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2018
06.23

S君の入会

Category: 徒然の記

 創価学会では6月17日の日曜日に、全国で一斉に教学任用試験が行われました。近年は未入会の方の受験も多くなり、任用試験に挑戦することにより、自然と日蓮仏法や創価学会の信心について学ぶ人も増えました。ふだんの折伏や仏法対話ではここまで教学的な話はしませんので、これは「理」から仏法を知りたいという人には、うってつけの良い機会です。

 私も今回、6名の方の受験をお世話することになり、毎回一時間半の勉強会を6回にわたり担当させていただきました。未入会の方が2名おられ、上は70代から下は10代の高校生まで、我が家の仏間で額を寄せ合っての勉強会となりました。

 そんな中、前の記事で書きました未入会の高校生S君も、最後まで休むことなく勉強会に参加。この勉強会を通じ、私も彼を入会に導きたいと思っていたこともあり、なんとしても彼の仏性を呼び覚ましたい・・・その一念で面倒を見させてもらいました。



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 試験当日、S君ともう一人別の婦人の方を送迎。会館へ向かう車中、あれこれ予想問題をやっていた二人でしたが、S君に「どうや、この機会に学会に入会しようや」と話をしますと「うーん、どうしようかなあ・・・」との返事。

 ちょうどその日は任用試験終了後に別の高校生が入会勤行会を受けると聞いていましたので、私も最後のひと押しと腹を決め、再度、「さあ学会に入ろう!」と言いましたら、「ハイ、いいですよ」と今度は素直な返事・・・・私も「やったあ!」との思いでしたが、そこは冷静を装いつつ(笑)、「そうか、それでいい、良かった良かった。」と応じました。

 会館ではその報告を圏長はじめ男子部のみんなも喜んでくれ、すぐに入会の手続き。任用試験を30分で出てきた高校生二人を中心に、圏長の導師で速攻で入会勤行会となりました。

 本部の正副婦人部長、支部婦人部長などもお祝いに駆けつけ、入会決意から2時間後の入会です。その間、あわただしい我々とは別に、終始、物おじせず涼やかな顔のS君・・・「この子なら大丈夫や」と、私は思いました。

 最後に圏長があいさつに立ち、「君は大学行くんかな?そうか就職か?・・・いずれ君らも経験するからおっちゃん言うけど、社会に出たら、挫折挫折の連続や。これはほんまや。なんでうまいこといかんのやいうことばっかりや。そやけどこの信心してたら、絶対に負けへん。あとになったら苦しかったことがすーと楽になって良かったなあと思えるようになる。みんな頑張らんでええ、遊びたいときは遊んでもええ。その代わり学会から離れたらあかんよ。今日はほんとにおめでとう!」・・・まあうちの圏長は大らかな苦労人。いつもこんな調子で、高校生二人も笑っておりました。

 今回、S君を任用試験に誘いましたが、試験を受けてもいいと彼が言った時から、私はS君が入会への道を歩き始めたことを感じていました。それが本当に入会が現実のものとなり、私もS君の仏縁の深さに改めて感動しています。任用試験で日蓮仏法を学んだことによって、17歳で法華経の門をくぐり入会を果たす・・・これはまことに順縁の入会ですね。

 もちろん私も相手によっては、20年来対話しても、学会を信じようともしない人が何人もいます。先日も誠意も虚しく、辛らつに悪口されて帰ってきました。それも折伏であり、下種に変わりはありません。悲観することなくやっていれば、S君のような子にも出会えます。

 御本尊様との仏縁は人それぞれです。どの人にも深いドラマ、因縁があり、実に不思議なものです。そうした様々な人の人生にかかわって、幸福へのお手伝いをできることは、私の最も喜びとするところです。

