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2019
09.27

凡夫は勇気で仏となる

Category: 信心

 こちらでは11.18の創立記念日、また世界聖教会館の竣工を祝って、11月実配の聖教新聞の啓蒙に挑戦しています。新聞を自ら読み、記事に感動し、人に啓蒙していく。これは立派な折伏になると思います。そして推進した相手の方の幸せを祈り、仏法対話へとつなげていく・・・そうやって相手が信じても信じなくても種を蒔き続ける人こそ、如来の使いの人に違いありません。

 「闘争心のないものには福運はつかない」とは戸田先生のお言葉です。闘争心があるかないか・・・ここが勝負の分かれ目です。「凡夫の慈悲は勇気だ」とも言われています。「勇気と闘争心」、これがあれば人間革命は必ずできるはずです。いつまでたっても変わらないというのは、勇気と闘争心をもって戦わないからだと言えないでしょうか?

 私もこの一月で27人の方に新聞を啓蒙することができました。これは地区の世帯数と同じ数です。ほとんどの方が初めてで、一か月だけの購読なのですが、それでも私なりに挑戦した結果です。お願いしたうちの半分は断られましたが、組織で「打率5割です」と言いましたら、「それはすごい」と逆に皆さんに驚かれました。



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 とはいえ、兄弟や身内ならまだしも、人にお願いするためには、まず自分の心に勝たねばなりません。小さな戦いかもしれませんが、この日々の小さな心の勝利を積み上げて、大きな宿命の壁がやがて崩れていく・・・それが人間革命の戦いだと言えます。「あの人は多分読まないだろう」「あの人は学会が嫌いだからなあ」・・・そんなネガティブな思いが命に湧いて、気が付くと「そうだ、やっぱり無理だから今はやめとこう」(笑)と弱い心にはあっけなく追従するものです。その心を打ち負かしてぶつかっていくのですから、まさに勇気、勇気を出さずして宿命転換がどうしてできるでしょうか。

  私の地区で未活で新聞もとっていないある壮年の方がおられ、その人を訪問した時のことです。当初はこの人はひいてもらえないだろうと思い、行くのを躊躇していましたが、「いや、この人も仏の生命、とにかく真心と誠意で一度ぶつかってみよう」と思い訪ねました。先入観で無理だと決めつけたその心が間違っていたと思ったのです。すると意外にも訪問したことをとても喜んでくださり、快く新聞をひいてくださったのです。そして座談会にもお誘いすることができました。

 こちらが仏の生命を湧きたたせ、相手の仏性を信じて行動するなら、無理が無理でなくなる、何か不思議なことが起こるものです。結局は一念を強くもって、誠実に行動すればいいのです。そのことも多くの方にお願する中で学びました。「凡夫は勇気をもって仏になる」・・・これが末法の仏道修行だと思います。

 私も聖教新聞をつい読まない時もありますが、時間を見つけてたとえ一つでも記事を読みますと、やはり滋養のあるものを食したような気持になるものです。教学であったり、体験であったり、「名字の言」も毎日素晴らしい。それらは幸福になるための智慧の宝庫です。聖教啓蒙を継続していく秘訣は、まず自分がよく読むということに尽きるのかもしれません。自分が読まないものを人に勧めることほどおかしな話はありませんからね。

 池田先生は「仏は文字をもって衆生を度し給うなり」(御書153p)との御文をひかれ、仏は文字の力で広宣流布していく、それが聖教新聞だと言われています。「正義を師子吼する文字」、「相手を慈しみ励ます文字」、「人と友好を結び平和を創造する文字」・・・それらはすべて平和と幸福を創造しゆく仏の文字であり言葉です。紙面を開けばいたるところにそれらの文字が躍っている、それが聖教新聞です。

 「世界中の人に読ませたい」との戸田先生の言葉を胸に、私も「読者」としてまた「無冠の友」として、聖教啓蒙から人間革命の突破口を切り開いていきたいと思います。


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2019
09.14

広宣流布という的に向かって

Category: 信心

 今回の台風では関東の方に大きな被害が出ました。私の姉も千葉におり、昨日ようやく電気が復旧したと連絡がありました。全被災地域の一日も早い復旧をお祈りいたします。

 今朝、聖教配達時に空を見上げますと、秋の雲と夏の雲が空で遊んでいました。朝晩は風もひんやりして暑さもようやく和らいできた感があります。



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 世の中の多くの人を見るたびに、この信心をしていることをありがたく感じることがあります。私の周りにも仕事で成功し、高級車に乗り、ゴルフや釣り、美食に興じている人もいます。しかし、この信心で心の財を積んでいく道を知るならば、それらの楽しみもどこかはかない幻のように見えるものです。

 遅かれ早かれどなたもこの世を去っていかねばなりません。その時に持っていけるのはこの命だけということになります。まさかベンツに乗ってあの世へ行くわけには行きますまい。笑) そしていったい、何を頼りに冥途へと旅立っていくのか・・・因果を知らず、三世を知らず・・・それを思うと何とか仏法を教えてあげたいと思うのは、信心する凡夫の慈悲心というものかもしれません。

 飢えた人にご飯をあげればひと時は救えます。しかし食べてお腹がすけばまた苦しみます。ですからご飯をあげることは小善です。この仏法を人に施せば、その人はどんな時も信心で生命力を豊かにし、福運と智慧を増し乗り越えていけます。そして自然と仏界に至り、三世永遠の幸福境涯に到達できるのです。ですから折伏こそが大善です。

 人生の目的は幸福であり、幸福とは「一生成仏」と説かれます。その仏法を世界に広め衆生を救うこと、すなわち広宣流布こそが仏様の願いです。その仏様の心と同意して広宣流布を目的に生きていく、そうすれば凡夫にも仏の命が開きます。「私の人生の目的は広宣流布です」その信念で生きる人に、仏力法力が現れゆくことは百発百中ではありませんか。

 広宣流布のために仕事に励みお金を儲けることと、単にお金儲けを目的にやっているのとでは、一見、同じように見えて天地雲泥の差があるものです。それは目的感がまったく違うからです。凡夫であっても仏の誓願に生きるならば心は仏界に住し、濁世にあって蓮華の華の如く清らかに咲くことができる。そこに人が想像もつかない境涯革命、人間革命の世界が開けていくことを確信します。

 世の中の多くの人がそんな信心の財を容易に信じようとはしないかもしれません。しかし生命に宿る心の財、仏の世界というものは絶対にあります。それは信じることによってしか見ることができない。不信こそがその世界を閉ざし人を迷いの世界にひきずりこむ無明という大悪です。その無明を打ち砕くのも自身の信力以外にありません。

  的のないところに向かい矢を放っても虚しいものですね。信心をする以上、己の名聞名利を退け、ただひとえに「広宣流布」という的に心を定めて、弓を引き絞りたいものです。その一念の矢は必ず仏様に届くと確信します。届いたときには心の闇は晴れ、生命には歓喜が生活には充実がみなぎっていくのです。

 一年のうちでは秋が一番私の好きな季節です。さあ、いつまでも悶々としてないでさわやかな秋晴れのごとくに生きてまいりましょう!「昨日の悲しみにさようなら、歓喜の私よこんにちは」です。(笑) そのためにも地域の先頭に立って広宣流布の活動を、一層、明るくにぎやかにやっていきたいと思います。


 

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