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2018
02.25

更賜寿命(きょうしじゅみょう」の信心

Category: 信心
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 私もまた仏様から見れば「病子」であり、なんとしても今世のうちに法華誹謗の罪を消して真人間になりたいと、それは本心から思います。そんな私も、過去に十万億の仏を供養した功徳があり、この法華経をたもつことができたのですから、そんなことすっかり忘れるぐらいに生命の因果というものは奥深いものです。

 信心したての頃は生命力も弱いし、木でいえば苗木のようなものですから大きな難は出ませんが、信心を長年やってくるとそれなりに強いものが襲ってきます。
 御聖訓にも
「各々、随分に法華経を信じられつる・ゆえに過去の重罪をせめいだし給いて候」
(兄弟抄1083P)とあります。

 2月度の御書講義、「法華証明抄」では、南条時光殿の病について「殿はいよいよ仏に成ると見えるので、天魔外道が病をつけて脅すのでしょう」と言われています。この時、南条殿は24歳。その後、重病を乗り越え、74歳まで50年も寿命を延ばされます。法華経はまさに「健康長寿」であり「更賜寿命(きょうしじゅみょう」の信心ですね。

  池田先生も30歳までもつかと言われた命を、90歳と今なお60年も寿命を延ばされています。それも激闘の人生であり、今世の疲れを取っていただくためにも、今はご自由に悠々お過ごしいただければと思います。それを「表に出てこないのはおかしい」とか言う人を見ると、この上、何を先生にさせたいのかと呆れます。あとは後継の人が団結してやっていけばよいことです。

 私も40代半ばで「腎臓がん」を患いました。不思議と自分はこの病では死なないだろうという思いで、手術に臨むことができました。この世で果たす使命がまだある・・・そう思っていたからかもしれません。術後15年経過し、再発もなく元気でやっております。病ある人仏になるべきよしとかれて候妙心尼御返事1480P)との御文に意を強くするものです。

 戸田先生は「人生に病気がなければおもしろくありません。法華経には、仏も病気になることが説かれています。」と・・・そして天台の釈をひかれ「衆生を救うには、仏自身も病気をもっていないとつきあいにくいからです。」と言われています。「願兼於業」の原理ともいえますが、その宿命・宿業を使命に変えてやっていくのが地涌の菩薩である創価学会員の本領です。

  凡夫ですので難にあうとやはり怖気づき不安にもなりますね。私も「もう駄目か」というところを薄氷を踏む思いでしのぐことがあります。それでも万策尽きると腹が決まる・・・「やっぱり信心しかない・・・」(笑) そうして背水の陣で信心に打って出る時、わが身に不思議な力が湧いてきます。

 そして「信心だけあれば大丈夫なのだ」と不安よりも自信が勝ってくる。そうやって宿命を打開した体験が、聖教新聞には毎日のように掲載されているのですからすごいことです。

 「今の学会には功徳がない」などという人は、それらの体験を否定する人であり、ひいては仏様を否定する人です。現証ほど理論を立証するものはありません。その意味で功徳の体験が、また世界広布の進展が学会の正しさを証明しています。

 最近は御書の拝読が楽しみです。時間を見つけて一行でも一節でも、命に刻みたい・・・ある時は山深い身延、ある時は極寒の佐渡の大聖人様をお慕い申し上げながら、大聖人様と対話させていただく思いで拝読しています。
  
「しをのひると みつと 月の出づると いると 夏と秋と冬と春とのさかひには 必ず相違する事あり 凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば 賢者はよろこび愚者は退くこれなり」
(兵衛志殿御返事)
 
 難が来た時が成仏できるかどうかの分かれ目です。「三障四魔」が出た時に、けっして退くような愚者にはならないようにありたいものです。今日は私も地域の皆さんと一緒に「法華証明抄」を研鑽します。みんなで寄り合って御書を学ぶ・・本当に素晴らしい集いです。「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」 (寺泊御書951P)・・・学会の集いは御聖訓通りです。

 信心は煩悩・業・苦が充満したこの身を大歓喜の仏の生命へと一大転換しゆく戦いです。私も「鬼神めらめ!」と𠮟咤できる強い信心でがんばってまいります。



<最近は写真を撮ることが少なく、時折、再掲しますがよろしくお願いします。>

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2018
02.16

求道の人へのお手紙

Category: 信心
 

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 小説「新・人間革命」がいよいよ佳境に入り、連日、先生の遺言のごとき鋭い指導、邪宗門に対する正義の師子吼が綴られています。多くの同志の方が日々楽しみに、また真剣に読み学んでおられることと思います。私も時には目の前に先生がおられ、一対一で指導をしていただく思いで拝読に挑むようにしています。

 真剣に戦っている人、また求道の人には、先生の言葉が命に刺さってくるのではないでしょうか?反面、戦わない人、求道心のない人にはただの文字にしか見えないことでしょう。同じ水であっても天人は甘露に、餓鬼は火と見る・・・まさにこちらの心次第というものです。

 この小説は先生から「求道の人」に毎日届けられるお手紙であり、それは信心の「血脈」のように、会員の心に流れ通って、命を潤し耕しゆくものだと思います。どれほど多くの人がこの小説に勇気をもらい発心をし、蘇生されたことでしょう。

 30巻の上下をもって、完結するとの予告ですが、私も今一度、この小説を一から読み直さねばと考えています。もっと真剣に研さんしておけばよかったと、今頃、反省の心も起きている私です。

