2018
01.26

羊千匹より獅子一匹

Category: 信心


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 今週、日本列島は寒気に包まれています。特に北陸、関東は雪が多いようですね。思えばまだ一月・・・それでも春はきっと私達の周りで準備怠りなく、極寒の冬にあっても辛抱強く出番を待っていることでしょう。

 1月の本部幹部会では池田先生の1998年のスピーチが放映されていました。学会草創の頃の様子を語っておられました。当時、出獄された戸田先生を取り巻く状況は大変厳しく、人心も荒んだ時代でした。お金も何もない中で、「妙法がある、この妙法を皆に与えていこう。そのために戦闘開始だ」と戸田先生は一人立たれたのです。そして一対一のひざ詰め対話をもって、75万世帯への行軍を開始されたのです。

 それは本当の大確信なくしてはできない戦いでしょう。あの時代にあって、獄中闘争を耐え抜き、一人立たれたということが戸田先生の悟達の証明であり、それは末法にあって、大聖人様御出現以来の、まさに世界の民衆の夜明けともいうべき壮挙であったと私は思います。

 広宣流布の使命を帯びた創価学会という団体が、在家の信者を師匠として現れたということに、私は民衆を救うとの御本仏の大慈大悲を感じます。学会を仏意仏勅とも創価学会仏というのも決して誇張ではない。世界に広がった広宣流布の姿がそれを証明しています。僧侶が師匠では、やはり在家はどこまでもそれに跪(ひざまず)く立場を強いられたことでしょう。その意味でも宗門と袂(たもと)を分かったことは、学会の「発迹顕本」というべき慶事であったと思います。

 池田先生はスピーチで、経済苦の友を励まされる戸田先生のユーモアのある指導をひかれます。

「今にすぐに幸せになる!心配しなくてもいいよ。必ずなるんだから。仏に仕えた功徳は大きい。必要な時にはどっと功徳が出てくるんだ。ちょうど水道の蛇口のようなものだ。ふだんは余計なお金は使えないように、蛇口が閉まっている。(笑)必要な時にその蛇口をあければいいんだ。そういう功徳あふれる自分の生命に必ずなっていくんだよ」・・・

 物欲に溺れがちな私など、いつも蛇口が閉まっていますがそれでいいのです。(笑)

「この仏法はどんなことがあっても、最後は、幸せで幸せで困るような境涯になることが決まっているんだ。それがすぐによくなってしまったら、もう死ななければいけないことになる。(笑)若いうちにはうんと苦労した方がいい」

 戸田先生の大確信から迸(ほとばし)る指導にどれだけ多くの人が勇気づけられたでしょう。功徳が感じられない時もそれには意味がある。そこを耐えて朗らかに前進していく・・・その時の羅針盤になるのが師匠の励まし、指導です。師弟という「糸」で結ばれているから私たちは軌道を修正し、正しく「一生成仏」の道に入っていける。「糸」が切れれば自由のように見えるが、空の凧のようにやがて奈落へと落下してゆく。それが退転者の末路です。

 「先生がいなくなったら学会は空中分解する」、「幹部から腐って弱体化する」等々、周囲には好き勝手をいう輩がいます。しかし、私は一人の師子がいれば学会は壊れないだろうと思います。戦後の焼け野原に戸田先生が一人立たれたように、また戸田先生なき後、池田先生が一人立たれたように、仏法滅亡の時には必ずリーダーとなる本当の師子の一人が出現すると考えます。それこそ「羊千匹より獅子一匹」(注1)のたとえ通りです。

 学会の信心に大確信をもつ師子が、あの地域にもこの地域にもいる・・・それがこれからの学会発展の大きな礎となるでしょう。決して一部の幹部で決まらない・・・どこまでいっても無名の一人の偉大な「人間革命」が世界を変えるというのが仏法の方程式です。その人に日蓮大聖人の御生命は流れ通い、仏力法力をもって広宣流布を進展させていくのだと思います。

 我らの自行化他の精進は、九界の氷に冷え切った生命に、8月のまばゆい太陽を昇らせる「人間革命」の戦いです。
限りある人生をむなしく過ごすことなく、創価の信心で自他を明るく照らし、最高に価値ある人生にしていこう・・・私はその道を自ら「我が誉れの道」と決めて、また「私たちこそ御本仏直結の閻浮提第一の果報者」と確信して前進していきたいと思います。
 

