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2019
04.17

荒波を越えて「人間王者」に

Category: 未分類


  桜の花もその短い命を終え、はや散る頃となりました。時の経つのは早いもので、もう四月も後半です。統一地方選では大阪で維新の台頭が際立ちましたが、自公での安定した政治運営がこれまで国を安定させてきたことも事実だと思います。所詮、この世界にあっては創価学会や公明党をよく言う人も少ないものです。こちらのすべてがいいということではありませんが、いつ何時、大きな試練がやってこようと、一人一人が広宣流布の松明(たいまつ)を掲げ、そのもとに一致団結して前進していきたいものです。



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 法戦のさなかですが、先日はわが支部の男子部のN君に誘われ、彼の友人宅に激励訪問に行ってきました。友人は昨年、N君の折伏で入会をしたのですが、体に障害があり、今もベッドでの生活です。訪問している間、未入会のお母さんが、心配そうにずっとそばにおられ、信心の話もしづらかったのですが、私のほうから思い切って、学会について話させてもらいました。

 「息子さんの社会復帰まではまだ時間がかかると思いますが、僕らも応援していきます。」と言うと「本当によろしくお願いします。」と言われ、終始、和やかに対話をすることができました。また生活面においても当初、地元の公明議員に動いてもらったこともあり感謝を述べておられました。息子さんへの愛情の深さがこちらにもひしひしと伝わり、「いいお母さんやなあ」と帰りの車中でもN君と語り合い、私も「お母さんの入会を祈っていくぞ」と決意しました。やはり仏法対話はいつでも清々しく楽しいものです。

 信心をしていますと多くの方の悩みに接する機会があります。どなたも悩みのない人はいない・・・結局はそれに負けるか勝つかではないかと思います。お金の悩み、健康の悩み、仕事の悩み、家族の悩み・・・本当にこの世の中、煩悩の砂漠を旅して生きるようなものです。

 私も解決しなければならない大きな悩みを抱えています。それでも前に比べ、その悩みで落ち込むことはなくなりました。なぜならいかなる悩みにも負けない、その煩悩を菩提に変えていける信心があるからです。どんな悩みが来ても波乗りのように悠々と越えていける・・・・その確信があれば、プロのサーファーが大波を待ち受けるように、「さあこい!」「よし、来たか!」と逃げないで受け止めることができます。

 その意味で、信心を長年、地道にやってきた人というのは、「人生の達人」になっていくのではないでしょうか?聖教紙上にもそういういぶし銀の光を放つ、壮年、婦人の方が登場されます。万の荒波を乗り越えつつ、生命の太陽を輝かせていく生き方こそ、「人間王者」の生き方だと思います。

 「悩みがないから幸福なのではなく、悩みがあるからこそ私は幸福だ」・・・信心があればそう言えるようになります。悩みは自分を成長させてくれる肥やしであり、自分の生命の仏界を呼び覚ます起爆剤となるものです。「悩みがある,、ありがたいな。この悩みをもって私は仏になろう!」と感謝、決意できれば、勝利はすでにこちらのものではないでしょうか。そう思えるのが信心の力であり、功徳だと思います。

 難しい教学は知らなくとも、そんな「煩悩即菩提」が身で読めれば、信者として立派な人だと思います。そうなるためにも強き信で戦うしかありません。生命に太陽が昇るまで、あるいは信心の火が煩悩の衆草を焼き始めるまで、決して信心を諦めたり、緩めたりしてはならないと思います。

 昨夜も同志の皆さんと元気に唱題に励みました。地区のどなたも最後まで落ちないようにと祈りながら、5.3の創立記念日に向かい、さらに戦いの駒を進めていきたいと思います。

 





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2019
04.02

我ら命の青年桜

Category: 徒然の記


 当地でも桜の花が開花の時を迎えました。私もおじさんですが心が春めいて気持ちも華やぎます。(笑)信心や生活も毎日が平凡なことの繰り返しですが、その中でも季節が変わるように節目というのはどなたにも訪れるものですね。

 年を重ねても生命は若返ることができる・・・それが信心する者の強みです。先日、私も20年ぶりにある友人に電話をしましたが、「声にハリがあって、元気ですね」と言われました。「信心してると元気になるんですよ。生きる力が湧いてきますよ。」と私も素直に答えました。




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 入会して長年、芽も出ず、日も当たらず、もがき苦しんできた私ですが、近年になり、新芽が土をけ破って地上に出てきたように、心にも明るい光が降り注ぎます。「御本尊は私を見捨てなかった。これからは妙法だけで生きるのだ。ほかの智慧はなくて大丈夫。」と、心中、安心できるのです。

 入会してから30数年も経つわけですが、その間、陽の当たらない土の中深く、枯れ尽きた生命の根に題目を沁みこませ、陰徳を根気よく積んできたゆえに、ようやく春がやってきたのでしょうか?長い冬の間、あまりいいことがなくても、なんとか耐え忍び、信心から逃げなかった・・・派手さはなくても一生成仏のためにはそういうことが大事ですね。

 世間で言う金儲けには縁がありませんでしたが、信心の財宝をいくらかでも得ることができたと思います。これは来世はもちろん三世永遠に持っていくことができる・・・今世の貧乏や病気など、それに比すれば物の数ではありません。

 根っこが蘇生すれば、必ず地上に芽が出て若木となり、いつしか大樹にもなることでしょう。凡夫ですから、すぐに花も実もほしいのですが、やはり物事には順序と道理があります。「途中はいろんなことがあっても、最後に勝利しなさい」との先生の指導はまことに意味のある深いお言葉です。

 三世永遠から見れば今世は一瞬です。信心を頑張れば仏の生命となって生々世々生きていけます。それゆえ魔王もここぞとばかりに襲ってくるのでしょう。強い信心に立てばなおさらですね。信心する人に苦難や宿業が強く出るのも、これまた道理であり、深い意味があるものです。

 学会に不信をなす人、退転しゆく人は、そこの辛抱が足らず、信心を投げ出してしまう人ではありませんか?その時に退転の言い訳けを決まって人のせいにする。決して自分の不信のせいだとは言わないものです。不信の命に誑(たぶら)かされた自分がわからないのですから、誰かのせいにしないと立場がないのでしょう。

「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」(御書1536p)
「諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(同236p)
「法華経を信じる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(同1253p)・・・私たちが幸福になることは大聖人様が随所に御断言です。確信弱き同志の方には、常に御書を通して励ましを送っていきたいものです。

 昨夜もまた婦人部の方数名と唱題に励みました。唱題の後にある方が「もうどこそこの桜は咲いたかな?」と言われたので、私は、「眼の前にもたくさん桜が咲いていますが」と言いましたら、「いやあ、姥桜と葉桜ばっかりやわ」と笑われました。
 
 姿は老いても、心は青年で生きていく・・・「年は、わかうなり福はかさなり候べし」(御書1135p)といきたいものですね。

 「姥桜 いいえあなたは 妙法の 青年桜と 見えて候 」(剣)

 さあ、大宇宙の法味に浴しながら、時には生命の歓喜を謳う春の花々と語り合いながら、張り切って前進していきたいと思います。





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