 例えば2月8日付の「新・人間革命」には次のようにあります。

「広宣流布を進めていくうえで最優先すべきは、皆が呼吸を合わせていくことであるといっても過言ではない。学会が未曽有の大発展を遂げたのも、御本尊の仏力、法力によるのは当然として、皆が信心を根本に呼吸を合わせ、それぞれの地域の広宣流布に邁進してくださったからにほかなりません。」

 学会にはいろんな方がおられ、桜梅桃李で自分らしく輝いていくべきですが、広宣流布という大目的に向かっては心を一つにするべきとの指導です。意見がある時は皆でよく話し合い、理解を得ていくことが大事です。それを一人蚊帳(かや)の外に出て、学会を否定するような「己疑」や「我見」をいうだけでは、やがて同志を迷わし、その人自体、「異体同心」の団結から落ちてしまいます。それではその人もかわいそうです。

さらに小説では戸田先生の言葉をひかれます。

「よく戸田先生は、言っておられた。『信心のうえで呼吸が合わない人は、必ず落後していく』と。こころすべき指導です。」
と結ばれています。
 
 先生とまた同志と呼吸を合わせることがどれほど大事か・・・私も自分勝手な時期も長くありましたので、「信心のうえで呼吸の合わない人は、必ず落後していく」との指導は胸に刺さりました。

 純粋に学会を信じて活動に励む人は、決して愚かでも盲目でもないと私は思います。信仰である以上、初信であっても信をもって入るのは当然ですし、教学を学ぶのはその信をさらに高めるためです。逆に理を知って創価に反旗を翻すようなことになれば、それこそ本末転倒であり愚者の道を行くことなります。「自分は仏法をよくわかっている」「理論では負けない」などという人ほど危ないことは、これまでの退転者を見ればよくわかることだと思います。

 尊き同志の方々と呼吸を合わせ自分も「異体同心」の一人になる時、、そこに池田先生を通じて流れ来る創価学会の功徳を受けきることができます。生命には歓喜と感謝の思いが充満していきます。その「師弟不二」の軌道から決して外れてはならない、「我見」で道を過(あやま)ってはいけない・・・私もよくよく心し、地域の同志の皆様とのスクラムを第一に、これからもやっていきたいと決意しています。





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2018
02.05

一人の青年が命を捨てれば・・・

Category: 信心
 
 まもなく2月の本幹同中が始まりますが、今回は2月4日の関西総会がその舞台です。我が支部も折伏の結果をもって総会を迎えました。私は関西総会に参加はできませんでしたが、その前日に神戸で開催された「関西ワールド総会」に参加しました。

 アメリカのメンバーが20名ほど参加し、地元同志の大歓迎の中の会合となりました。海外メンバーとともに勤行をしましたが、世界広布が現実のものとなっていく姿に、私も最初の題目三唱から感極まってしまい・・・涙をぬぐいながらの勤行となりました。(笑)

「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(諸法実相抄P1360)その御聖訓通りであります。世界192か国の人々の口に妙法が、盛んに唱えられる時代が来たのです。それを現実のものとしたのが、創価学会とSGIの運動です。日蓮大聖人様のお喜びはいかほどか・・・そこに絶大なる功徳があることは確かなことでしょう。



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 創価を批判する人は多けれど、世界広布をなせる人はなし・・・これが事実であり、現実です。いくら宗門がやっきになって創価を悪口しても、世界広布の姿はない・・・やはり民衆の異体同心のうねりがなければ始まりません。その民衆を見下げ、純真な信徒を迫害し破門した悪僧たちに、御本仏のお怒りはどれほどのものか・・・・凡夫の智慧をもってしては到底量れないのではと思います。

 戸田先生は言われています。
「広宣流布は、一人の青年が命を捨てれば必ずできる」と。それに対し池田先生は「戸田門下生の中で、私がその『一人の青年』になった。だからこそ世界的な創価学会をつくり上げた。」
と、堂々宣言されています。(大白蓮華2月号P11 )

 この法華経に命を捧げ切った三代の師匠がいたから、広宣流布はここまで進展した。本物の師子が一人ならず三人も出現したのですから、広宣流布は現実のものとなったのです。

 牧口先生が「謗法厳誡」を貫き刑務所に収監された時、難を恐れて神札を受けた宗門は、その時点で謗法です。宗門側が何を言おうと事実は厳然です。私も法華講員と対峙したことがありますが、これを問い詰めると、さすがに言葉に窮したものです。あの出来事に今日の果としての因があったに違いありません。

 池田先生はかつてご自身の未来を、「七十歳まで・・・新しき人間主義の哲理を確立」  「八十歳まで・・・世界広布の基盤完成なる哉(かな)」と申され、このあとは妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する・・と述べられました。(大白蓮華1月号P11)

  今、世界に発展する創価学会の隆盛の姿、それに合わせた「宗門との決別」「広布大誓堂建設」「勤行の変更」「会則の改正」など、次々と断行された諸改革も、すべて先生の御構想のうちであり、世界宗教、世界広布へ飛翔するため、先生の言葉通り基盤が完成したと見るべきです。ここまでしていただいたのですから、あとはひとえに後継の弟子達の戦いです。

 私も今、個人折伏があと一歩のところへと来ています。こちらの一念が勝つか相手の不信が勝つか、仏と魔の最後のせめぎあい・・・必ず、その方の入会を勝ち取る決意です。

 発展しゆく世界宗教たる創価学会に呼吸を合わせる時、狭い日本から心は一段と大きく翼を広げゆく思いがします。
「空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(千日尼御前御返事1310P) その心意気で勇敢に2月の闘争へと挑んでいきたいと思います。





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