(注1)牧口先生の言葉・「羊千匹より獅子一匹」・・・羊が千匹いても、一頭の獅子にはかなわない。獅子がくれば、羊はすぐに逃げてしまう。臆病な小善人が千人いるよりも、勇気ある大善人が一人いれば、大事を成就することができる。人材は数ではない。





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2018
01.17

君が一歩を踏み出せば・・・

Category: 信心


 先日は我が地区で座談会があり、インフルエンザなどもあって、参加者は少なかったのですが、その分、ゆっくり一人一人と対話することができました。私がいつも思うのは参加された方が信心の歓びを感じて、発心して帰っていかれたかということです。それは私も会合に参加した時に、歓喜がわかなければ、その会合は良くなかったと感じることが多いからにほかなりません。

 何人かの方の話を聞いて思ったことは、伸びている人、向上している人というのは、ポジティブ志向であるということです。これは信心していく上での絶対条件でしょう。「私には無理です」「何も話はありません」「他の方のほうがすごいです」といったような言葉を口にする人は、やはりそういう結果がついてくる。逆に「自分には無限の可能性があります」「こんな功徳があったのですが、話ししたいです」「必ず結果を出すと決意しています」と、前向きな人は、表情からして自ずと輝いていくものです。

 そのこともあり、私は周囲の遠慮がちな部員さんにも、「常に前向きにやろう」と声をかけます。会合でいつも後ろの方に隠れるように座る婦人部員さんがいる。私は椅子の位置を変えたりして、その人が前に座れるようにしてあげる。(笑)一歩前に出て、何か喋る・・・その勢いを出すことが、人間革命の扉を開ける。たったそれだけのことで人は変わる・・・・池田先生の言葉には「君が一歩を踏み出せば諸天善神も勇んで君と一緒に動き始めるのだ」とあります。勇気を出して一歩を踏み出すことがいかに大事か・・・そこに未来の幸福が輝いているのです。



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 私の地区では年間目標なども立てますが、折伏目標は毎年10世帯と書き込みます。30世帯の小さな地区で10世帯というと、「とても無理」と思うかもしれませんが、「ブロック1」と書くと、どこか小さな信心になる。勢いを出すことが大事です。そして祈っていきます。その結果、我が支部は今季、「ブロック1」をどこよりも早く達成しました。「祈りとして叶わざるなし」の御本尊をたもったのですから、できるだけ景気良くまた威勢よくやりたい・・・そのほうがずっと楽しいし面白いのです。

 私も今、仏前に50名以上の方のお名前を書き連ねて、折伏を祈っています。先日も、仕事場に置き薬屋のお兄さんが見えたので、健康や仕事の話などあれこれ聞きながら、悩みが信心で必ず解決できることを語っていきました。そしてその日からその方のお名前を書き足して、さらに仏縁が深まるようにと祈っています。

 戸田先生は折伏について次のように語られている。「学会員の中には口べただとか、気があまり良すぎるとかで折伏が苦手な人もいるが、本人が喜んで信仰しているならそれでいい。その人に「あなた!折伏しなくっちゃ駄目よ!」と言ったってしょうがない・・・ただその人を、本当に信心させるようにすればよい。「御本尊は本当にすばらしい」ということが、ちゃんとわかってくれば、自然に、その人は他の人に言う。それが、そのまま、折伏になるのだ」(大白蓮華1月号69P)

 「人間革命」していく上で、信心が楽しい、嬉しいということはとても大事な事なのです。それが30年信心して私がわかったことです。歓喜と感謝が出ない信心は見るからにつまらないしお寒い。それではいつか冬眠や退転のコースに入っていく。活動から遠ざかる人はみんなこの落とし穴に嵌(はま)っていくものです。

 感謝と歓喜の信心となるには、ポジティブに能動的にやるしかありません。私は行き詰まるたびに、あえて自分からそれまで以上の活動に勇んできました。そのため、年々生命力が強くなってきたと思っています。一人や二人、嫌いな幹部さんや部員さんがいたってへっちゃらです。怨嫉などで活動から身を引いたら大変損をします。

