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2019
07.25

法戦を終えて

Category: 徒然の記


 多くの同志の皆様、法戦大勝利おめでとうございます。兵庫は苦しい選挙戦でしたが、激戦に勝利することができました。地元をはじめとする全国同志の団結の勝利だと思います。「兵庫を勝たそう!」という支援を全国各地から頂きました。その意味で兵庫の勝利は創価同志全員の勝利だと思います。

 また今日よりは気持ちを切り替え、勝って奢らず・・・兜の緒を締めて、次なる峰に向かって歩を進めたいと思います。



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 選挙当日、私も諸天の加護を感じながら走っておりました。早朝から「Tさん入れたよ!」「投票、行ってきたよ」と外の方からいつになく連絡をいただいたり、また普段は話がうまく通じない障碍者の方が、喜んで選挙に行くと言ってくださったり・・・すべてがスムーズにうまくいきますので、「今日は勝てるぞ」との確信を持って回っていました。婦人部の方とも連携を取り、皆さん連れ出しによく動いていただきました。結果、全体の投票率が下がる中、前回よりもわが町は得票数を伸ばし、候補も当落線上から2位当選・・・県内では歓喜が爆発しました。

  一人一人、自身の宿命転換を賭けての戦いです。広宣流布のために、健気に戦った人には必ず功徳があります。私も動くほどに、生命に勢いが出て、これまで会えなかった人ともたくさん対話できました。そして大きな功徳をいただきました。戦い終えて、今、私が一番感じることは先生と共に、先生の下で戦うことほど誇らしくまた楽しいことはないということです。終わったばかりですが、早く次の戦いがやりたい・・・と、そんな前のめりの心境でもあります。

 翌日、聖教新聞を配達しながら、「池田先生、兵庫は勝ちました。」と心の中で叫んでいました。これからは、行くところ行くところ連戦連勝でいくのだ!との思いが湧いてきます。途中、出会った外の婦人も(前回の記事で四国の婦人達を案内した地元の方です。)「良かったねえ。私も心配で、あれから2回も友人のところに頼みにいったのよ」と言われたので、「あなたはもう学会員以上ですよ。これを機会に入会しましょう!」と言いますと「いや、それはまだあかんねん!」(笑)・・・しかしその顔は学会の勝利を我が事のように喜んでくださっていました。

 学会の題目の力はいざという時に諸天を動かすことができる・・・兵庫中の題目で諸天が大いに動いた法戦でした。時には魔民さえも仏の応援に回ります。K市では立憲の党員である市長が、公明市議の日ごろの市政への貢献に感動し、「今回はTさんを応援します」といって、公明支援に大きく動いてくださったとの話も聞きました。

 仏の生命とは、三世永遠に師匠とともに戦いゆく生命です。今世だけではない・・・来世も、次も、またその次も、永遠に師匠と共に広宣流布に戦うことを決意した生命です。その心で自身の生命を固めることができれば、死も恐れなく来世に旅立てる。また明るい未来を三世に開いていくことができる・・・そういう安心と確信の生命へと変革していくのですからすごいことです。信心に反対する人は、その徳をもらうことができない・・・これは同じ人に生まれ、大きな損だろうと思います。

 ともあれ冥の照覧は絶対です。人の眼につかなくとも、足で歩き、口で語り、広布に貢献した人の功徳は絶大であります。私が言わずとも、戦った人はみんな功徳を受けられることでしょう。

 さあ、白馬がパッパッと駆けゆくように、大宇宙に信強き題目の音声を轟かせ、いよいよの思いで後半戦のスタートを切っていきたいと思います。

 

 
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2019
07.09

土佐は高知の善き婦人

Category: 未分類

 今回、兵庫の法戦は厳しい戦いとなっていますが、そのこともあり全国から多くの方が支援に入ってきてくださっています。地元出身の方であったり、かつてこちらで働いていた方など、私の田舎にも遠く、九州や関東から縁故を訪ねてきてくださいました。

 そんな中、先日も高知から電車やバスを乗り継ぎ、外部の友人の方の案内で、私の地元にこられた3人の婦人がおられます。案内された友人の方とともに、昔、この田舎で一緒に働いた仕事仲間だそうです。その案内役の方と私が知り合いだったもので、「ここも学会さんやで」と私の家へと案内され連れてこられました。



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 突然の来訪で、私も草刈り作業で外にいたもので、その場で立ち話するのが精一杯でした。地元の学会員に出会ってうれしかったのか、皆さん饒舌で大いに話が弾みました。3人ともご高齢ですが大変お元気で、ある婦人からは、「私は信心60年です。高知に来て私の名前を言ってくださればすぐにわかります。○○国会議員ともお茶を飲む間柄です。高知に来たらぜひ訪ねてください。」と熱く言われました。

 見知らぬ学会員同士であっても、生命の奥底で結ばれているものです。出会った瞬間に妙法の縁が薫発し、そこに忽然と道が現れるがごとく、心と心が通い合います。私もその時は、長靴に野良着、麦わら帽子といういで立ちでしたが、(笑) 何の衒(てら)いもなくすぐさま意気投合しました。時間があれば、信心60年の山あり谷ありの歩みを聞かせていただきたいと思ったほどです。これはいつか高知へと車を走らせなければなりませんね。(笑)

 妙法では「異体同心」と説かれます。同心であればすぐに心は溶け合います。距離も時間も地位も年齢も関係ない・・・家族のように相手のことを思いあえます。同じ学会で広宣流布を目指し、師弟の道で「妙法」を唱えている連帯というのは、世間の付き合いよりも深く純粋であり、仏界という不思議な世界で往来できるのです。

 仏法のそうした世界を知らない世間の人たちは、やれ学会は衰退しているだの、内部で分裂しているだのと評論家のように好き勝手をいうものです。しかし、私はそうは思いません。数は少なかろうと、一人二人とこの異体同心の紐帯をつなぎ合う限り、学会は消滅することなく続いていくことを信じます。その清らかな世界に住すれば、世間の見立てなど、肝心のところを何もわかっていない浅はかなものだということがよくわかるのです。

 「師弟」の世界も同じです。師弟に生きるということを知らない人はそんな世界などないと思うものです。しかし、その世界を知り、そこに住する人にとっては、厳然とその世界があることがわかるはずです。同様に妙法に説かれる仏界もまた同じでしょう。目に見えないそうした不思議な世界に住し、汲めども尽きない功徳を味わいながら生きていける・・・それこそが信心する者の特権です。

 妙法は生命の法則であり、人々が最後にどうしても希求せざるを得ない生命哲学です。それはこの宇宙や人間の生命の本質までを正しく説き明かした哲学だからです。人を不幸へと貶める魔を打ち破っていく力、生きとし生けるものが幸福と平和を創造しながら生きていく力・・・妙法がその力の本源であるならば、それはどなたも欲してやまないもののはずです。

 その意味で、私は学会が途絶えるなどということはない、求道の人がいる限り仏はこの世に現れるのであり、仏法と言ってもどこか虚空の彼方にあるのではない、信心する人の生命にその姿を現すに違いありません。

 日曜日の先生の詩には、「戦い続ける人が青年」とありました。「もうこれで良い」などというゴールはありません。人間である限り、戦って戦って生きぬいていく。永遠に地涌の菩薩として戦い抜く生命であることを覚悟する。高齢であっても戦うことをやめない土佐の高知の婦人達のように・・・そうした強き心の人となって、私も地域に一人立ち、創価の大道を邁進していきたいと思います。


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