 7.17を目指し、支部ではブロック2の弘教をすでに突破、本部ではあと4世帯で目標を達成です。私もさらなる折伏の戦いをもって、地域の先頭を走ってまいります。





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2018
06.14

メダカと衆生所遊楽

Category: 徒然の記

 我が家では長年、古い火鉢や丹波焼の甕などに白メダカや赤メダカを飼って楽しんでいます。メダカがのんびりと泳いでいるのを眺めていると、どこか心も涼やかに癒され、目の保養にもなります。世話とお金がかからないことも、私の家庭向きです。

 先日もしばし眺めていますと 「メダカだってこの世に遊びに来ているんだ」と、そんな思いが心に浮かびました。それと同時に「遊ぶ」と言う感覚が、最近の自分には少し欠けていると思えたのです。何かと目まぐるしい日々を過ごしていると、どこか追い立てられて生きる癖がついている・・・「もっとゆっくり楽しもうよ」と、珍しくその瞬間、思ったものです。

 仏法にはどなたもご存知のように「衆生所遊楽」との言葉があります。 法華経寿量品の自我(じがげ)には、皆さん毎日読誦されている、「園林諸堂閣(おんりんしょどうかく) 種種宝荘厳(しゅじゅほうしょうごん) 宝樹多花菓(ほうじゅたけか) 衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)」と何ともリズミカルで楽しい言葉が連なって出てきます。


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 戸田先生はこの経文について、「人間は楽しむためにこの世に生まれてきたのです。苦しむため に生まれてきたのではないのです。これが法華経の人生観の根 本です。 (中略)なんだかんだ、嫌なことがあっても、お汁粉に少々、塩が入ってかえ っておいしくなるみたいに、面白く感じる。 人生に愉快を感じる。 こういう大生命力になりますよ、という経文です」と。

 「法華経の人生観の根本」が「楽しむ」とはうれしいではありませんか。これが「苦行」なんて説かれたら、私など撃沈です。(笑)おまけに日本人はどこか苦しみに耐えることがいいことであるような精神風土で、笑って楽しむことを軽薄に思う風潮が強いですね。
 
 いつも文句や愚痴が先に立って、人を批判したくなるようでは、その人自体、魅力がないと思います。人を素晴らしいと思えるようになれば、自然と楽しいし、相手を生かしてあげることができる。そうなることが「人間革命」だと思います。人間革命することが本当の「楽」であり、日々の学会活動こそが私にとってその源泉です。

 私も数年前まで、「組織は面白くない」とか「あの人はダメだ」・・・とか、偉そうにそんなことばかり思っていました。そんなことをやっていれば、「還著於本人」でそのうち自分が腐ってくる・・・(笑)それでは法華経の心に反します。そんな自分は生命があたかも塩でできた饅頭のようで、きっと人からも好かれない。

 それが信心に励むにつれ、ある時から程よい甘さの饅頭に変じていく・・・人が見て「うまそうだな、どれ一つ食べてみよう」となれば、それが福運でしょう。商売をやっても勤め人でも人に愛されなければ、繁盛も出世もできません。そして自分が愉快で楽しければ誰しも生き生きとしてくる。私などまだまだしょっぱい方なので、いよいよこれから信心に励もうと思います。

 法華経の信心は大いにその人の個性を伸ばし、朗らかに伸び伸びとした方向に向かわせるものではないでしょうか?その中で人は輝き成長していくに違いありません。「自分を信じてやりたいようにやってごらんよ」と言ってあげれば、人は思いもかけない力を発揮し、未知なる世界の扉を開けることができます。そこに個性の花開く「衆生所遊楽」への道があると私は信じます。

 煩悩は多いけれどやっぱりメダカに生まれるよりは人界に生まれ出て、この仏法に出会う方が数万倍いいに違いありません。我が家のメダカの命もいつの日か人界に出て、仏法をたもつ日が来るでしょうか?「メダカさん、この世を楽しむんだよ」とそんな思いで私は今日もメダカを眺めています。