 「仏法対話が楽しい、折伏が何より好きだ、御本尊様がありがたい」そういう心の人は、表情も活気に満ちて、自ずと福運もついていく・・・これは仏法の絶対の法則であり、仏様のお約束です。わずかこの一生の信心で三世が決まるのです。今世の時間にも限りがあります。理屈をこねる前に、愚直に人の2倍、3倍と仏道修行に励もうというのが私の考えです。





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2018
01.13

我ら、春を呼ぶ人

Category: 信心
 
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 年明けから一段と寒さが厳しくなってきた。私だけでなく、多くの方が暖かな春の陽射しを待ち焦がれながら、寒さの中を頑張っておられることと思う。

 思えば「冬は必ず春となる」のであるから、この寒さも辛抱できる。春がくるかどうかわからなければ、人はもっと寒さをつらく感じることだろう。生きる上で「希望」ほど人を励ますものはない。

 信心していても必ず自分は幸福になるという確信があれば、不幸な宿業の最中にあっても、不幸に負けないものだ。妙法を信じた人がかならず幸福になることを仏様はご存知だ。ところが凡夫はそのことが信じられず、いつしか疑い道に迷う・・・

 身を切る寒さの中を、活動に配達にと勤しむ時、実はすでに未来の幸福は約束されている。仏法は「本因妙」であり「因果倶時」である。私はストイックでもマゾヒストでもないけれど、苦しさの中に歓喜を見いだせるということは、生きていく上で何よりも心強く頼もしい。それも仏法を信じるがゆえだと言える。


 さて今月も間もなく座談会が始まる。「新春座談会」と銘打って、信心の歓喜あふれる会合としたい。毎月の座談会に、私はハガキで地区の皆さんへの案内状を作る。ハガキの表裏を使い、日時・会場、地域の写真、御書や先生の指導など、またその時々の打ち出しや連絡事項、イラストなどを書き込む。それを印刷し部員さんに手渡し、参加を呼び掛ける。

 今月の案内には一月の本幹での先生のメッセージを載せることにした。

 「地涌の誓願に生き抜く人生ほど、強く尊く朗らかな人間革命の劇はありません。何かにすがるのでもない。誰かを頼るのでもない。自分自身が妙法の当体として師匠と共に誓い祈り、動き戦って、一つ一つ大願を成就するのです。自ら誓って躍り出た使命の国土に、楽土を築くのです。(中略)そして距離も時間も超え、「誓願」によって、師弟は永遠に不二なのであります。」(メッセージは同中でも紹介され、また8日付の新聞に出ている。)

 仏法は一人ひとりが妙法の当体として、御本尊と境智冥合を目指す中に幸福を開いていくものだ。御本尊とは我ら凡夫の生命だと説かれる。そしてその悟りは師匠とともに広宣流布を目指す、不二の誓願の大地の上に花開いていく。その陣列につながる歓喜で、私も仏法を行じる事ができるのだから、私は幸せ者である。

 「この道を行こう!」と一度決めたなら、始中終捨てずして貫かなければ、仏法の真髄に到達することなどできないと思う。途中でやめたなら、一切が水泡に帰してしまうのみならず、退転が堕地獄の因となってしまう。池田先生を見限り、学会を捨て去った人たちは、きっといつか後悔してもしきれないだろうと、悲しく思うのは私だけではないだろう。

 最後まで師弟の道を違(たが)えることなく戦って、「あの人は立派だった、負けなかった」と、そう言われる信念の人として、この一生を駆け抜けていこう。世の中広しといえど、不幸の底に沈んだ私に手を差し伸べ、本当に救ってくれたのは創価学会だけだ。忠犬でさえ主人の恩を忘れず、その帰りを待ち続ける。いわんや人と生まれて、仏法を教えてくれた創価学会を捨てたなら、それは犬にも劣る不知恩の人になってしまう。

 我らの煩悩・業・苦など暗夜の星々のようなものだ。朝に明るい太陽が昇れば、星が幾千あろうとも、余すところなく瞬時に消すことが出来る。それが妙法の偉大な力だ。学会とともに信心を貫いてその時をご覧ぜよ・・・そう確信しながら、寒さを吹き飛ばし、春の太陽を呼びに行く人となって、今日も活動に打って出たい。

