により深く随順していくようになりました。やはりそのことが私の信心において、とても大きな意味があったと思います。なぜならお寺にもよく唱題しに行き、猊下、僧侶を敬い、宗門の機関誌まで購読していた私が、一連の事件できれいさっぱり、寺、僧侶への執着を断ち切ることができたのですから。

 正本堂や大客殿まで破壊しつくしたあの日顕宗を許せない反面、池田先生と学会という自分の行く道をはっきりと教えてくれたという意味で、私にとっては「発迹顕本」といってもいい出来事でありました。それらの大難を今となっては「ありがたいことだ」とも思うものです。

 決意が人の未来を決定するのであれば、私は学会と池田先生に生きることを決意したのであり、それから俄然、生命が大きく回転し、幸福に向かい始めたことを感じます。植物が種に未来の花を内包するように、その決意こそ三世に花開く幸福の種であると確信します。

 先日、聖教新聞を購読していただいている外部の方とお話する機会がありました。「こんな田舎では学会のことはよくわからないですが、創価学会が日本だけでなく世界に花開いている。池田先生の世界との対話をはじめ、世界中に学会が発展していることに驚きです。」とおっしゃっていました。

 私もいいご縁になればと思い、その方の庭に咲いていた牡丹の花を写真に収め、朝の聖教新聞に挟んで届けました。するとその日のうちに、心温まる令状をもって私の家まで来られたのです。少し障害のある御婦人ですが、配達員の私の家を探しながら、1キロほどを歩いてこられたそうです。真心には真心が通じるものです。「この人もきっと胸中深く妙法を求めておられるのだ。そしてこの方の幸せを祈り、妙法に導くことが自分の責務なのだ」そう強く決意いたしました。

 口だけで学会や池田先生を批判することは簡単なことです。しかし、学会と同じ広宣流布の姿を実現することはいかなる人も団体もできません。その意味で批判する人々は遠くから師子を吠うるに等しいものです。現実に広宣流布の姿を現せない言葉だけの理屈に従って、「一生成仏」の軌道から離れていく人ほど、哀れな人はいないと思います。


 私も60歳を超えてある意味、残り少ない今世の命です。「四十にして惑わず」との言葉がありますが、「六十にして天命を知ったのだ」と思っています。あれこれ迷っているうちに皆さんもあっという間に年を取りますよ。(笑)

 学会一筋、「師弟」一筋を我が人生と定めきって、今日よりはさらなる大前進を開始していきます。




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師弟の月・五月

 5月に入り、学会員にとっては「師弟の月」ともいうべき意義深き月を迎えました。ゴールデンウイークは、私も農作業の合間をぬって、対話と家庭訪問に走りたいと思います。


 この5月3日を目指し、決着をつけたいと思っていましたある婦人の方への折伏が実り、昨夜は婦人部長と共に訪問、無事に謗法払いを済ませることができました。天理教、S会の祀り物、法然の姿絵、真言や般若心経の経本、数珠や仏具と、スーパーの袋いっぱい、邪念の染み込んだ謗法物を処分することとなりました。

 「「ヨン様」の写真はそのままでいいですよね。」といわれるので、壁を見ると、大小たくさんの「ヨン様」が微笑んでいます。もちろんそれはOKです。(笑)




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 聖教新聞の購読が縁で対話するようになり、10年ほどかかりましたが、最近、難聴で悩まれるところとなり、何としても謗法との縁を切って、「一生成仏」の道に入っていただきたいと、私も一念を定めました。「なんとしても」・・・その祈りこそ通じていくものだと思います。

 隣の地区でも青年が折伏を決めており、5月3日、支部で2名の入会となります。「支部長を男にしたい」・・・その願いも叶いました。(笑)

 学会の信心はまさに「師弟」の信心です。池田先生は戸田先生に対し、一点の疑いもない、澄み切った心境であられたと思います。師匠の御構想実現のためにただ一人、「不二」となって命を捧げ、戦われました。反対に己心に疑いのある者は、師の苦境の時、「戸田の馬鹿野郎」と言って去っていきました。また臆病で名聞名利の強き幹部が、まさかの時に師匠を見限りました。人としてあまりにもあさましい姿ではありませんか?「ここぞ」という難の時にその人の本性がたまらずに出るものです。

 ある人曰く、「最近は学会に見切りをつけやめる人も多いですね。」
「「会則の改正」はいろんな意見があるのでもう少し様子を見ます。」
「ネットの反学会の記事のほうが頷けますよ。」等々・・・

 そんな人を見ると、私は学会や池田先生に対する疑念を感じ、歯がゆく思います。またなんと惰弱な「信」であることかと嘆かわしく思います。「学会が隆盛ならついていく、衰退し始めたら去っていく」・・・というのでは、「事業が成功している戸田先生にはついていき、苦境に立てば去っていく」、あの退転者たちと何ら変わらない根性ではありませんか?「その不信に魔が棲みついて、あなたこそ悔いを残すことになりますよ。」私はそう答えるほかありません。

 学会が衰退するならその時こそ、旗を振って自分が先頭に立って戦うべきです。身は学会員でありながら心は学会を冷ややかに眺め、傍観者でいる、そんな「身口意」が一致しない中途半端な信心に本物の功徳はない・・・功徳がないからさらに疑いを強めるという悪循環こそ、魔に支配された姿であると思います。

 「師弟」に生きる人は5月の陽光のようにさわやかに、輝くことができる。そして祈りは次々と成就し、生きていることがうれしいという歓喜あふれる絶対的幸福の世界へと入っていくことができる・・・これが私の知る学会の信心であり「師弟の世界」です。

 さあ、気候も良く一番動ける季節ですね。同志のため、友のため奮闘しゆく日々に、師匠への報恩を重ねながら、走りぬいていきたいと思います。





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