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※「所遊楽」の文字が一部で「所有楽」になっており、訂正いたしました。(6.14)
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2018
06.02

妙法の種蒔(ま)く人

Category: 信心

 少し前に、「折伏応援記」という記事を書いた。その後、相手のHさんはお題目を唱えていかれることになったのだが、もう少し学会を見たいということだったので、5月の座談会へとお誘いさせていただいた。

 実はHさんには持病があり、心臓に時折、発作が出る。そのため遠い私たちの地区まで来るのが不安ということで、地元の方に急きょ配慮いただき、そちらの座談会に入らせてもらうことになった。諸天と言うのは、肝心な時には迅速に動いてくれるものである。

 Hさんは病や生活のことなど、その座談会の中で本当に真摯に自分のことを飾らずに語られた。また多くの同志の励ましや応援にも感謝を述べられ、座談会後に進んで入会を決意されたのである。男子部のN君の一念、座談会に快く招いてくださった地元の皆さん、また支部拠点で入会を祈り続けてくださった同志の皆さん・・・そうした全員の心が一つになった結果だとうれしく思う。


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 我ら創価家族は「種を蒔(ま)く人」である。妙法という、最極の「幸福の種」を「平和の種」を蒔いて、蒔いて、蒔き広げていくのである。(中略)泥沼の如き濁世に、この種を忍耐強く蒔き続け、幸と平和の花園を創るのが、広宣流布といってよい。(大白蓮華6月号池田先生の巻頭言より)


 一人の人を妙法に導く功徳は計り知れない。仮に相手が入会しなくても功徳は同じだと説かれる。仏法を語ること自体、「声仏事を為す」である。私も悔いを残さないように、この種を蒔いて蒔いて蒔ききって、この世を去っていこうと決意している。

 組織の中で多くの同志と心を合わせて信心するから、広宣流布も可能になるのだと思う。一人では独善とわがままに陥るというのが私のやってみた体験だ。同志と力を合わせ(異体同心)、師弟の道に徹して(師弟不二)いくなら、こうやって一歩一歩着実に実証をあげていくことができる。その意味でこの二つの法理が、「広宣流布」と「人間革命」の必須の条件だと思う。

 その軌道に乗って信心するなら、対話の相手は次々と現れる。私も今朝、聖教配達の時に村の人と話ができ、6月の同中にともに行く約束をした。また先日は、以前、花の写真を撮らせていただいた老夫婦のお宅を訪問・・・大白蓮華、聖教PR版などを贈呈し、和やかに仏法対話をすることができた。任用試験の勉強を通じ、未入会の高校生にも今、一生懸命仏法を語っている。「あの人にもこの人にも下種したい」と、私の心はいよいよ折伏の使命を果たす時がきたと弾む。

 Hさんと共に参加した座談会ではSTB「人生の金メダル-幸せはあなたの心の中に-」を視聴した。全国津々浦々、多くの方がご覧になり、感動が広がったと想像する。その中にあった坂本さんという女性の体験は、まさに引きこもりの地獄からお題目で仏界を湧現し、友人に歓喜の対話、何人もの友を入会に導き、そして見事に自身の10年に及ぶ難病から蘇生されたというものだった。

 私たちは業が深いとか、自分はダメだとかよく口にするが、それは爾前の諦観や無常観のようなものではないだろうか?日蓮大聖人の仏法に来り題目を唱えゆくなら、それらの宿業もたちどころに歓喜の生命へと転換できる・・・宿業の浅深で幸不幸が決まるのではなく、信心の厚薄で決まるのだと。それがわかればなんと頼もしい仏法か?「鬼に金棒」とはこのことだと説かれている。

 わが身の宿業が出れば信心の火をいよいよ盛んにし、苦難にあってはそれを肥やしとして幸福の新芽を出だしゆく・・・私も多くの同志の皆さんと歓喜の題目を唱えぬいて、創価の大道を溌剌と前進していきたいと念じる日々である。




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