 



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2018
01.05

大王の膳

Category: 徒然の記

 皆様、新年あけましておめでとうございます

 4日から聖教配達が開始され、気持も新たに出発したが、山も雪を抱き道も凍てており、車も足元も滑りがちの状況であった。悪路の上、今月は啓蒙も大変多く、新規の配達でミスが出たりと、初日は1時間半もかかってしまった。

 大変な配達をしんどいと愚痴にするか、それとも法のために尽くせるといよいよ歓喜を増すか・・・一念はまことに微妙だ。私も厳寒の配達を歓喜に変えて、無事故優先で走破していきたい。

 1日の新年勤行会には、94歳になる母を伴って参加した。母は少し足元がおぼつかないが、母を連れての勤行会もこれから先、そう何度も行けないかもしれない。この歳の母を新年勤行会に連れて行けるのだから、私は幸福と言わねばなるまい。父親が早逝であった分、母には少しでも長生きをしてほしい。



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 「正月の一日は日のはじめ月の始めとしのはじめ春の始め・此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく・日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく・とくもまさり人にもあいせられ候なり」 「十字御書」

 最近は新年がくると私はこの「十字御書」を拝する。仏前を清め、正月のお供えをし、清らかな心で御本尊様と新春を迎えられることは、何とありがたくうれしいことだろうか。

 「十字御書」の中には次なる一節もある。「我等が心の内に父をあなづり母ををろかにする人は地獄其の人の心の内に候」・・・

 私は「真言亡家」のままに親不孝ばかりしてきたので、この御文は身に沁みるし、耳にも痛い。(笑)それ故、今になって多少なりとも罪滅ぼしをしたいのかもしれない。2日から家内と子供が実家へ行ったこともあり、すき焼きやお刺身など母の好物を揃え、久々二人で正月を過ごした。私は一人暮らしが長かったこともあり、調理や皿洗いはお手の物だ。(笑)

 幸福になるための要素として親孝行ということはとても大事なことだと思う。池田先生も親孝行ということを本当によく指導される。また世の中で何かを成す人はたいてい親孝行者だ。スポーツをやる高校生でも勝利の後に、「誰に報告したいですか?」と問われ、「ここまで育ててくれたお母さんに」などと答えるのを見ると、それだけで「うーん、なんて素晴らしい」と感心させられる。私は自分の不幸を省みた時、「嗚呼、俺のような不孝者ではそう簡単に幸福などになれるものではない」とよく思ったものだ。

 そんな私があそこを治し、ここも治しと歴劫修行などやった日にはとても今世で間に合わない・・・仏法は「親不孝の地獄界」を「貧しき餓鬼界」を即座に「心豊かな菩薩界・仏界」へと開くことが出来る信心だ。その上、我が身が仏になれば、目連尊者の如く餓鬼界の母を救い仏に成すこともできる。親不孝者にとってはこの信心以外に、もはや選択の余地はない。(笑)
 
 私が信心で受ける功徳は、父母も同時に受けると説かれる。信心に励み功徳を積めば、両親の罪障消滅も叶えてあげることが出来る。親の根本的な苦を抜いてあげられるのだから、それに勝る親孝行があるだろうか?「大聖人様、私が受ける功徳は余すところなく、父母にも譲り給え」と、愚か者の息子は日々祈っている。

 お陰で大変穏やかな正月で、こちらも唱題をしては仏法の本を読み、また唱題しては昼寝をしたりと、(笑)ゆっくりと体を休めることができた。さほど見たいテレビもなし、お酒も美味しくなくなった・・・御本尊様と池田先生の本と、お茶とみかんでもあれば、それはわたしにとって「大王の膳」となる。その「大王の膳」を前にして私の三が日はゆるゆると過ぎていった。

 いよいよ今日から組織での会合も始まり、私は地区代表で決意発表をさせてもらう。今日からギアを切り替え、「栄光の年」の学会活動へと朗らかに出発していこう!

 それでは皆様にとって、信心倍増の善き一年となりますように・・・
本年もどうぞよろしくお願い致します。






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